2016年6月29日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(南下)・・・24

2016.6.29水 曇天 午前5:54
 アメリカ大陸を脊髄のように流れているミシシピー川を横切ると大陸の南部
に向かうことになる。テネシーを過ぎメンフィス辺りで横切ったのである。俺は
幾多の町を通り過ぎ、ダラスに向かっている。メンフィスからリトルロックという
町の近くになった。夕方になったのでモーテル探しが始まる。一軒目は満員、
二件目も車が一杯停まっている。しょうがないので二件目のドアをノックした。
中年女性がカウンターにいた。部屋があるかを聞いたところ、禁煙室は無い
というので、しょうがなく喫煙室を取った。車を駐車場に入れて辺りを見合わす
と、近くにインデアン経営のカジノがある。分かった、周辺のモーテルはカジノ
の客で一杯なのだ。だからタバコが吸える部屋もあるのだ。喫煙室で良いと
言ったので諦めて部屋に入った。タバコを吸わなくなって10年過ぎた肺なので
喫煙の匂いがとても身に染みるようになっていた。匂いを気にして寝られるか
否かの自信が無く、ベッドに横たわった。あくる朝、いやな感じで目が覚める
ことになってしまった。次回はアメリカでの喫煙者の環境を記します。
          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年6月27日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ミシシピー川)・・・23

2016.6.27月 快晴 午前6:39
 アメリカを彷徨している時にはいつミシシピーを渡れるか考えるが、どうやら
ミシシピーは一つの区切りらしい目安のようだ。アメリカの南部を旅している時
はニューオリンズの周辺で横切るが、中部を旅している時は、メンフィス周辺
で横切る。中西部を旅している時はアイオワ周辺でこの川を渡ることになる。
 ミシシッピーはどうやら河口はニューオリンズであるが、上に辿っていくと、
メンフィス、セントルイス、五大湖周辺のシカゴの太平洋側を渡り、ミネアポ
リスの大西洋側のスペリオル湖まで行っているようである。(地図確認無し)
 俺はアメリカの縦断横断の時、いつもミシシピーを超えたら泊まろうと思った
り、超えたら飯にしようと考えたりする。昔の映画で見た蒸気で動く水車の
大型船と入道雲を思い浮かべ、浪漫に耽りながら、車を前に進めるのである。
力強いアメリカのエネルギーは果てしない大地とその開拓精神によって支えら
れているのである。アメリカと日本人の接触があと数世紀ほど早かったら、
大きな戦争も避けられたかもしれないなとも考えてしまった。旅はいろいろな
思索に耽る機会でもある。
          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年6月24日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(島国人)・・・22

2016.6.24金 曇天 午前6:47
 モーテルの朝は忙しい。午前5:00時頃になると出ていく客がある。アメリカ
は広いので仕事現場へ行くのに1時間は通常のようだ。聞くと、2時間や3時間
もあり得ると言う。この時間帯は暁の出勤というわけであるが、俺たちはのんび
り8時ごろにモーテルの食堂に入り、旨くもないアメリカパンを食べ、コ-ヒーを
飲み、食堂を出る時に小さなフルーツのリンゴをポケットに入れ、今日のスケジュ
ールを話し合うのである。全員が自由精神なので、あまりその話を真剣に聞かな
い。「フムフム」などと言って相槌は打つが、旅はその日の気のままでこなされて
いってしまうのだ。各自が食事の開始から終わるまでの時間は約20分くらいで
終わる。これ正に朝の一瞬の時間である。このような朝を何回ほど過ごしたで
あろうか。それでも俺は時間が節約できたと喜んでいるのだ。忙しく動く島国人、
ゆったりと動く大陸人、どちらが、より良いのか今でも結論が出ない島国人の
俺である。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
安めのモーテル、一泊6,000円程度

