2017年5月19日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(安宿)・・・34

2017.5.19金 快晴 午前7:48 快晴下、早々と事務所で机に向かう
 俺は焦っていた。キーウエストに向かい、無事到着したが宿が高くて躊躇していた。モーテ
ルは日本でいう素泊まりコースであり、夕食や朝食はついていない場合が多い。大きなモー
テルならば、レストランがありそこで食べられる。しかし、60ドルクラスのモーテルだと食事は
ついていない。キーウエストはアメリカでも有名な観光地である。ヘミングウエーの老人と海
の小説の場所でもあり、武器よさらばを書いた地でもあると言われている。全米から観光客
が押し寄せる地なのである。当然、ホテルはどこも高くなっている。俺はさっきからウロウロ
国道1号線を彷徨っていた。いわゆる宿探しである。ヒルトンモーテル、シャーレットモーテル
等の一泊は約200ドル以上である。俺が探しているモーテルは高くても80ドルであり、
そのようなモーテルは男女のモーテルしかないようであった。ウロウロしているうちに100
ドルのモーテルがあった。レッドルーフというモーテルであった。俺は真っ直ぐにそこに車を
入れてチックインをした。朝夕食など一切無し、部屋に入ると何十年も使用されたバスタブが
目に入った。使い古したタオルがぶら下がっていた。引き返そうかと考えたが、こんな時の
ウロウロは一切ご法度である。ウロウロして宿探しをすると、どんどん悪い方に行ってしまう
のである。旅の経験から、最初の宿で我慢したほうが精神的に良い。暫く、ベッドに横たわり、
天井を眺めた、染みの地図が天井に横たわり、小さな虫までいるように見えてきた。ハッと
気が付き、悪い考えは止めることにした。明日はヘミングウエーの家に行こうか、夕日を
長めに行こうか、考えているうちに寝てしまった。次回は夜半に起きるを記します。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝


 

2017年1月23日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(サクラメント)・・・29

2017.1.23月 快晴 午後12:59
 朝方に自宅のPCに向かったら調子悪く掲載できませんでした。マイオフィスのPC
で掲載しようと思っています。
 サクラメントの町に向かう毎に、金曜日の午後だったのでアメリカ人はレジャーにむかう
車で混雑してきた。暫くは見たことのないラッシュである。但し、私たちは東に向かい、ラッシ
ユの車は東に向かうので、ラッシュにはあまり見舞われなかった。東に向かう車は、大部分
がレジャー用の車であり、乗用車は少なかった。ボートを引く車、カーハウスを引く車、珍し
いのは、大型バスが小型ジープをけん引している車であった。日本のレジャーと規模が違う
のである。思うに、日本の所得の数十パーセント増しの収入があるのだろうと思う。日本で
言えば、年収が1000万以上の生活の楽しみをしているのがアメリカと言えると感じた。
徐々に大都市のサクラメントに近づく、カルフォルニア州都のサクラメントですから、大きな
ビルが遠くに浮かんできた。少々道に迷い、Uターンやバックを繰り返し、モーテルを見つけ
た。綺麗で洗練された州都らしいカラフルなモーテルであった。受付をして部屋に入り、夕食
の段取りをして、一先ずホットする。残りの4日をどう過ごすか、あと何日でサンフランシスコ
に着くか等を打合せしていたらゴールデンブリッジの影がチラチラしてきた。映画や夢や、
記念写真で見たゴールデンブリッジである。サクラメントの町はどうでも良くなってしまった
のである。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2017年1月21日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(地名)・・・28

