2015年10月23日金曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ダラスへ)・・・新31

2015.10.23金 ☁ 午前7:00
 ニューオリンズの深夜を運よく切り抜けハッピーな気分でダラスに向かった。IN55号線
からジャクソンでIN20号線に乗り換え、ダラスまでまっしぐらに行けることになっている。
俺はIN55号線を気分良く走った。ミシシッピーを眺めながら跨ぎり、草木地帯をビュン
ビュン警官を注意しながら飛ばした。アメリカハイウエーでは殆どスピード違反で走って
いるが、いまだに警官のお世話になったことはない。55号線を200kmほど走ると、
ダラスに向かう道路に分かれる。子供の頃に見た映画場面に相応しい地点を数十回
ほど過ぎた頃、ダラスに向かう分岐点に達した。まるで人生の分かれ道のようなスケー
ルの大きい交差点である。アメリカの運転で難しいのは、すごいスピードで走りながら
方向を移動する運転である。だから常に行く先の方角を頭にインプットしておかなけ
ればならない。咄嗟の方向転換は一番危険であると思っている。何故なら、アメリカ人
の運転気質と日本人の運転気質は違うのだ。島国の狭いところを走る日本人、途轍も
無く広い大陸を走る大陸人とは、根本的に運転感情が違う俺は思っている。いよいよ、
ダラスまで600kmを残す地点に入った。ダラスではケネディ大統領が暗殺された
地転に向かおうと思った。俺の16歳の時に、ダラスの町のヘアピーンカーブのところで
暗殺されたことを思い出したのである。先人に敬意を表しなくてはならないのだ。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年10月18日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(危険と対峙中)・・・新30

2015.10.18日 快晴 午前7:00
 午前2:00過ぎ、その捕り物劇は開始した。俺は一部始終をカーテンの隙間から眺める
ことができた。先ず、パトカーが一台二台と押し寄せ、合計8台が犯人たちを取り囲んだ。
黒人4名を別々にパトカーの屋根に手を載せさせて、各々に一人づつの警官が拳銃を向け、
もう一人の警官が身体をま探っている。それは靴を脱がさせズボンの折り目から、
帽子の隅々まで検査をしていた。残る警官は隣の駐車場の空き地に何か証拠物が捨てら
れていないか、懐中電灯をつけて地面を横一列に検証していた。犯人たちに追われていた
参考人もパトカーの後部座席で警官から事情聴取されている。参考人の参考人も別の警官
から事情を聴かれている。午前2時、3時と時間が過ぎていく。俺はカーテンの隙間から
飽きずにその捕り物劇を観察した。ニューオリンズのパトカーには、後部座席に檻がついて
いた。犯人たちは各々手錠をかけられ、パトカーの後部座席の檻に押し込まれている。
 事情聴取や証拠物の収集とか、警官が手際よく犯人たちを檻に入れ、捕り物劇が終了
した。その開始から終了まで2時間はかかったようだった。犯人たち4人はパトカーの
後ろの檻で喚いていたが、そのうちおとなしくなり、パトカーに連れ去られた。
 思うに、深夜のモーテルのドアを叩く音で、俺はドアを本能的に開けてしまったが、
アメリカでの間違った動作であった。アメリカでは絶対に、相手を確認してからでないと
ドアを開けてはいけないのだ。運が良かったというほかない出来事であった。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年10月15日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(危険にあった)・・・新29

2015.10.15木 快晴 午前6:50
 大変な長い旅行をしていると、時には危険な目に会うことがある。俺もニューオリンズの
町はずれの安モーテルに泊まっていた時であった。深夜3時ころに突然ドアを激しく叩く
音がした。咄嗟の時に敏捷な動きをする俺は、日本にいるつもりでドアを開けてしまった。
大柄の黒人が俺を見て、違うというようなことを喚きながら、次々にドアを叩いて部屋を
開けさせている。俺は日本の自宅にいるつもりでドアを開けってしまったのである。真黒
な若者であり、一人でなく仲間が数人いた。拳銃を突き付けられたら、俺は持ち金全部を
奪われてしまったであろう。金だけなら良いが、命まで取られたかもしれない。部屋数が
100室以上あるモーテルでの出来事であった。黒人達は傍若無人な態度で、部屋を開け
させている。開けない部屋では、イラついた態度でドアを叩きながら、誰かを探していた。
二階の通路から、下に小便もする始末である。全く手が付けられない態度で、喚いて
深夜の泊り客の緊張感を高めている。誰も止めには入れない暴れ方である。俺は
アメリカバイオレンス映画を見ているような気分になった。幸いに被害の無い俺は、ドア
横のカーテンを少し開けて、暗闇の部屋からその場面を観察する良いチャンスと思い、
一部始終を見られることになり、半分ワクワクしながら観察を始めた。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年10月13日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(南国の夜に気が付いた)・・・新28