2016年6月22日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(深夜音)・・・21

2016.6.22水 曇天 午前7:03
 ワシントンからテネシーに向かう途中、眠れないまま深夜音を聞いて旅の
旅愁を深く感じた。夜半に目が覚め、眠れないまま、耳を立てて、大陸の地球
の深夜音を楽しんだ夜があった。
 遠くから大陸横断鉄道の列車音が聞こえる。その合間に風の音が聞こへ、
そして、木々の揺れる音が聞こえた。深夜の列車音は一定のリズムで聞こえ
やがて遠ざかっていく通りすがりの音であった。風の音は人間の力を寄せ付け
ない凛とした音である。木々の揺れる音は人間に注意感を持たせる音である。
いずれの深夜音も人間に愁いを与えてしまうのである。俺は寝られないまま
寝返りをうって、右の耳と左の耳、それと全身で深夜音を耳から体内に入れた。
 日本から1万キロ以上離れたアメリカ大陸で詩人になった気分で寝られない
ままの夜を過ごしている俺であった。これ正に旅の愁いか憂いか分からない
夜である。
           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝 

2016年6月21日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(夜の音)・・・20

2016.6.21火 曇天 午前6:46
 ワシントンを出て初めてのモーテルはどこだか分からないで泊まった。安め
のモーテルを探して泊まろうとなった。夕方遅くにそのモーテルに入った。イン
ド人がクロークにいて、宿泊手続きをしてくれた。いつものようにパスポート
を出し、鍵を貰い部屋に入り、各自が自分の荷物を自分の部屋に入れた。
 しばらくすると、O氏が叫んだ声が聞こえてきた。「部屋に誰かいるみたい」
俺は部屋に吹っ飛んで行き、「何の音だ」と叫んだ。O氏は「不気味な音が
聞こえる」と言う。俺は「どれだ」と叫ぶ。この時点では、O氏の屋根裏に動物
でもいるのだろう思った。屋根裏の動物だから危険性は少ないと考え、やや
安心した。O氏が違う、この音だと部屋を歩くと「ビシーン、ミシーン」と足元から
聞こえてくる。あれ、俺は叫んだ「違うよ、床の作りが悪くて、その音だよ」と
咄嗟に言ってしまった。全員が耳を立てて、その音を何度も聞いた、やはり
床の作りが悪いので音が出るんだよとなった。笑いながら、ハッピーエンド
となり、解散をした。
 その夜、俺はアメリカの深夜音を聞いてやろうと思い、起床時間を午前2
時にセットし、期待しながら眠りに入った。次回はアメリカ南部の名の無い
町での深夜音を記します。
           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年6月20日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(農民ドライブイン)・・・19

2016.6.20月 雨 午前6:17
 アメリカ農民が経営している食堂に入った。野菜、肉類、乳製品類など全部が
新鮮でした。バイキング方式であるから食べ放題であり、料金は20ドルだった
と記憶をしている。野菜はどこまでもみずみずしく、香りがこおばしく、直ぐ食べ
たくなるようであった。肉類はアメリカ大陸に比例しているような巨大さである。
日本人ならば、一人前を二三人で食べなくてならないような巨大さである。
乳製品は牛の体から直接出てきたような風味があり、その一つ一つの量が
大量であった。俺は太めなので物怖じをしながら、各食べ物を皿に取った。
 テーブルの戻り、友人たちの皿を何気なく見る。アメリカ人に負けないような
量を全員が皿に盛っていた。そっと当たりのテーブルの皿を盗み見た。驚く、
アメリカ人は、多めにとった我々の量の二倍前後を盛っているのだ。俺は頭の
中で胃袋の形と大きさを描いた。日本人の胃袋は茶碗サイズ、アメリカ人の
胃袋は小型のバケツサイズかなと考えてしまった。そのような人種と戦争を
した日本人の無謀さを思い出してしまった。俺はそのことが頭から離れず、
寒々として食堂を後にした。
        次回はモーテル内の亡霊音を記します。
しばらくはこのような気分で走りました。