2017.1.21土 曇 午前6:44
 丁度車の走行距離が6000マイルを指した。直ぐに降りる出口があり、そこでドキドキ
しながら出口にハンドルを切った。降りた所は高い松の木に被われ、とても町があるよう
なところでは無い景色であった。わけの分からない言語の地名が飛び出すか、それとも
地名などが無いところか、高速上の陸橋を渡り、反対側の所に行った。何やら細長い
地名を指す緑色の表示板が見えた。勇んでその地点に進んだ。あった読める、意味も分
かる。それは「GOLD RUN」と読め、一瞬で意味が分かった。直訳で金が来るであり、
幸運が来るでもあり、良いことが起きるでもある。私は有頂天になってしまった。宝くじ
か万馬券を当てたより、大きなものが当たったと思った。私の今後の人生が豊かになる
はずであると想像した。それに、今後の大陸横断がとても得るものが多く、豊かになると
も思えた。このGOLD RUNに匹敵する反対の言語は沢山あるだろうが、私は余計な
言語は思い出さずに、アメリカ大陸よ、ありがとうと心の中で思い切り叫んだ。私の人生
の今後において、良いことがあればこの大陸の地名を思い出し、感謝をすべきと考えた。
それから5年後に、この地に再度来るチャンスに恵まれた。この地と再会を果たした時に
同じ標識を何度も拝んでしまった。5年の間は健康に恵まれ、金運もそれなりに恵まれ、
破綻せずに生活をしてこられた。アメリカ大陸の大地の神のお蔭と信じています。
 同じ地に二度も立てたことは、アメリカ大陸の地の神様のお蔭と信じています。それか
らは、アメリカ大陸を横断、縦断、太平洋側縦断、大西洋側縦断、V字横断、大陸内地
の彷徨、メキシコ湾岸彷徨、メキシコ国境彷徨、カナダ国境都市彷徨等、10回以上の
アメリカ大陸を彷徨をしたが、大事に至る事故は大陸神のお蔭で起きなかったのである。
私の人生のツキ事にピッチリ付着して離れないでいる大陸神様に深く感謝いたします。
次回はサクラメントの町を記します。

               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2017年1月19日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(サクラメントへ)・・・28

2017.1.19木 快晴 5:07
 アムトラックと一寸並列縦走を楽しんだ。IN80号線に戻り、道路の右側は高い山で
左側は谷という景色の中を右に左に走った。閃きがあり、次の目的を掴んだ。それは
60歳を迎えた年に大陸横断を実施しているのであるから、ニューヨークを出てから
車の走行メーターが通算5700マイルになっている。60歳と6000マイルを縁起数字
とし、これから走っているうちに、走行メーターが6000マイルを指したら、次のインター
出口で降りる。そして、その町の名前の意味を解いて、60歳以降の人生の占いをす
る。例えば、その町が幸福に関する意味なら運よく、不幸に関する意味なら運悪くなる
から、その厄払いをする。どちらにしても幸福運が強くなる。このような意味を友人に話
し、了解を得て先に走った。景色と6000マイルを楽しみながら走った。カルフォルニア
州の東側は森林に被われた土地のようであり、西側は太平洋である。そのような景色
の中を2時間ほど走った。走行メーターは6000マイルまで一寸になった。いくつかの
出口が過ぎた。メーターはやがて5999マイルを指した。よし次で降りよう考え、スピード
を緩めにして走った。今でも忘れない景色が見えてきた。青空、モミの木、赤茶色の土、
人家の無い林、右に降りて左の橋を渡り、その小さな町のストリー名を読んだ瞬間に、
やったーと思えた。突然の閃きが最高のものを引きあてたのである。このことは次回に
記します。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2017年1月18日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(アムトラック)・・・26

2017.1.18水 快晴 午前6:56
 散々彷徨った山中の町からIN80号線に戻り、更に西に向かって走っていたら、眠気を
もよおし高速を降りて、高台の木陰の下で1時間ほどの睡眠をとった。1時間後に目を覚
まし、ぼんやりと下界を眺めていたら、長々と線路が日の上がる方から日の沈む方に伸び
ている。私は列車が来れば、アメリカ大陸横断鉄道の一コマが眺められると心が弾んだ。
期待通り列車が長い紐のようにくねくねとなりながら、こちらに来るのが目に入った。友に
「来た、アムトラックだ」と叫んでしまった。最初は一本の紐のように見えた列車は、近くに
なるに従って、紐から竜のようになってきた。これが有名なアメリカのアムトラックかと
感動して、アムトラックの線路の側道を走ってみようといたずら気を起こした。車のエンジン
をかけ、側道目指して走り、アムトラックと並列になれた。アムトラックの機関車の力強い
音が耳に入る、窓の中の乗客の顔が見える、その疾走から発生する疾風で側道の木々や
草が揺れる。私はその横をアクセルを踏み込み、並列縦走をし続けた。乗客が窓から私
達に手を振り、私たちもそれに応じ手を振った。まるでアムトラックに寄生する生物のように
なって走った。しかし、アムトラックのスピードに対応するのは大変であり、交通事故に
なりかねない走り方をしなければならない。私はスピードを緩め、アムトラックは大陸の
西にやがて消えていった。
  再びIN80号線に戻り、西のカルフォルニア州のサクラメントを目指した。州境まで
あと100km程度と分かり、アクセルを一寸踏み込んだ。次回はサクラメントの町を記し
ます。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2017年1月17日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(田舎のモーテル)・・・25

