2015年11月30日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(更に西部へ)・・・新44

2015.11.30月 曇り 午前5:40
 水戸弁で・・・外はまだ暗れい、散歩にでられねーな、ブログでもやっぺ。
 西部の知らない町で朝を迎えたが、何時に出て、何時にどこに行くか、決めてない。
ぼんやりとした朝を迎えた。暗いうちの早朝散歩をしようと決めたので、準備を始めた。
運動着、運動靴、手袋、護身用具、防止、少量の水等を身に着けて外に出た。東の空が
赤みを帯びてきているが、・・・・・とりあえず終わり

2015年11月28日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(夜半)・・・新43

2015.11.28土 晴れ 午前7:50
 水戸弁で・・・お日様が出ていて気持ち良いから歩いで来たんだ、今夜は飲み会だっぺ。
 テキサスのダラスから700kmの地点で泊まったが、夜半に目が覚めて寝られなくなった。
冷たいベットの上で胡坐をかいて座った。そーっと電気を点け、テレビをつけた。南部訛りの
英語がテレビから流れてきたが、意味が分からないので消した。そうだ、どうせ寝られないな
ら、アメリカ西部の真夜中の音を聞いてみようかと思い立ち、電気を消して耳を澄ました。
外は風があるらしい、ロッキー麓の風音が聞けた。更に、鉄道音も聞こえてきた。線路と
車輪が擦りあう音のようだ。真夜中の静かな鉄道音は北から南へ抜けていった。
もっと耳を澄ますと秋の虫の音色が聞こえてきた。泊まっているモーテルの周辺は草原で
あるので虫が大量にいるようだ。テキサスの田舎の夜半は虫が制覇しているようだ。虫の
音色に耳を澄ますと、風の音も鉄道音も聞こえなくなってしまった。暫く虫のオーケストラを
楽しもうと考え、音色を聴いていると、センチメンタルになってしまったのか、またもや日本
を思い出してしまった。日本のことを思うとキリが無くなるので、今日の楽しい計画に
切り替え、眠りについた。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月26日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(月明り)・・・新42

2015.11.26木 雨 午前6:30
 水戸弁で・・・冷めてい雨が降ってんな、まだ外は暗いな、カーテンを開けても暗いよ。
 町はずれに向かって歩いたら、家の無い地域に出てしまった。弱弱しい街灯が頑張って
辺りを照らしていた。ときおり家畜の雄叫びが聞こえてくる。暗闇の中に田舎の一本道は
消えていく。目を凝らしてずーっと先を見たが、何も目玉に入ってこない。思わず立ち止まり
更に先を見ようと目を凝らす。何も見えない暗闇を睨んで立ちすくんだ。暗闇に危険
が待ち受けているように思えたのである。思わず、後ろを振り返ると誰もいないが、背筋が
寒くなり、このへんで引き返そうと思った。街の明かりまで数百メートルもあった。乾いた
道路と秋の月が俺の足元を保護してくれている。乾いた道路と月明りが有難く感じた夜で
あった。無事に町に入り、古びたかび臭いアメリカの飯屋で、先ほどの見えない道は
どこまで行くのかなと考えながら、寒々と夕食を摂った月明りの晩であった。夕食を終え、
モーテルの部屋で、淋しく首をうなだれて食後の晩酌をやりながら、日本の故郷を思い出
してしまった。明日は明るい日にしようと考えながらいつしか寝てしまったのであった。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月23日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(知らない町の夜)・・・新41

2015.11.23月 雨 午前7:00
 水戸弁で・・・今日雨だー、氷雨が田んぼや畑に冷たい水を飲ませていんだ。
 俺は知らない町で夕食を探している。食欲が増すような肉汁の匂いが街角に澱んで
いた。レストランを窓越しに除いてみた。幾人かの人々がテーブルについて夕食を
楽しんでいる、。スーツ姿やカーボーイ姿、寛いだアメリカ人が見受けられた。俺は
中に入らないで通り過ぎた。次に見たものはコンビニで食事をしているグループで
あった。中に入ると、日本と同じような形であったが、違う部分は商品が盛りだくさん
である。食品、衣料品、生活器具、車両器具等を揃えた小型のスーパーと言っても
良いほどの店の広さである。小型のテーブルが置いてあり、そこで簡単な食事ができ
る。食べているアメリカ人は忙しいようなひとであった。一通り眺めて店を出た。
 腹が空いてきたので、そろそろ妥協しなくてはならないと思いながら決めた。一番
貧弱なところで食べてみようと決めた。町はずれのレストランンを歩いて探した。
           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月19日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(やっとモーテルに)・・・新40