2016年6月18日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(アパ山脈)・・・18

2016.6.18土 快晴 午前7:00
 首都ワシントンから短時間でアパラチア山脈に入った。山脈の頂上乃至
中腹をダッジ6人乗りで飛ばした。初めは周囲の美しさを見とれている余裕は
無かったが、慣れてくると徐々に景色が見えだした。いつも山々の景色を眼下
に見て走れた。東南の大西洋側の山々や町並みが紫や緑になって目に入る。
南側で目に入るものは森林だけだが、まじかに見る常緑樹は美しかった。西の
太平洋側は山を見上げるだけである。北側は後方であるから、バックミラーで
しか拝めなかった。しかし、車内で仲間は楽しい話や行程についてお喋りを
楽しむ。俺は黙々と車外の予測できる危険性と対処法を考えて走っている。
  時折、直進してくる車と出会うが、全く危険性は感じられなかった。山賊や
交通事故とあったらどうしようかの方法は俺の中で構築されているので、不安
感は湧出してこない。
 アメリカの山々は正に自然の宝庫である。そこの空気を腹いっぱい吸い、
肺一杯吐き出した。正にこの瞬間が旅をしていることを感じるのだった。やがて、
昼食時間になり、農民が経営するドライブインに入った。ここの野菜類が素晴ら
しく美味しかったのは言うまでもなかった。
 次回は農民ドライブインを記します。
           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝 

2016年6月17日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ワシントン)・・・17

2016.6.17 金 曇り 午前6:09
   早朝7時、モーテルを出発した。意気揚々とワシントンのホワイトハウスを
目指した。2時間後にその周辺に着いたが、ホワイトハウスの場所が分から
なかった。俺は観光客がザワザワしながら歩いていく方向へハンドルを切り、
有料駐車場へ車を入れて、アメリカの観光客の列の流れに沿って、全員を
誘導した。やがて、森の中から世界の指導者が住む、かの有名なホワイトハウ
スが見えてきた。注意をして辺りを見ると大統領警護隊が目立たないように
立っている。ホワイトハウスを良く観察すると、敷地の広さは50,000㎡?くら
いとにかく広く、建物の玄関も重厚であるが自由さをアピールしているようなデ
ザインである。敷地の周囲の塀は金網でなく、人が入れないほどの幅を持った
隙間があるだけでホワイトハウスの敷地内が良く見える。今にも大統領専用車
が入ってくるような雰囲気を醸し出しているホワイトハウスである。仲間たちで
ホワイトハウスを背中にした写真を交互に何枚も写した。ホワイトハスを見学
に世界中から観光客が来ているようであった。敷地の後ろを見ようと思ったが
広くて歩くのが大変と思い辞め、次の目標地点に移動しようと全員を促した。
「さあ、先は永い」の言葉が全員の足を動かしたのであった。これはアメリカ三日
目の朝であった。インターステイト95から西に1時間ほど入り、アパラチア山脈
の頂上又は中腹を抜けてダラスに向かうのである。
 次回はアパラチア山脈の美しさを記してみます。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年6月16日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(日程協議)・・・16

2016.6.16木 雨曇り 午前6:17
 早朝にワシントンに入りホワイトハウスを見学、そこから西に進路を取り、
アパラチア山脈の麓を通り、ナッシュビル、メンフィス、リトルロック、ダラスに
至るルートを取ることにした。全員賛成となり、酒宴が深夜に及んだのは
もちろんであった。1人がつぶれ、2人目がこっくり居眠りをはじめ、俺は
欠伸が止まらなくなった。時計を見ると午前零時を過ぎていた。改めて日本人
の酒宴はヘビーであると感じ、酒席を辞退して部屋に戻り、着衣のままベッド
に倒れ込んだ。明日は健康のために飲まないと念じたまま不覚に陥って
しまった。
 翌朝、俺はふらふらする頭と体を持て余しながらモーテル食堂に行った。
全員から元気の良い「グッドモーニング」の挨拶を受けた。俺は心の中で
何が「グッドモーニング」だと思いながらも、更に元気の良い「グッドモー二ング」
を返したのであった。今日からの行程を満足したような全員の笑顔をみて
俺は楽しくなってしまった。思えば、俺は何時でも他人を喜ばせようと考えて
いるタイプである。これは一生変わらないだろうと思えた。
 次回はワシントンに入ったを記します。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年6月14日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(再出発)・・・15

