2015年3月2日月曜日

2015年の中国大陸計画(函谷関)・・・62

2015.3.2月 快晴 午前6:15
   今日は朝の運動をさぼりたくなり休む。理由はおのれの気まぐれです。お陰で疲れなしの朝だ。
空海たちは函谷関に向かった。この関は中国最大の関である。函谷関は三か所あった。洛陽側から漢時代に作られたもの、魏時代に作られたもの、そして秦時代に作られたもの、である。近年まで外国人は入れなかった。函谷関は空海たちにとって、最後で最大の難所である。約100kmの道中に3ケ所、厳しいアップダウンを超えなくてはならない。進めども進めどもなお着かない唐土のスケールの大きさに挑んでいかなくてはならなかった。大使や随員は公用が済めばまたこの道を
戻るのである。
    この難所を超えると約二日ほどで潼関に入る。ここは天然の要塞のような険峻の地である。古くから軍事上の要衝の地である。空海たちが通る50年前、安禄山の変でここが天下分け目の戦場になった地である。
                                      アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝


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