2015.11.19木 雨 午前6:40
 水戸弁で・・・雨が降るので朝の運動を二日休んでいるべ、おもしくねーな。
 夕方になって辺りが暗くなってきた。俺は焦って宿探しを始めた。超田舎のモーテル
はあったが、あまりにも不自然な車が止まっていたので止めた。次に、男女のモーテル
が専門のようなところも止めた。高そうなところも止めて、やっと健康的なモーテルが
見つかり、車を入れた。カウンターに行って、メキシコ女性に泊まれるかを聞くと、ある
と言われたので、パスポートとカードを出して部屋を取った。とても大きいモーテルで
自分の部屋に行くのが車で行くような所でした。俺はイライラしながら部屋をさがした。
ツキの悪い時はそれが続くものである。部屋は三階であり、重い旅行バッグを担ぎ上
げヒーヒー言いながら昇った。部屋はマーマーであり、綺麗なシーツとベッドが心地良
い眠りを約束してくれているようである。夕食は外に食べに行こう思い外に出た。
田舎の町は独特な雰囲気を醸し出している。コンビニや食堂類が立ち並ぶストリート
をぶらぶらして俺の餌を探し始めた。町にはカーボーイハットの紳士や地元レディが
夕方のデートを楽しんでいるようだ。肉を焼く匂いが届いてきたので、そっちに向かう。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月17日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(名も知れないところ)・・・新39

2015.11.17火 曇天 午前7:00
 水戸弁で・・・朝靄で何も見えねー田圃と山間を歩いてきたが早朝思考は出ねなー。
とにかく北西に車を走らせた。アビリーンとかいう町を通り、田舎ハイウエーを通り、
オールド66を目指して走った。遠くに家畜のサイロが見えてきた。町は近いなと思い
ながら夜と昼の間の時間を走っている。丁度昼頃にビリーザキッドが死んだ町を通過
したが、記念館や墓を訪れないで走った。今でも記憶が鮮明に残っている十字路を右
に曲がり、線路下のガードをくぐり、直ぐに左に曲がると、後は一直線に進めば、IN
44号線に乗れるはづであるが、そのIN44号線まで400kmほどあるのだ。俺はハ~
と溜息をつきながら向かった。俺が今走っている、このテキサスの北西部は集中豪雨
に昨夜前から見舞われた地域であった。大きな水溜りが所々に出来ていたが、道路は
冠水していなかったので、フルスピードで走ることができた。今走っている草原や荒れ地
は自然そのままである。開拓や牧場の址は微塵も見受けられなかった。1時間で出会った
車は一二台である。緊張感が全くない道路を3時間ほど120kmで走った。
            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月13日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(どこに行くか)・・・新38

2015.11.13金 晴 午前7:00
 ダラスのモーテルでユッタリ朝食を楽しんだ。パンを食べ、野菜を食べ、肉も食べた。
いつもの安モーテルではこうはいかない。パンがあれば良い方で、無いのが当たり前
のモーテル泊りが普通である。朝食時のユッタリは何ものにも代えられない。そんな
わけでモーテルを出るのが遅くなり、ガラガラの駐車場を出た。西へ向かえばニューメ
キシコ、北西に向かえばR66のオールドハイウエイーに乗れる。ニューメキシコから
サンディエゴに行くか、R66を味わいながらサンタモニカに出るか、一寸悩んだが
R66を味わうことにした。目指すはIN40号線だ、進路を北西に決めた。昔の映画で
見たビリーザキッドの墓を見られるかもしれない。大草原を一日で突っ切り、サンタフェ
方面に向かった。暫く人家の無いところを走った。夕方になり遠くに人家が見えてきた
のでホッとした。草原の向こうに塔が立っているのが微かに見えてきた。美味しい
温かい食事とスープが頭をよぎった。明日はアメリカの田舎町に泊まったを記します。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月11日水曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(一流モーテルの朝食風景)・・・新37