2017.1.17火 快晴 午前4:45
 山の中をあと10km彷徨っていたらエンストを起こし野宿か車中泊の羽目になるはずで
あったが、ガソリンスタンドが現れ助かった。いい気分になりモーテル探しを始めたら、
ついている時は直ぐに目的物にぶち当たるのである。但し、泊まれれば良い、という程度
であった。何処かのチエ―ン店に加盟しているわけでないモーテルであったから、期待
できないと思ったが、寝られれば良いという最低の望みで泊まったから、不安は何も生じ
ないで泊まれた。カウンターの前で記帳していると、後ろから大声で「ワン」と唸られた
ので、びっくりして振り返ると、アメリカ狩猟犬の歓迎の声であった。闘ったらとても勝て
そうもない熊とも戦えるほどの大型の犬である。私は手を出してその犬を撫でることも出来
ずに、鍵を貰って部屋にはいった。部屋は心配するほど汚くは無く、コーヒーやタオル類
はそれなりに綺麗であり、ベッドのシーツもノリが効いている。しかし、シャワー室に入って
みると、そこは別世界のシャワー器具があった。衛生感は無く、お湯が出れば最高という
程度であった。一難去ってまた一難となってしまったので、部屋を取り換えようとしても
ムリだろうと思い辞め、儀式的にシャワーを浴びてベッドに寝転んだ。ベッド上で考えたが、
近くにレストランは無かったので、瓶詰缶詰と菓子類での夕食とすることにした。結果、
テーブル上には、ペット水、チョコレート、クッキー、ソーセージ2本、ビールとウイスキー
だけが揃った。友人と今日の失敗の原因等を相談しながら、明日は何処まで行けるか
を結論として夕食を食べ終えた。ネットで調べると、オレゴン州の一部まで車を走らせ、
ネバダ州境にて、このモーテルに泊まっているから、ネバダ州を抜けてカルフォルニア州
まで入れることが分かった。砂漠的草原から岩肌の山を抜けて、牧場のある山の麓まで
来たからカルフォルニア州都のサクラメント迄行くことにした。次回はアムトラックと並列
競争を記します。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2017年1月16日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(有難い油)・・・24

2017.1.16月 快晴 午前4:21
 走行可能距離約10kmと計算できたので、ガソリンの残量は1リットル強となってしまった
状況で町の灯りが目に入ったのであった。ガソリンが減らないように、アクセルを踏み込ま
ないで、坂になったらできるだけ優しくアクセルを踏んだりしながら、灯りに向かって走った。
走ったというのは過剰表現であると言えるような、動きで町に入ろうとした瞬間、町の入り口
の角にスタンドがあった。私はこの瞬間の感激を今でも思い出せるほどの感激であった。
田舎のスタンドらしく、一台の注油機があるだけで、人影らしい人影無く、注油機のメーター
窓のガラスは壊れていた。何となく、動くのかなとか、油は貯蔵されているのかな等の心配
をしながら、事務所の裏の部屋に入った。「ハロ―ハロー」大声を出して、入っていった。
そこで見たものは、大男が3人で狩猟か密猟で得た大鹿の2匹と彼らの大型狩猟銃と
腰にそれぞれ吊るした狩猟刀であった。日本人が普通は見慣れていない光景である。
英語は達者でないので「ガソリン」と言い、カードを提示した。狩猟者が店の主のようで、
「OK」「セルフ」「キャッシュ」と言われた気がしたので、車に戻り友人に「自分で入れろ」と
言っているから、注油していいよと伝えた。店の奥に戻り、彼らが得た獲物を再度眺めた。
大きな獲物は彼らの自慢らしく、彼らは私にその血の付いた獲物を見ろというようなっ仕草
で指を指した。私は「グレート」と言って親指を立て、彼らの誇示感を満足させようとした。
アメリカ人に東洋人が価値観の違いにもかかわらずにゴマをすった場面であるが、私は
彼らを満足させた爽快感があった。素直に人を褒めることは、古今東西同じでないかと
思った瞬間であった。油が入り、キャッシュでドルを払い、彼らに再度親指を立てて、
私はホッとした顔でそこを出た。有難い油を感じた出来事であった。
次回は田舎のモーテルを記します。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2017年1月13日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(灯りの望み)・・・23

