2015.3.15日 曇り 午前7:00
恵果が住する青龍寺には内外から千人を超える留学生が密法の勉強に来ていたらしい。当時は
参拝者も多く賑やかな密教寺院であったらしい。隋の文帝によって霊感寺として創建された。唐代の初期に戦乱のために一時廃寺になったが、高宗の時に再興され観音寺となった。その後、改名されて青龍寺となった。
平安時代に入唐した最澄、空海、常暁、円行、円仁、恵運、円珍、宗叡の八人のうち六人が唐の高僧から教わった寺である。
恵果は(746~805)は、幼少時に出家して当初から青龍寺に入り20歳で密法を受法した。
最晩年の805年に空海とめぐり合い、空海に大法を授け、その他50種の諸尊念よう法を授けた。
同年の12月15日に没した。弟子を代表して空海がその碑文を撰した。日本から唐に入った僧が
恵果の碑文を一年目で撰したことは、恵果の教えを受けた弟子の最優等生と考えるほかありません。これが空海の計り知れない人間力と思いますが、皆さまいかがでしょうか。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
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