2015.11.11水 快晴 午前7:00
 水戸弁で・・・今朝の散歩はいがった、誰もはつらつと歩いていたな、天気のせいだっぺ。
 ダラス空港の早朝の風景を見てきた後は朝食場所に行った。スーツを着たビジネスマン
らしきジェントルマンや良家のご子息や奥様方で一杯だった。俺は誰にこだわらずでもなく
笑顔を振りまいた。「グッドモーニング」いかにも東洋アメリカ人らしく周りに挨拶をした。
ジュース類ふんだん、果物類ふんだん、ハムソーセージ類ふんだん、生野菜ふんだん、
パン類ふんだん、その他食材ふんだん、であった。東洋人よりアメリカ人は朝食を楽しむ
のか、でかい体に必要な栄養をとらねばならないのか、どちらか分からないが、俺は欲張
りなほど取って食べ物に嚙り付いた。周りのアメリカ人の皿を密かに見た。一番体の小さい
俺の皿が大盛りででかいアメリカ人の皿が小盛や中盛である。俺は体が熱くなるのを感じ
た。腹空かした乞食のように欲張って皿に盛ったのだ。気のせいか俺をジロジロ見ている
目線を感じたので、日本人は・・・欲も、食欲も旺盛なのだと言わんばかりに、パクパク
食べてやった。俺の腹は超満杯となり、コーヒーも入らないほどの胃袋を抱えて、食堂を
早々にでる羽目になった。思うに、アメリカ人の朝食はでかい体を動かすための食事で
あり、日本人の朝食はその日のスタートを切るための食事だと思った。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月8日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(大空港)・・・新36

2015.11.8日 ☁ 午前7:00
 ダラス空港は広すぎてどこに行って良いか分からなくなった。車は流れに沿って走って
いるので急に方向変更や停止は危険なのだ。俺は流れに沿って行くところまで行った。
そうしたら、車は送迎所の前の駐車場に停められた。そこは裏口にあたるところで空いて
いたので、無断駐車をして近くを散策をした。ハーツレンタカーやダラーのカウンターが
あった。ロビーを奥に進み、ダラスの町の案内所のあるところまで進んだ。ここまでで感じ
たのは、日本の二倍以上の広さと重量感が全てにある飛行場である。朝方の飛行場は
周りが忙しく見えて、早々にホテルに戻ろうと考えた。帰り道で飛び立つ飛行機を見た。
滑走路が数本ほどあるらしく数機の飛行機がクロスするように飛び立って行く。日本だと
一定方向にだけ飛び立ったり、着陸していく風景だが、ダラス飛行場は豪快で爽快感を
味わえる飛行場であった。広ーい原っぱの中にある飛行場だが、一つの町の感があっ
た。帰りにガソリンを入れようとしてコンビ二に寄ったところ、黒人の店員が出てきて、
外国カードは50ドルまでと言われ、俺はしぶしぶいうことを聞いて油を入れた。そこは
下町そのものの所であった。給油後に空を見上げると、大型飛行機がグングン青空に
上がっていった。あの飛行機が抱いている油の量と俺の車の油の量を比較したら、
笑いたくなった。ドラム缶とお猪口一杯の量ほどに差がある出来事でした。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月7日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ダラス空港)・・・新34

2015.11.7土 晴 午前7:10
 その日は高級モーテルのマリオットに泊まった。選んで泊まったわけではなく、探しても
無いのでそうなった。昼食付きで一部屋120ドルだったと記憶をしている。部屋が綺麗で
バスタオルもぺっとボトルも二人分ついていた。俺は相変わらず食料と酒を部屋に持ち込
んで夕食を取ったが、買いに行くのが面倒なので、車にあったあまりものを食べた。ブログ
を記しているうちに眠くなったので、いつの間にか寝てしまった。午前4時半に起きてしまい
今日はどこに行こうか考えた。有名公園か有名施設を考えていたが、大空港のフォート
ワースの空港機能を見学しようと思い立った。方向感覚と獣感覚と太陽を頼りに行ってみ
ようと計画を立てた。先ず、地図を見てフォートワースの位置を定め、モーテルからの距離
を計り、現在の太陽の位置を定め、太陽が移動する空のラインを想定し、太陽を中心とし
て目的地に向かうのである。空港まで60kmと分かり、その所要時間は約1時間と計算
した。往復2時間で見学1時間であるから、朝食の締め切りまでに帰れる。午前5:00
に出発をしたが、無事に帰えれるか否か絶えず不安が付きまとったドライブとなった。
とにかくアメリカの車は早い、慣れた道だからそうなるのだろうが、そのスピードに慣れる
までが危険なのだ。俺はそろりそろりとアクセルを踏んで一般道に出た。誰も頼れない、
自分だけが頼りだ、という大陸横断精神を奮い起こし、一般道から高速に出た。市街地か
ら西の方にダラスフォートワース空港がある。太陽を左窓に見ながら、そこに向かった。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月6日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(暗殺場所で)・・・新34