2017.1.13金 快晴 午前6:54
 太陽は山陰に沈んだ。周りは暗くなり、月がそろっと出てきた。私はガソリンが無いことを
先ほどから悔やんでいた。早く満タンにしておけば良かったなと反省の心が起きていた。
暗闇をしばらく走ると道路の端に送電線が見えるようになり、人家かガソリンスタンドがある
はづと僅かの希望が出てきた。しかし、ガス欠のランプが先ほどから点いている。ランプが
点いてから30マイルは走るはづと考えれば、あと日本のkmで計算をすると50kmは走れ
るはずであると考えた。ランプが点いてから20kmは走っているので、残り30kmの間に
町かスタンドを見つけなければならない。10kmを余分の距離にすると、あと20kmは安心
して走れるはづであると判断をした。交互一車線の暗闇の道を走り続けたが、一台の車も
来ないし、果たして人家はあるのだろうかと不安がより増してくる。もしかすると、この電線は
奥地のダム等への公的施設への単なる送電線か、送電線の見分け方を勉強しておけば
良かったなとも思いながら前に進んだ。メーターを見ると、既に20kmは進んだと判断し、
いよいよガス欠往生かと覚悟をした。残りの10kmのガソリンで運命が分かれることになる。
最後の頼みは天の神様だ、宇宙に来ているわけでない、そこでガス欠になっても、季節は
秋だ。車中泊でも水が有り、多少の食料もある。アメリカ大陸での野営か車中泊を楽しめる
と考えるようになってしまった。正に楽観主義の真骨頂である。この貴重な経験を人生の
大教訓に出来る。日本からわざわざアメリカに来て、文化的旅行をするならば、私は不満足
感を持つべきと考えた。良いチャンスである。今日は野営か車中泊だと、思った瞬間に
田舎町の灯りが目に入ってきた。10kmの走行可能なガソリンを残して、その灯りに夜の
虫のような気分で目指したのであった。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2017年1月12日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(何も無い地域)・・・22

2017.1.12木 晴 午前6:55
 交差路を右に曲がってしまった。それで、峠を越え、谷を越え、湖の横を抜け、直線を
暫く走っても人家が無かった。もしかすると、大陸の謎の地に紛れ込んでしまったのか、
日本人の時間と距離感の違いで、全てのものが長く大きく感じてしまうのか。ガソリンが
少なくなってきた、心細くなり野営か車中泊かを考えるようになった。既に100km以上を
走ってきたので、疲れが出てきていた。友も黙りこくなり、私もボヤーとして、目がうつろ
になっている。私は野営の場合はどうしようか、車中泊ならどうしようか、と方法論を考え
始まっている。野営の場合は、食料と水と暖の取り方を考えた。食料は多少車中にあ
り、水もペットボトルは二三本はある。暖は枝屑を集めて燃やせば何とかなるが、山の
中の焚火で動物や毒蛇、毒虫類が集まってこないか、それならば車中泊が良いだろうと
考えるも、ガソリンが無いので車中泊は暖が取りにくい。どうしようか、このまま走るか、
ガソリンが無くなる前に車を停めて、ここで一泊しようかを考えながら走っていた。友に
聞くと「どっちでもよい」私はなお混乱してきた。太陽は間もなく山に入りそうだ。周りが
暗くなってきている。大型の鳥が巣に戻り始めている。狼か野犬の当吠えか、変な声が
聞こえてきそうな気配を感じ始めてしまった。こうなると悪いことばかり、考え始まって
きた。辞めよう悪い考えはと思い、辞めるも又悪い考えの方に行ってしまう。悪い予感は
当たるという。辞めようと思いながら先に進んだ。次回はチャンスがあったを記します。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2017年1月10日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(リノから北西へ)・・・21

