2016年1月1日金曜日

照沼重輝の中国彷徨(最初の上陸地)・・・1

2016.1.1金 曇り 午前6:17
 俺は中国大陸には200回以上の訪問経験がある。最初の上陸年度は1987年と記憶
しているが、それは日中友好訪問団で政治的目的が大半の訪中であった。しかし、中国
要人と円卓テーブルを囲んでの食事は後々に大変有利な経験となった。その旅行は、
北京~上海を周りながら、その地区の要人と友好を深める旅であったが、中国に更に
深くは入らない視察であった。その後、俺の住んでいる東海村に上海から三余名の留学
生が来ていて、その留学生から支援を求める連絡が日中友好協会へ入ったので、俺が
その支援役をやることになった。留学生は東京大学の原子力関係の研究所にいた。
俺から電話をして訪ねて行った。留学生全員が核物質利用の研究をしているようで
あった。その研究所ではくだけた話もできないので、外の食事場所に誘ったり、名所
旧跡を案内をしたりして友好を深めた。数年経ち留学生が帰国をしたが、そのうちの
1人から御礼状と上海への招待状がきたのが、俺が中国へ入り込んでいくきっかけ
である。
  当時の上海飛行場は上海の西にある虹橋飛行場であった。降り立つとまるでアジア
の奥まった飛行場のようで質素そのものの飛行場に見えた。その降り立った年度は
1901年の夏だったと記憶をしている。医師、貴金属商、俺とでバカボン三兄弟の
ようないで立ちで、虹橋飛行場からY留学生(要人なので名前を伏す)のお迎えで市街
に入った。町並みは暗く空気も汚れていた。その夜はどこに泊まったかの記憶は無い。
人民服の人をやたらに多く見かけた。ネオンも少なく、侘しい町と感じた上海であった。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
  

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