先を急ぐ空海は無錫・常州、潤州、汴州を目指さなければならなかった。汴州までは船旅で、ここからは陸路を行くことになる。汴州は今は開封と言われる町であり、当時も賑やかな町であったと思われる。まさに南船北馬をまるっきりうったような行路になったのである。黄河がこの町の北を流れ、隋のころには大運河が通じて江南から華北に運ぶ食糧や金属加工品等の大量の物資が集まり都市として大きく発展した。唐代末期には国中の物資が集まり、やがて廃都になる運命の長安や洛陽に変わるほどの隆盛となった。宋代には人口100万の首都となって更に繁栄した。ここにはその当時、中国最大の寺院の大本山相国寺があった。空海が見たであろう大伽藍は唐代の
仏教建築の粋を集め、一流の芸術家の彫刻や壁画も採用し、大いに美を誇った。
ここには平成4年に日中友好の輪として愛媛県のぼ募財で建てられた修行大師の銅像が建っています。空海がここに立ち寄ったという伝説が残っています。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
危ない運転(ブログと関係ありません)
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