2016年8月25日木曜日

照沼重輝の中国彷徨記(北京初体験)・・・4

2016.8.25木 快晴 午前6:22
 北京に初めて行ったのは1982年の34年前であった。当時の北京空港は歴史の発展
に置いて行かれた鄙びた国の空港のようであった。茨城県日中友好協会の団体に混じっ
て訪中したのであった。当時の中国は長らく閉ざされた国であったが、鄧小平の政策の
改革開放政策で、国がやや夜明けの薄明かりが射したような状況であった。夕方、北京
の薄明りの空港を出て、お迎えのバスに乗りこんだ。空港から北京の町に入るのは旧道
を通っていった。農村住宅街を抜けて町に入っても電力不足のせいで町の灯りが乏し
かった。その暗闇の中を人々が涼を求めて散歩をしたり、公園の灯りの下で卓球や
玉突き、テープをガンガンかけてダンスを踊ったりしていた。男は人民服で女性はおっかぱ
頭で地味な服装をしている。町の中に人混みがあるので目を見張ると、口論している
2人を眺める人混みであったりした。とにかく人混みが見たことのない人数であり、人民
パワーの坩堝を目のあたりにした。ホテルに着いたが、バーや資本主義特有の派手な
キラキラ感が無く、とにかく寝るだけを備えたようなホテルであった。しかし、ホテルは
五つ星であり、かの有名な北京ホテルであった。誰かとぶつかり腕時計のガラスが割れ
たので修理をしようとホテルマンに聞いても何の解決策も講じてもらえなかった。とにかく、
北京は当時の東京と比べて40年は遅れた町であった。最近の北京は凄まじい発展を
した町となっているのだが・・・・・・。
 明の墓や有名なところを歴史も知らずに見学したことだけは覚えているが、本当の
庶民環境は見学できなかったが、その後に度々北京を訪れ、庶民生活のの真っただ中
を今も歩いているのである。覚えているのは北京ダッグの有名店で当時の要人と会食
ができたことである。次回は済南滞在記を記します。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

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