2017.1.10火 晴 午前6:45
 塩湖ソルトレイクから太平洋に向かう途中の砂漠でゴーストタウンを見た。背筋が寒く
なったのでそこを退却し先に進んだら、ネバダ州のリノの町に着いた。昼をどうするかと
相談の結果、スーパーで日本食でも買うかと思いつきスーパーに向かった。スーパーで
カルフォルニア巻の弁当を買い、キャシャ―を済ませ、帰ろうとしたら、店にスロットマシン
が置いてあり、数セントで遊べるようになっていた。ご婦人がレジを済ませた後に、コイン
ンを入れてレバを下げ、運試しをしていた。ご婦人は当たらなかったのだろう、何もなかっ
たように、買い物袋を下げて出て行った。私も真似をしてコインを入れ、運試しをして
みたが、ご婦人同様にゼロの喧嘩が出た。一寸淋しく悔しくなったが、アメリカに寄附だ
と思い外に出た。スーパーの敷地を眺めまわしたら、中華料理の弁当屋が有り、近かずく
と休業のようであり、残念がらずにすんだ。車内で友人とカルフォルニア巻弁当を食べ、
今後の道筋の相談をした。私は予定より早く進んでいるので多少の回り道をしようと提案
をした。友人の賛同を貰い、そそくさに車を出発させ、IN80号線を横切り北東に進路を
取った。リノの町から30kmの地点で道路が分かれていたので、右側の道路は更に
北東に行ってしまうので、一旦戻るようになってしまう。左の道路なら北西になるので、
ハンドルを左の道路に向けた。ここが過ちの第1点になるなんて考えもしなかった。
数時間走っても出合う車は一台も無く、だんだん心細くなってきたが、私は「大丈夫だ、
北西に進路を取っているから」と言い、友人の不安を消そうと躍起になっていた。戻る
なら今だと思いながらもできないで、先に進んだ。アメリカと日本とでは距離感が大きく
異なるのを計算に入れないで進んだ。町らしい町は何処にも見当たらずの状況となって
しまった。次回は油も無くなり、人家もなく、スタンド等ありゃしないの状況を記します。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2017年1月9日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ゴーストタウン)・・・20

2017.1.9月 晴 午前4:50
 ソルトレイクの淵に立ち、暫し眺めた。湖面も岸辺も真っ白だった。真っ白い景色は直ぐ
に飽きた。私は運転席に乗り、友人を急かせてから車を発車した。IN80号に戻る道路の
標識は縦断の穴だらけであった。アメリカ人は車中から銃を発射させる遊びをするらしい。
危険ゾーンを抜け、高速の戻り暫く走ると、砂漠の中に荒れ果てた店舗兼民家があった
ので、高速を降りてそこに向かった。1945年建築と基礎に書かれた建物であった。誰も
住んでいないらしい建物でドアが開いたままであり、風に揺られてバタンバタンと鳴ってい
た。私は中に入りたくなり、恐る恐る中に入った。店の中は砂漠の中のレストランのようで
あり、店の名前はオアシスと書かれていた。最近まで営業をしていたようであり、テーブル
や事務所の灰皿の上にタバコの吸い残しがあった。物静かな二階が目に入ったので、
階段を上がろうとしたが危険を感じ辞めた。真っ暗闇の二階には毒蛇や毒虫の住処に
なっている危険性を感じたので辞めたのである。旅半ばで蛇や虫に遮られたら、やるせ
ないことになってしまう。階段を上がるのを辞め、店の中を再探検をした。開いたままの
キャッシュボックス、レジ機とレシート用紙、散乱の筆記用具、傾いて吊るされている
メニュー、用心のために時々後ろを振り返り、用心深く店内をうろついた。目ぼしい物も
無く、私は店外に出て「帰ろう」を友人に発した。
  ゴーストタウンの見学はあっさり終わった。外の光の眩しさを感じながら、原野を突っ
切り、高速に戻った。1時間の探検の旅であった。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2017年1月8日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(錆びた車)・・・19