2016.6.14火 晴 午前6:00
 一昨日、ベトナムから無事戻れた。38度のベトナムはとにかく暑く、火鍋の中
にいるようだった。俺は今度の旅行を休養と位置付け、何も考えないで、寝て、
食べて、欠伸をして、息を吸い、すごす旅にした。その通りになり、参加者の
皆さんと、ガイドから言われるままに黙々と歩いた。ベトナムも中国文化圏
であったことを、今度の旅で再認識ができた。
 さて、アメリカの話に戻る。俺たちはタイ人の経営する食堂で昼食を取り、
道筋を再確認をして、再度の出発をした。方向は東南でIN95に乗り、ワシン
トンに向かった。今回は結構スムーズに目標に沿って走れた。但し、遅い出発
であったから、300kmほど走ったら、ワシントンの手前の名の無い町に停まる
ことにした。モーテルはすぐ見つかり、午後8時に安めのクオリティ・インに入った。
朝飯はコーヒーとパンだけは出るモーテルである。付け加えれば、朝食有り
というだけのモーテルである。パスポートを出し、テェックインをした。ここまで
の手順を私が行い、今後の代役が不便でないように見本を示したのである。
 モーテルで荷を解いた俺たちは夕食探しに出た。町の明るい方に向かって
走ったら、直ぐ中華風弁当屋が見つかった。疲れた全員の顔が明るくなり、
「今夜は到着祝い」をやろうということになり、大量多種の弁当を買い込み、
途中で冷たいビールも買い込み、疾風のようにモーテルに戻り、晩酌会を
始めた。次回は明日からの日程の協議について記します。
          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年6月8日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ありつけた)・・・14

2016.6.8水 曇天 午前6:28
 マンハッタンを出られたと思ったら東南に行き、バックして修正したら、マン
ハッタンが遠くになり、とにかく右往左往してしまった。昼をまだ食べていない
ことを思い出したので昼食をとることにした。俺たちはマンハッタン周辺のどこ
かにいるようだ。俺は必死になって看板や道路標識を探した。クイーンズと
書かれた何かが見つかった。俺は猿の惑星という映画を思い出した。周り
回って帰ったら、そこは地球のニューヨークであった話だ。俺たちはそこまで
スケールは大きくないが、周り回ったらニューヨーククインズだったのだ。
駐車場を探し車を停めた。タイ料理店が目に入ったので、その店に入り、
スパゲッテーを注文した。経営者はタイ人の女主人であったので、アジア人
どおし直ぐ仲良くなり、道などを聞いたりできた。道を聞いたりしたが、
その前提の周辺の方向や町の名前がさっぱり分からないので、聞いても
ピンとこない話になってしまったが、多少はプラスになった。思うに、知らな
地域での道路を聞く方法は、予備知識をためておかないと役に立たない話
で終わってしまうのだ。これは参考に出来ると思いながら、スパゲッテイに
ありついた。
          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年6月7日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(異変)・・・13

