2015年12月31日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨(目指す)・・・新50

2015.12.31木 曇り 午前8:00
 水戸弁で・・・今年の最終日の散歩に出た、暗いうちに出て細浦に降り、真砂山に登り
三社に参り、関係する皆様の健康と発展を祈願してきましたので、ホッとしたよ。
 第50回でアメリカ彷徨記を終了しますが、次からは中国彷徨記を記す予定です。但し、
中国の旅は浪漫が少ないので、長続きはしないかもしれないと思っていますが、出来る
だけ頑張ります。
 さて、アメリカ彷徨記は書き足らないところが一杯ありますから、気が充実したら再掲載
をします。それとアメリカ大統領選を観戦予定をしています。多分に9月か10月のヒート
アップしている頃を推測をして訪米します。10年前にクリントン元大統領を水戸市に
招請講演をいただいて関係からヒラリークリントンを応援しています。民主党か共和党か
実に今までになく興味深く観察をしています。
 アメリカの旅も17年に及んでいますので、興味深い話を原稿なく記載できるようになっ
ていますし、中国の旅も27年間で200回は訪中していると思いますので、原稿なく記せ
ます。
 来年の彷徨の始まりは27年前の上海上陸から記す予定です。俺も楽しんで記します
のでよろしくお願いいたします。
 来年の皆様の年が良い年でありますように祈念しております。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年12月28日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(R66の出会い)・・・49

2015.12.29月 晴 午前7:00
 水戸弁で・・・今日は非常に寒い朝であったけど、思うところあり、俺は早朝散歩に出たんだ。
 R66を走っていると、ハーレー集団やクラシックカー集団、それに特車集団と出くわす。
アメリカ文化を見ているようで楽しい。老夫婦か老アベックが仲良く派手派手の特車に
乗り走っている。陽気なヤンキーというわけである。俺は彼らに近づきたくなり、駐車場に屯
している彼らに近づいた。右手を挙げて近づく、彼らの目と俺の目が合う。俺は笑顔で合図を
する、彼らも笑顔で頷く。俺は「どこまで行くの」と聞く、彼らは「走っているだけ」と答える。
俺は親指を立てて特車を褒めると、「サンキュー」のアメリカン的な挨拶が返ってきた。年の
ころは70歳前後と見える。ヨーロッパから大西洋を渡り、アメリカ大陸まで来た末裔である。
アメリカ大陸を数百km走ったところで、なんの疲れも感じないのだと思った。島国の日本で
住んでいる我々からすると測り知れないパワーを持っているアメリカ人であると感じた。
大陸に住んでいる人は体が大きい、島国に住んでいる人は比較的に小柄である。住んで
いる土地の面積に体が比例するのかと思えた。次回は第50回目の掲載であるから、
舞台を30年前の中国大陸に移して掲載します。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年12月23日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(R66)・・・新48

2015.12.23水 晴れ 午前7:40
  R66が右前方に見えてきた。左右1車線の道路でどこまでも真っ直ぐに伸びている。
俺はしめたと思い高速の出口から出てR66に向かった。子供の頃テレビで見た懐かしい
R66の標識が高い電柱にも張り付けられていた。いつしか走ってみようと思っていたが、
こんなに簡単に乗れるとは思ってもいなかった。幸い田舎の鄙びた道路のように見える
ので、急いでいる人は来ないし、有名な箇所でもないので忘れられた道路になっている。
俺は映画の場面を思い出し飛ばした。ここまでは夢のようである。少年の頃に見た数々
のシーンを思い出して更に飛ばした。気が付くとメーターが100マイル辺りを指していた。
100マイルは日本でいうと160km程度になる。どうりでエンジンが唸っているはずだ。
周りの景色も見ないで神風になっていた。俺は呆れた。一人旅はいつも自分自身を
客観的に見ることを忘れる。小一時間ほど走ったろうか、道路の幾層の坂の頂上に
バイクのハーレーの集団が見えてきた。20人ほどが隊列を組んで走ってくる。大柄な
人ばかりだ。髭、派手な革ジャン、皮ブーツ、そっつり返ってハンドルを握っている。
ハーレーの乗り方は同じようなスタイルをする。俺は先頭の親玉に窓を開けて親指を立て、
ハイウエー独特の仁義を切った。脅されるか、応答をしてくれるか、心配であった。
  アメリカの道路上でのルールは俺は分からないが、よその土地ではどんな集団でも
頭を低くして入ればいちゃもんはつかないだろうと考えたのである。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
