2017.1.8日 晴 午前6:13
 軍隊の爆弾実験を見学してから、更に奥地に進むと、燃え尽き錆びた車輛が横たわって
いた。車を停めて近寄ると、その車は真っ赤に錆びて、無数の穴が開いていた。良く見ると
その穴は銃弾の穴である。拳銃などの穴でない、一定の幅で銃弾の穴が開いている。
自動連射ができる銃で撃ったような穴であるから、機関銃などで撃った穴であることが分か
った。ここは日本人には考えられない地であることが分かった途端に寒気が起きた。最初
の危険は爆弾実験、次の危険は自動銃を自由に撃っている者がいる場所、道路の交通標
識にも無数の穴が開いている。確かに、交通量は全く無い。危険ゾーンだから一般人は入
らないのである。その地にノコノコ私たちは入り込んでしまったのである。進むか戻るかの
判断をしなくてはならない。私は道路のタイヤ跡を観察した。トラックのような跡や普通車
のような跡が新旧かどうかを見た。タイヤ溝で盛り上がった土を指先で壊してみた。薄く山
になった土の壊れた中の土の乾きがどの程度かを観察した。あまり乾いていなかったので、
車の通りは先ず先ずあるのだなと判断し、更に進もうと決断をした。車をゆっくり、周りの
景色を観察しながら進めた。心の準備として、武装強盗が現れたら、無抵抗で物を渡す、
撃ってきたら曲線を描いて逃げるか抵抗しかない等と心の準備をしながら湖へ進んだ。
やがて岸辺が見えてきたので、私はホッとし用心のため周囲が見渡せる場所に車を
停めた。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2017年1月7日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(軍隊実験)・・・18

2017.1.7土 快晴 午前7:10
 IN80号線を西へ西へ向かって走ろうとした矢先、広大な砂漠とソルトレイク湖畔に
入る道を発見してしまった。私は好奇心からその道を辿った。数百メーターを走ると、
💀のマークに何やら書かれた看板が立っていた。車を停めて良く読んでみると、軍隊
名で作戦中は通れません、というようなことが書かれていた。友人は辞めようと言い、
私は作戦中で無ければ入れるんだよと言い、「さあ、行こう」と言って車を走らせた。
確かに周辺は、アメリカ軍の砂漠の演習地には最適なような土地柄であった。
少し行くと、軍の大型トラックが道路を塞いでいた。私たちは車を停められ、軍人が
「どこまで行く、ここで終わるまで待て」と言う。私たちは軍の車の後ろで何が起こるの
かを待つことにした。若い軍人が「小さな爆弾実験をする」と言う。これは面白い、
恰好のアメリカ写真を撮れると思い、小型カメラをスーッと出し、何時でもシャッターを
切れるようにして、音も立てないで待っていた。3km先くらいに動きがあり、何かを
仕掛けたバイクが、こちらに向かって逃げ帰るように吹っ飛んできた。数分後の
巨大な煙幕と爆音が聞こえた。初めて見る爆弾の煙幕と破裂音は、私にとっては
人間を終わりにさせる嫌な音にしか聞こえなかったが、軍人ははにかみながら
「スモールスモール」と言って、私たちに詫びるような仕草をしたのであった。なるほど、
大きな爆弾ならば胸を張っていられるが、小さな爆弾の実験で私たちの通路を塞いだ
行為は、若い軍人たちにとっては、勇ましい行為ではないのだろうと考え、ソルトレイク
の湖畔まで進むことにした。次回は、ハチの巣銃弾跡車と塩の湖畔を記します。
           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2017年1月6日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ソルトレイク)・・・17

2017.1.6金 曇天 午前6:34
 ソルトレイクの町を出て、IN80号線に乗りしばらく走ると、道路の周辺に塩らしきもの
が見え始めた。それだけでなく塩を精製するプラントも所々に現れた。櫓やベルトコン
ベアーが忙しく動き始めている。ベルトコンベアーの下には、真っ白な塩の山が蓄積
されている。町を出た時点では、塩の欠片は所々であったが、だんだん多くなり、暫く
走ると、辺り一面が雪のように真っ白になってきた。道路は一直線がずーっと続き、
何処までも真っ直ぐであった。道路の寄せ幅の広いところに停まり、塩の感触を確か
めたくなり、車を寄せて停めた。道路のそばの塩は排ガスで汚れていたので、興ざめ
したので、早々に車に帰った。更に、車を走らせると巨大な塩湖が現れた。向かって
右側にソルトレイクの本体が現れ、その大きな空き地が駐車場と休息所になってい
たので車を乗り入れた。車を降りて塩湖の上を歩きたくなり、友人二人と湖の中に足
を入れた。恐る恐る足を出し、更に奥に歩いた。良く見ると、タイヤの跡や多数の人々
の足跡が見えたので、湖中に落下することは無いなと安心をした。湖の上が安全と
分かり、もっともっと奥地に進み、駆け足をしたり、飛び跳ねたり、尖った物で塩を抉っ
たりしてみた。何かのニュースで見たが、この湖の上で自動車のスピードレースの
大会も行われたりしていることを思い出した。ソルトレイクの沈没事故等のニュース等も
聞いたことが無い。安全は大丈夫、景色は美しい、ふっと観光客の気分になり、近くや
遠くを十分眺めることができた。辺り一面、真っ白、雪の中で遊んでいる気分になって
しまった。妙な気分であり、このまま錯綜気分になったら、大変と思い友人に帰ろう
と叫び、車に戻った。
次は、爆弾の実験を見てしまったを記します。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2017年1月5日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ユタ州)・・・16