2016.6.7火 曇り 午前6:38
 俺に異変が起きてしまった。今まではニューヨークから簡単に他の州に出られ
が、今回は方向がずれてしまったのである。マンハッタンを背中にしてIN95に乗
るつもりが、IN78に乗ってしまった。そうすると、俺は南に向かうはずが、南東に
向かってしまったことになる。暫く走行して方向を変えようと思い、知らないふりを
して運転していたが、鋭い友人が「方向が違う」と言った。俺は「分かっている」
と言い、なお運転を続行した。全員を落胆させたくなかったからである。それでも
IN95がどんどん離れていく。俺は覚悟をして「間違った、戻る」と言い、IN78の
出口を降りた。心を鎮めるためにゆっくりUターン場所を探した。全員が沈黙した。
 俺はやせ我慢をして「急ぐ旅じゃないよ」と言ったが、皆に悪いなと思ってしま
った。内心焦った。深呼吸をして五感に酸素を入れた。皆が騒がしくなってきた。
「あっちだ、こっちだ、真っ直ぐだ」と聞こえてきた。俺は太陽を見た、既に太陽が
落ち始まっていた。時計を見た。マンハッタンを出てから2時間が経っていた。
落ち着いてナビをセットしたが、全面的に信頼できる日本のナビのようでない。
 俺は東西南北の磁石で方向を決めようと、磁石を取り出し、全員にワザと
ゆっくり言った。「最後には行きつくから心配しないで」全員に笑顔がこぼれた
が、内心は失敗したなと思いながら、エンジン開始をした。次回はクイーンズ
で昼食にあり付けたを記します。
           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年6月6日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(合流~)・・・12

2016.5.6月 曇 午前5:54
 ダラスの友人とニューヨーク・ラガーデイア空港で無事合流をした。これで
総勢5名のアメリカV字横断の隊員が揃った。車はダッジ6人乗りだが全員の
バッグを載せると1人は小さくなって乗るほかなくなった。前座席1人、後部
座席に2人、最後列の座席に1人が乗った。各人の自己紹介も必要がない
ほど知り合いだった。最初の運転は俺がやり、徐々に慣れてきたら全員が
交代をするということで空港を出た。ラガーデイアはイースト川の東にあるの
で進路を南に取るほかなかった。それでルート278に乗り、マンハッタンを
横切り、ニュージャージ州に入り、IN95でワシントン方面に向かう旅路で
ある。ワシントンでホワイトハウスに立ち寄り、アパラッチ山脈上のINを
走り、ダラスまで二泊三日の予定で行くことにした。
  ナビ係はI君、通訳係はS君、食料係はT君、運転は二時間交代か300km
交代にする。全員の意見を尊重し、合議制で物事を決定する。このような
ルールで先ずは出発した。
  しかし、異変が起きてしまった。それは次回に記します。
          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年6月4日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(空港駐車)・・・11

2016.6.4土 快晴 午前6:59
  俺たちは車を飛行場の一番便利な待ち受け場所に入れた。しかし、ここは
駐車違反なので、一人は見張りということで車内に残り、他の友人たちは飛行
場見学に行ってしまった。残ったのは俺で犠牲的精神を発揮した。アメリカだか
ら歩道を右に見て駐車することになる。無論、運転席も右にある。俺は目を狐
目にして辺りを注意深く見た。警官とパトカーが対象である。パトカーが何も
言わないで立ち去った。助かったと思ったが、昔を思い出したことがあった。
アメリカ警官はエリア外で余計な仕事をやらないのである。それで、一回目の
パトカーは助かったのであった。二台目のパトカーが来た。マイクで叫んでいる
「ここに停まるな」と言っているのだと思い、俺は車を発車させた。一回り回って
くれば行ってしまうと考えた。アメリカの空港周辺の一回りは大変なことだと
思っていたが、ラガーデイア空港は特に大変であった。右左、右左と車線を変え
てもとに戻ったら、パトカーがまだいた。それでパトカーがいなくなるまでに
三回りをしてしまった。戻ったら、友人たちは車がないので電話をかけてきた。
「どこに行っちまったんだ」俺は「空港を三回りしている」というと、友人「早く
戻れ」と言ってきた。俺は大声で「ここは成田と違うのだ」と言って憂さを晴ら
したのであった。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年6月3日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(住宅街)・・・10