2015.11.6金 快晴 午前6:50
 その場所に立った。俺はケネディと夫人が乗ったオープンカーでの惨劇を忘れもしない。
ケネディがのけ反り、ジャクリーンがオープンカーの後部座敷で膝をついてオロオロして
いた光景を思い出した。そして、その後にオズワルドが護送される瞬間、至近距離から
射殺された光景までを思い出していた。その当時少年だった俺は、世界は崩れていくの
は当然と考えた。それから、50年の現地では多くの観光客が、憂いの表情で眺めている
人やにこやかに観光を楽しんでいる人々で一杯だった。俺は教科書倉庫からヘヤピン
カーブまで歩いてみた。80mくらいので距離であった。銃を扱った人間ならば余裕のある
射程内である。考えられない惨事が大陸では起こるのだということを実感した瞬間であった。
俺は周りをそーっと見回した。どうやら、何事も起こらない空気が漂っている。安心をして
更に周りを観察した。道路の真ん中辺りに三個の赤マークが埋め込まれていた。それは
ケネディが被弾した場所のようである。その赤いマークが私の脳裏に刻まれてしまった。
俺はそれをいつの瞬間でも思い出せる光景となっている。次回はダラスフォートワース
空港に行ってみたを記します。
                     アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月2日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(その場所に到達)・・・新33

2015.11.2月 雨 午前7:20
 水戸弁・・・カッパ着て雨中散歩を4km楽しんだよ、東が明るくなる時間も楽しんだ。
 一路ダラスのテキサス教科書倉庫を目指して車を進めた。街を抜け、時には場所を
尋ねて進んだ。あったので駐車場を見つけるために、周囲を一巡して、駐車場に車を
停めた。一時間2ドルの私営駐車場である。車を停めて、ぞろぞろ観光客が歩くほう
へ歩いた。3分でテキサス教科書倉庫の見えるところに記念碑が立っている。俺は
ケネディが射殺された時からの過ぎ去った年月を数えてしまった。正確に計算すると
51年が経っていた。よもや、その場面に立てると考えたことはなかったが、巡り合わ
せにより、この地点に立てた。アメリカ横断、縦断、V字横断、太平洋側縦断、大西洋
側縦断等を繰り返しやっていたおかげである。考えてみると俺の冒険心は小さい、
それも私的冒険心であった。社会の為になる冒険心でない。様々な反省心を抱きな
がら、前進をした。そして、記念碑の前に立った。右横にテキサス教科書倉庫、
そのやや右前方にヘヤピンカーブ、ヘヤピンカーブの中間でケネディが撃たれた
地点を見つけた。数十年ぶりで俺の16歳の時の驚きに出会った。鳥肌が立った。
俺は静止して、その場所を数分睨んでいる。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年11月1日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(教科書倉庫)・・・新32

2015.11.1日 快晴 午前6:40
  中国出張とアメリカ客との商談で忙しく、自宅に戻ったのは昨日だったが疲れはない。
さて、ダラスまで100kmと近くなり、俺はリラックスして運転をしていた。周囲の景色の
木や草を眺め、時には空に目を移しアメリカらしい大きな鳥を眺めた。ハンドルから手を
上に伸ばせば、その手が真っ青に染まるような青空をフロントガラスから楽しんだ。時折、
戦闘機が無言で白いジェッツ雲を出しながら上空を横切っている。そのようなダラスへの
平和な道のりでのあった。
  俺は道路に陽炎がいくつも立ち、大竜巻の子供が真茶色の小竜巻を数個誕生させよう
としているように見える場面を見ながら、大平原の中を突っ走してダラスに向かっている。
目指すは、ケネデイ大統領とジャクリーヌ夫人が乗った車を待ち伏せたテキサス教科書
倉庫の建物である。遠くに高層ビル群が一粒の点から長方形が林立する形になって見え
てきた。ダラスは大きな町だと聞いているので、どこから侵入するか悩んだが、IN20号線
を西に向かって走ってきたのは間違いでなかった。もうすぐだ、ケネデイに挨拶ができる、
あれから50年が経った。ダラスまで50kmの地点を過ぎる。まるで級友に会えるような
感覚でウキウキして前に進んだ。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