2017.1.5木 快晴 午前6:41
 昨夜はララミー市に泊まり、朝早く次のユタ州のソルトレイクを目指した。途中の景色は
山野が主であった。大木の中を走ったり、石壁の中であったり、坂を上がり坂を下る等、
山間を走って来た。昇り坂を上がるのが多かったような気がしたが、6時間前後を走ったら、
下りが多くなった。冬季オリンピックが数年前に開催されたソルトレイクが近くなったと感じた。
 私のソルトレイクの知識は、塩の町か巨大な塩湖や菜食主義のモルモン教だけである。
山間の町なのでチマチマなのかと思ったが、それなりに立派な整然とした町のようであった。
宗教の町と思いきや、アメリカの普通の町と変わらない町であった。この宗教は厳しいので
酒は飲めない町と考えたから、何となく身震いするか緊張感を持ってしまう町である。
モーテルを探しは、安めのモーテルが見つからないのでマリオットホテルチエーンのモーテ
ルを取った。夕食はレストランを考えたが、菜食主義の町ならば美味いものは無いだろうと
思い、モーテル隣のコンビニに行き、夕食を漁った。しかし、ロクなものは無く、牛乳とホット
ドッグ、チーズ等を買い部屋ですませた。これでは明日のエネルギーがたまるだろうか等と
思いながら食べた。日本人は押し付けられる宗教は合わないのであるとも思ったのであった。
次回はソルトレイクを走るを記します。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2017年1月4日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(夜空)・・・15

2017.1.4水 快晴 午前3:54
 ララミー市のモーテルに泊まっている。寝付かれずに宵の夜空を眺めようとした。
ララミーという町は私の幼少の頃に想い出がある。テレビ映画のララミー牧場であり、
登場人物のお2人の活劇には胸がスカッとした記憶が鮮明にある。西部の悪人やインデ
アンとの闘いを演じたものであった。秋のヒヤリとする外の空気を吸い、遠くのロッキー山脈
の方を見た。黒々とした山の頂上や裾野からインデアンが喚きながら、馬に乗って駆け落ち
てくる場面を思い出してみた。当時の牧場経営の困難や、命を懸けた田舎の生活ぶりを
想像した。広すぎる牧場敷地、水の無い土地、生活物資の乏しい生活、ギラギラ輝く昼間の
太陽、体力の限界を彷徨う労働、家を守る西部夫人や家族の過酷な生活環境等、どれを
取っても開拓者魂が無ければできない生活はできなかったであろうと想像できた。再度、
周囲を眺め直したら、より周囲の景色が分かった。それはララミー市はロッキー山脈又は
その部類に属する山々に囲まれた土地であり、町は小さいほうに属する町であり、直ぐ
近くを高速が走り、一晩中エンジン音が聞こえるところであった。寒くなったので、部屋に
引き上げ、夕食に出かけた。中華料理店に歩いて行き、青島ビールを飲み、華人グループ
と諸々の話ができた。アメリカに住む華人の逞しい生活ぶりの一端が覗けたりもした。
 明け方暗いうちに町へ散歩に出た。暗闇を歩いてくる大男に会ったが、特に危険性が
無く、グッドモーニングの挨拶ですれ違った。途中、繁華街の町にも入り、昨夜のゴミ捨ての
現場を見て、繁華街の状況を想像しながらモーテルに戻り、出発の準備にかかった。
明日はユタ州ソルトレイクまで行くつもりであるから、1000km近くを走ることになる。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2017年1月3日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ララミー)・・・14