2016.6.3金 快晴 午前5:56
 庶民住宅街に行った。そこは明らかにニューヨークの庶民街であった。
庶民街と分かるのは、車庫小さく、車小さく、庭小さく、家が小さい(但し、日本
より大大)が、塀が無く、隣との敷地争いなど無いような開放感がある住宅
街であった。我々は道路に車を停めてアメリカ庶民ウォッチングをやった。
 パパ、ママ、子供二人の組み合わせが車でどこかに出かける光景に出会っ
た。幸せそうな笑顔で車に乗って出かけた。古今東西、家庭の全員の笑顔は
素晴らしい輝きをしている。次は、引退したような人が草花に水をやっていた。
青青しい草花が水をくれた主人に感謝を述べているような風景であった。
草花の青青しい茎と真っ赤な花のコントラストが美しかった。俺は聞こえない
ような声で主人に「もっとやれー」と囁いてしまった。どこかの家から青年が
大声で歌う声が聞こえてきた。若々しい溌剌とした声である。俺も下腹に力を
入れて声を出さないで、その歌をなぞって歌ったが、すぐやめてしまった。
聞こえたら大変と思ったからである。 ここを離れようと考えた、理由は不審者
通報を受けたら大変と思ったからである。次回到着・・・・・。
          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年6月2日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(庶民スーパー)・・・9

2016.6.2木 快晴 午前6:49
 ニューヨークには三ヵ所の国際飛行場がある。世界路線と国内路線の飛行機
の飛行機の離着陸を全てここでまかなうようだ。参加者全員の友人がダラスか
らラガーデイア空港に来るので、俺たちは時間つぶしに飛行場の近くのスーパ
ーに入り、生活様式見学と洒落込んだ。
  庶民スーパーの入り口は日本のドン・キホーテと似ている。入り口狭く、安売
りの雑貨品が所狭しと並んでいた。生鮮品、肉店、野菜売り場、お惣菜、瓶類
等、日本のスーパーとうり二つである。当たり前だ、日本がアメリカのスーパー
を真似したからである。店内で忙しく品物を並べているのは有色人種が多かっ
た。レジ等もその類であった。一回り、二回り、三回り、次第に品物を詳細に
観察できるようになった。その中でも、日本人が食べる米類を観察をした。
日本の米は売っていないが、アジアのタイ米が売られていた。アメリカでも
米は十分に取れるが、タイ米を売っている。安いからだと思えたが、店員に
質問をする気になれなかった。彼はそのような事情まで知るわけがないと
思ったからである。次に魚売り場を見てみたが、興味が湧くような日本式の
魚は売っていなかった。スーパーの駐車場を観察したら、古い中型車以下
が多く見られた。次はスーパーの裏手の庶民の住宅街を見ようになったの
でスーパーを去ることにした。
          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2016年6月1日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(再度進入)・・・8

2016.6.1水 晴れ 午前5:59
 ホテル代を安くするためにマンハッタンに泊まらず、ニュージャージ州に
一旦出て昨夜は安いモーテルに泊まった。朝食付きなので食堂に行ったら
コーヒー、リンゴ、パン数種、バターとジャムだけの健康朝食であった。アメリ
カのモーテルの朝食付きはこんなものである。それでも朝食付きのモーテル
は魅力的なのである。コーヒーだけなんていうモーテルはザラである。美味し
くないので直ぐに食堂を退散し、レンタカーのダッチ6人乗りに各自の荷物を
載せて出発した。アメリカモーテルの朝の精算は特に簡単である。鍵を持って
フロントに置いてくればそれで済みである。
 俺たちはIN95から495に出て、9Aを横切りミッドタウンに出て、マンハッタン
島の北側にあるラ・ガーデイア空港に行かなくてならないのだ。そこでダラスから
くる友人の日本人と落ち合うことになっているのだ。その飛行機は午前11時頃
に着陸する予定であった。時間が多少あるので、先ずラガーデア空港周辺に
行って、その近くで友を待つことにした。俺が考えた時間つぶしは、アメリカ
庶民の生活を見るためにスーパーに行く、次に住宅街に行って生活形態を
観察し、危なくない道路を右往左往している。このスケジュールで出発をした。
 次回は下町スーパーに行ったを記します。
            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