2015年12月21日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(どこに行くか)・・・新47

2015.12.21月 曇り 午前8:00
 モーテルに戻りどこに行くかを決めあぐねていた。体調は良好、夢はしぼんでいないので
良い発案ができた。近くにオールドR66がある。そこに乗って、日本人の誰も走ったことが
無い道路を走ろうと決めた。R66はシカゴからサンタモニカ海岸まで通じているが、有名
の箇所は誰でも知っている。無名の箇所を走ってみようと考えた。いつだったか、偶然に
シカゴの始点に行ったことがある。偶然にみたR66の始点は何の変哲もなかったが、俺の
心に深く刻まれていた。R66の終点までにいくつのか州を走り抜けるのだが、今回はテキサ
ス州の名もない一部の所に行ってみようと考えた。乗るまでに200KMはあるから、9時に
スタートすると、11時頃にはR66の上に立てるだろうと考え、エンジンキーを回した。
「ブルールーン」幸先が良いエンジン音が轟いた。市道から国道へ、そしてIN4へ乗り換え、
快適に走った。小さな町を横目に見て、森を見て、川を見て、大放牧地を突っ切り、ひたすら
オールドR66へ向かった。遠くに牛の群れやサイロが見える。テキサスの北部は牧畜業が
中心のようだ。牛がのんびりした動作で動く、草が強い風でなびいている。俺は疾風のごとく
IN4の入り口を後にした。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年12月19日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(超早朝の繁華街)・・・新46

2015.12.19土 晴れ 午前7:00
 しばらく載せないでいましたが元気です。載せない理由は他のことで早朝時間を費やして
いました。
 さて、アメリカでの早朝散歩を記していましたので続けます。町のメーンストリートを外れて
繁華街に入りました時の様相を記してみます。広い道路から中に二本ほど入った時の話です。
どうやらそこは夜の街のようでした。レストランやバー類などの店が犇めき合っていましたが、
昨夜の蝉噪が嘘のように静まっていました。飲食店から出た食べ物や飲み物の残骸が散ら
ばっていました。好奇心旺盛な俺はゴミ箱の酒のボトル類を覗き込みました。ウイスキー、
ワイン、バーボン等の空き瓶が散乱し、食べ残しの肉類も無残に捨てられています。ここは
アメリカ中西部の町ですが、食べ物の残骸を見るとなかなかの経済自力がありそうです。
夜の繁華街は世界中のどこでも同じような光景です。「バタン」と音がして一軒の店から黒人
の大男が出てきました。足元がふらついていますので、昨夜から飲んでいた男のようです。
目は虚ろ、口の周りは唾液がべったりです。俺に向かって「カモン」といいました。俺は聞かな
ないふりをしてその場を去りました。彼は大声で「カモーン」とまた言っていました。俺は笑顔
で手を挙げて立ち去ったのです。その大男はもっと大声で「カモーン」と言いました。なんだ
か昔見た映画の「シェーン」の場面のようでしたが、酔っぱらいバージョンと言える場面を
朝の散歩中に味わったという話になりました。笑笑笑
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年12月10日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(早朝暗闇散歩)・・・新45

2015.12.10木 曇り 午前7:10
 水戸弁で・・・午前6:00散歩に出た、霜が真っ白に月明りで輝いていたな・・・。
アメリカのダラスから800km離れた町に泊まり、早朝の散歩に出てみた。暗闇を1人で
歩いたら、向こうから大男が歩いてきた。目を凝らしよく見ると、黒人の大男である。俺は
気勢を制し「グッドモーニング」と元気良く朝の挨拶をした。相手も安心したのか元気良く
「・・・・・・・」と言ってくれた。未だ住宅街は眠っているようだが、朝のざわめきが徐々に聞こ
えてくる。但し、住宅街を歩いているので生活音しか聞こえてこない。アメリカでは中級の
住宅街のようだ。止まっている車や庭先が通常のものだ。アメリカの住宅には塀がないの
が普通である。住宅街といっても道路も広く、交差点を渡るのが大変である。アメリカの
交差点は日本と違うので四方八方を良く見て渡らなくてはならない。それに道路の渡る
距離が日本の2倍はゆうにあるのが普通である。約30分歩いだのでUターンをして
モーテルに戻る準備をしたが、同じ道では面白くないので、住宅街の二つブロックを
横切り、方向を見定めて戻り始めた。歩きながらアメリカ人の生活ぶりを観察するのが
楽しいのである。どうやら繁華街のようだから、その模様を次回に記します。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・・照沼重輝