2017.1.3水 快晴 午前6:35
  昨日はアメリカの約中心地のオマハに泊まり、今日は次の州のワイオミングに向けて走っ
ている。ロッキー山脈の麓であるように景色が出てきた。道路はくねくねと曲がり、急な坂道
があり、時おり出てくる山々の山頂に風力発電装置の風車が数えきれないほど見え、山肌
が赤くそびえている。トイレをもよおしたので、その坂道の一角で用をたしたが、風が強くて
大変な用足しとなった。風の強い一角に暫く佇んでみたが数分ほどいるのが辛く、早々に
車の中に退避して、車を更に上に走らせながら、昔見たララミー牧場という映画の一コマを
思い浮かべ、もしインデアンが出てくるならば、あの岩山の陰か、それともあの草原の草の
間からだろうなどと想っていた。夕方になったのでハット我に返り、今夜の宿探しを始めた。
山間の町があったので、高速を降りモーテルを探したら、中級モーテルがあったので車を
いれたら、何とそこの地が子供の頃に見たララミー市であった。ここがララミー市ならば
昼夜にわたる全ての景色を見つくそうと考え、その準備の思索を始めたのである。昼夜
のロッキー山脈の景色を眺めてやることに決めた。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2017年1月2日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(リンカーン)・・・13

2017.1.2火 快晴? 午前1:29
 ミシシッピーを渡り終えた途端、リンカーンという地名の町に入った。何やら有名な大統領の
リンカーンと関係があるかもしれないと思い、高速を降りてその町に行くことにした。アメリカに
来て初めて住宅地内に車を入れた。碁盤の目のように整然と道路が走り、アメリカらしい住宅
が見えてきた。その中でも一棟だけが大きく高い建物があったので、そこを目標に向かって
行った。確かに大統領のリンカーンに纏わる建物のようである。しかし、観光客が全然いない、
リンカーンの生誕地なのか、青年時代にいた町なのか、皆目わからなったが、その施設の
周囲を歩いてみた。煉瓦作りの立派な建物であり、紛れもなく、リンカーンの記念館のようで
あった。私はその施設の用地の周囲を歩きながらリンカーンのことを思い浮かべていた。
「人民の人民による人民のためための政治」は有名な言葉である。日本でもリンカーンの
偉大さの教育を受けているのだから、ここアメリカでは絶対的に有名な政治家であろうと思っ
た。それにしては、一地方のやや小さすぎる建物である。想像すれば、多分に幼少の頃に
いた町か、一時住んでいた町か、職に就いていたころの町か等を考えたが、分からないので
早めに退散をした。州間高速道路IN80に戻り、次の州ワイオミングを目指したのである。
相変わらず、山、谷、畑等を見ながら走っている終日であった。
                    アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2017年1月1日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(中心地)・・・12

2017.1.1日 快晴 午前5:18
 今日は元旦、又しても年を一つ取ってしまった。昨年は悔しいことを今年は挽回したい。
アメリカを横断中にオマハという町がほぼ横の真ん中に位置する町であることを知った。
そこで泊まることにし、夕食をスーパーへ買い出しに行った。駐車場に車を置いて、店に
入ろうとし、横断歩道でないところに立っていたら、老人の運転する車が停まり、運転席
で手を挙げどうぞという仕草で優しく、渡ることをOKしてくれた。これぞアメリカの神髄な
る精神と感じた。スーパーの中でも店員から、優しい眼差しで私たちの買い物の手助け
を感じた。アメリカ大陸の横断開始から五日目の日である。優しいアメリカを感じ、うれし
くなり、私たちの心はアメリカ人の心に感動をし始めていた。夕食を買い、モーテルの泊り、
部屋で夕食をとった。アメリカ人の夕食と同じものであり、私達日本人のは到底合わな
が、昼間の嬉しい経験を論じながらの夕食で有ったから満足感は得られた。夜半に目を
覚まし、窓越しから夜空を眺めて郷里のことを思い出してしまったのであった。夜空には
大きな月と無数の星がキラキラ輝いていました。そう言えばアメリカの国旗にも星が散り
ばめられているな。何を意味するのかな。私は無知で分からないのである。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