2015.10.13火 ☀ 午前5:10
 水戸弁で・・・外は暗いな、所在なくキーを打つも、まとまんねなー、出るか否かだ。
ニューオリンズの危険なストリートを歩くうちに、警察官の吊るしてある小道具の異変に
気づいた。それは右腰に拳銃と左腰に電気銃が吊り下がり、手錠は二丁、その他のプロ
テクターが鎧兜のように警官の体に連なっていた。まるでロボコップであり、スキのない
攻めるに躊躇する形をした警官の姿であった。その警官が20mおきに立ち、刺すような
鋭い目で通行人を観察している。俺は何食わぬ顔をして、その警官を観察しながら、
危険なストリートを歩き、ニューオリンズの夜を楽しんで散歩した。メキシコ湾を望んで
いる地帯の夜の熱気は、朝方まで冷めそうになかった。
 俺は歩き続けるうちに、へとへとになる一歩前で、俺は何をやっているのだろうかと、
考えてしまった。日本から1万kmも離れているニューオリンズの夜更けと朝方を彷徨
っているのだ。多大な費用と時間をかけて、何かを求めて歩いているのだ。それは何か
を求める旅か、何かを忘れる旅か、双方が混在していて分からなくなってしまった旅に
なってしまっている。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年10月11日日曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(危ないストリートの奥)・・・新27

2015.10.11日 ☔ 午前7:20
俺は危ないものに興味があるのかもしれません。ニューオリンズ最大の危ないストリート
を奥へ奥へ進んだ。客引きのカリブ系のアメリカ女やアフリカ系アメリカ女が手ぐすねを
引いて待っていた。幅5mくらいの小道を進んで奥に入ると、凄まじいカリブ系音楽や
アフリカ系音楽が大音響で流れていた。パブ系やレストラン系の店の前に女が並んで
客引きをやっているのだ。俺は二十歳代に新宿歌舞伎町一番街でアルバイトをやって
いたので蝉噪や暗い景色は見慣れているから、そうは驚かない心臓を持っているが、
ニューオリンズ最大の危ないストリートは、いやでも緊張感を抱いてしまった。女は裸に
近い衣装で強引に客引きをやっている。「ヘイー.ユウー.カモン」という呼び込みの声
があちこちから聞こえてきた。俺は女と目が合っても、シカとして悠々とストリートを歩い
た。奇妙に彼女たちと価値観を共有できた雰囲気になった。なぜだろと考えてたら、
一生懸命に過酷な心理で生きているところであった。俺は何事でも、流れに乗って
一生懸命にやる、ということに共感を持ったのかなーと思った。ストリートを白人の
一団が酔って大騒ぎをしてこちらに向かってきた。白人の一団と有色アメリカの一団が
一緒になって大騒ぎをしていた。とにかく酔っての大騒ぎだが、それを冷ややかに見て
いる一団は皆無であった。そんなふざけ方がアメリカ的で俺も一緒に大騒ぎをしたく
なった。明日は危ないストリートの警察官の様相を記します。
                  アメリカ・中大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年10月10日土曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ニューオリンズだ~)・・・新26

2015.10.10土 快晴 午前7:40
 水戸弁で・・・俺は朝の運動から帰ったど~。
 川草の合間からビル群が見えてきた。ビルはどんどん高くなり、町の匂いもしてきたよう
に感じた。太陽は相変わらず中天にあり、暑さと湿気を非常に感じる。数年前に巨大な
台風で全滅に近い被害を受けた町がニューオリンズであった。車は郊外から町の中心に
進んだ。窓を開けたら、ジャズとジャズがぶつかり合い、独特の賑やかさを醸し出している
町と感じた。通りを行く人は、先祖をカリブ諸国やアフリカ諸国に持つ人が多いようだ。俺
は通りを一本入り、駐車場を探した。通りを一本入ると、オフィス街で駐車場も多くあり、
楽に駐車できた。車を置いてメーンストリートに出ると、そこは大半が白人と黒人で、黄色
人は見かけなかった。そういう意味で、ジロジロと見られているような気がするが、気にな
るほどではない。町中にジャズが流れている町がニューオリンズである。音楽に詳しくない
俺でも知っている曲が流れていた。メーンストリートからこの町最大の歓楽街に入った。
子供の楽団がジャズを賑やかに奏でていた。チップを受ける器が置いてあり、中を見ると
少額のドル札がたくさん入っていた。活動費に充てているらしい、資金の集め方がアメリカ
的であった。寄付集めのようだが、日本みたいに悲壮感がないので、寄付する人も気楽の
ようだ。このストリートには警官が10mおきに立っていた。その意味は危険だからであり、
なんでもありのストリートのようだが、何でもありでも、それなりのルールがあるようだ。
俺はそのストリートを地元民のような顔をしてさらに奥に進んで行った。
 奥の奥に何があったか、次掲載へ
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
安心できる星条旗








2015年10月8日木曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ニューオリンズへ)・・・新25

2015.10.8木 ☀ 午前7:00
 水戸弁で・・・早くも木枯らしが吹いだような朝だっぺ、俺は気持ちよく歩いだよ。
キーウエストを朝に出て、ニューオリンズに向かった。メキシコ湾沿いのIN75号線から
IN10号に変わり、ニューオリンズにひたすら向けて走った。湿地地帯の中の高速を
走った。オーランド~タンパを抜けてニューオリンズ迄の約800kmを走った。途中の
食事は高速沿いにあるマックのようなもので済ませ、ひたすら走った。車内のお音楽
は耳に入らなかった。理由はあまりにも周りの景色に見とれていたからであった。
乾燥地から湿地地帯に景色が変わっていった。湿地帯の川は真茶色で、日本の
ような綺麗な川は無かった。ワニが出そうな川であったり、大魚が我物顔で泳いだり
していそうな川をいくつも跨ぎ、湿地帯を車は船のような感じで進んだ。遠くに高層
ビル群が微かに見えてきた、小さな点から徐々に湿地地帯の遠くの垂直線になって
きた。空には大きな雲がゆっくり流れ、太陽が嫌おうなしに照らし、湿地地帯の
水や水草に巨大なエネルギーを与え、そこに住む人々には虐待というほどの熱の
エネルギーを放射し続ける地が、メキシコ湾を望む地のニューオリンズであると
考えた。いよいよその町に入ることになる。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2015年10月6日火曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(ニューオリンズ迄)・・・新24

2015.10.6火 ☀ 午前7:00
 水戸弁で・・・朝の4km散歩から帰ったよ、窓から見える朝日が生き生きとしている。
 俺はキーウエストで一泊した、夕陽の見学から帰る途中で冷たいビールを買って、
部屋で飲んだ。1人酔ってベッドに転がり込んだまま、朝を迎えてしまったので、南国の
夜の散歩ができなかったので、昨夜のことは記することができません。そこで、朝の
様子を記します。起床したのは午前6時でしたが、昨夜の駐車していた車は殆ど旅だち
したようである。広い駐車場に止まっていた車は、ほとんどなくなってしまっていた。
モーテルの通路側のデッキに立って、下を見下ろしたが、車は無いので特に面白く
なく、高くそびえたつヤシの木を仰いだ。ヤシの木の天辺が南国の青空に映えた。
ヤシの木はどうして高いのかなと考えながら俺は、外の空気を腹いっぱい吸った。
 旨い、旨い、独り言を言いながら、遠くの海に目をやった。カリブ海独特の匂いが
肺に入ってくる。ここはアメリカ南部のキーウエストであり、日本人の俺がカリブ海を
望み、キューバまで300km位の位置にいられる。次はニューオリンズに向かおう
と考え、気持ちは早くも次の町へ向かった。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
 

2015年10月5日月曜日

照沼重輝のアメリカ彷徨記(超多忙)・・・新23

2015.10.5月 快晴 午後7:30
 水戸弁で・・・しばらく超多忙でブログを書けませんでした、大変すんませんね、
フロリダのキ-ウエストの岸壁に佇んで落日を1人で楽しんだ。周りはアメリカ人だけ、
沖を数艘のヨットが夕陽を追うように北から南へ移動していた。夕陽を追っての船旅を
仲間や家族で楽しんでいるようだった、丁度、夕陽とヨットが交差してヨットの帆を照ら
していた。俺は腕を組んで太陽を睨んだ、今から50年前のヘミングウエーが見た夕陽
を睨んでいる。睨んでいる理由は、アメリカV字横断中であり、最終地のサンフランシス
コまであと10日の旅を残しているのであるからである。ニューヨーク、ワシントン、オーラ
ンド、フロリダを通過し、ダラスを経てロスに向かう途中だからであった。太陽の頭だけが
残り、夕陽は風前の灯である。岸壁にいる俺は背伸びをして夕陽の入りを惜しんだ。
沖の水平線のギザギザの波の上に太陽の頭を残した夕日は、「明日も会おう」とでも
言うように、波の波間に入っていった。辺りが暗くなった途端、今日の太陽を最後に
見れたのは俺だと言う人の声が背後から聞こえた。後ろを見上げると、岸壁のホテル
の3階から大声を出していたのは、アメリカ人の白人であった。周りからやんやの拍手
が鳴った。「さよーなら、夕陽よ」と言って、俺はその場を後にした。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