2014年12月31日水曜日

2014年までの中国(吉林省の遺棄爆弾)・・・150

2014.12.31水 曇り 午後11:00       149回・・・休番
  今年が終わりになり、新しい年が間もなく来る。あまり寒くない夜になってきた。星が二つ三つ出ていた。どこかで焚火をした匂いが我が家まで漂ってくる。外に出てみたが、四方八方を見渡したが炎は目に入らなかった。私の住んでいる原子力村でも太古の焼き畑の匂いを時々嗅げる。
  我が村には、原子力、原発、核燃料再処理等原子力に関する機構が何でもある村なのだ。私が
8歳のころに原子力に関する施設の建設が始まった。あれよあれという間に原子力に関する全ての施設が出来上がった。原子力の平和利用は大歓迎だが、原子力事故を心配しながらの生活も
何かと煩わしい。そのような心配をしながらもこの村で66年生きてきてしまった。あと30分で新年になる。来年は原子力被災事故が無い対策万全の村になって欲しい期待を持ちながら新年を迎えます。
    私の友人や取引先関係者様、所員皆様の平和と発展を祈念して、今年最後のご挨拶とさせていただきます。今年はありがとうございました。皆様良いお年をお迎えください。拝
                                      アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年までの中国(吉林省の遺棄爆弾)・・・148

2014.12.31金 曇り  午後10:30
  今年最後のブログとなります。吉林省の最高幹部役人と協議に入った。NATO軍仕様核シェルターを吉林省が日本に要望する。そうすると、日本国は我々が売り込んでいる機材を購入することになり、その機材を吉林省に提供する。その輸出金の利益は吉林省と我々が受け取りイラク方面の輸出事業に資本投下する。このような話を相手方に説明をしたところ、乗ってきてくれた態度を
とってくれた。しかし、ここまでの状況にするのに、私の心臓は早鐘、顔は蒼白、いわゆる放心状態
を乗り越えてからの状況である。しかし、推奨する機材を日本政府に買ってもらわなくてはならない。立ちはだかる強敵はアメリカ軍仕様のものだが、何よりも日本政府とこの事業をコンサルをしている世界を股にかけている有名なこんサルタント会社に売り込まなくてはならない。日本本社の
コンサルタント会社であるが、横に広く、縦に深い内外の相当数の人材を揃えている実力十分の会社である。我々は匍匐前進作戦で行くほかない。いわゆるゲリラ作戦で売り込んでいくことにしたのである。
                                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年12月30日火曜日

2014年までの中国(吉林省の遺棄爆弾)・・・147

2014.12.30火 快晴 午前7:20
  「 中国へ寄付をしに来たわけでありません」そして、「寄付どころかNATO軍仕様の核シェルターを買ってもらいに来たのです」と一気に説明をした。それから、このようになったミスの原因を説明をした。相手方幹部の副省長は「君たちが上海に入った時から、この寄付行為の誤りに気づいて
いました」と言った。私はこの瞬間、体と頭の力が無くなったのである。その時の私の顔は、一転の曇りもない、笑顔になってしまった。そして、図々しい提案をしてしまったのである。その提案とは、イラクがクエートに進行し、アメリカ軍がイラク相手に戦いをしている最中にあった。つまり、
NATO軍使用の核シェルターを日中共同でイラクに売り込もうという目論みである。売り込んで得た資金で次のビジネスを展開しましょうという提案をした。その当時の中国は、外国資本を積極的に導入せよとの国家政策が中央から出ていたので話が分かりやすかった。その話に相手方が引っ込みがつかないので飛びついたのか、乗ったのか、分からないが話がその方向に進んだのである。
                                           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年12月26日金曜日

2014年までの中国(吉林省の遺棄爆弾)・・・196

2014.12.26金  快晴 午前6:45
   テーブルの真ん中に座った私は覚悟をした。両サイドにいる日本人に意見を求めても発言しない
だろうと考えた。そうなると頼りは私だけとなる。ここは腹を決めて、仲間は誰もいないと考えたほうがよさそうだ。両サイドに相槌を求めても無理な仲間であった。私は副省長の目を見て話を始めた。「この話のミスの原因は日本語に不慣れな通訳が原因となった」「たいへんすみません」と口火を切った。相手は「数十億円の遺棄処理設備を寄付するという話は変だと思ったが、信頼できる同胞からの話であったので信用した」と言った。私の心臓の鼓動は最高潮に達している。信頼できる
同胞というのは、中国政府のアメリカロビースト筋からの話であった。周囲には吉林省の役人と
取材記者等を含めて10人を超える人がいる。日本人としてぶざまな言い訳や態度はしたくない、それに私の心の中には、この危機を次のチャンスにしたいと思う考えがで始めていた。相手方の幹部の目と私の目が数秒間合わせた間に、次のステージへ行く話をしようとの合意ができたと感じた。私は言い訳や弁解は極めて嫌いな性格であるから、早くこの場を改変させて次の話をしようと
考えていた。
                                             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年12月22日月曜日

2014年までの中国(吉林省の遺棄爆弾)・・・195

2014.12.22月 快晴  午前7:00
  私は赤い絨毯の前を前に進んだ。後ろから友人は来ているかどうかは見る余裕はなかった。幹部とわかる大きい男が近寄ってきた。私は「ニーハオ」と言い「トイブチ」「トイプチ」と連発をした。
大きい手がでて相手は握手を求めてきた。私も手を差し出した。相手は右手であちらに行こうと
指をさした。その方を見ると、黒塗りの高級車が数台停まっていた。数人のマスコミも来ていたが、
インタビューは無かった。記者の顔を観察する余裕はなく、促されるままに車に向かい、後部座席に乗らされた。さてどこに連行されるのか考えたが、道中の景色を見る余裕は無かった。途中で
監禁に相応しい建物が見えたりすると心の不安が増した。やがて、省庁の一部の建物らしいところに行き着いた。ドアが開けられ地面を踏んだ。その瞬間、私たちは大丈夫だと希望を持てた。この建物は公のものである。その中でのリンチや強要されるようなことは無いだろうと考えた。会議室のようなところに向かった。中に入り長テーブルを挟んで向かい合った。名刺の交換をして、副省長が出席していることが分かった。私はあらためてその人物に敬意を表する目で相手を見た。
私は覚悟ができるようにテーブルの真ん中に座った。
                                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年12月18日木曜日

2014年までの中国(吉林省の遺棄爆弾)・・・194

2014.12.18木 快晴 午前7:00
   飛行機は長春の飛行場に着いた。同行したなかで誰も一番先に飛行機を降りようとしない。それはそうだ。何が待ち受けているか分からないのだから。私は意を決して一番先に降りようとした。
通路の窓から外を見た。タラップを降りたところから、赤絨毯が敷いてあるのが見えた。その先には、省の偉いような人が先頭に立ち、周囲に遺棄爆弾の係官が数人待ち受けているように見えた。私は竦んだ足を前に出し、タラップの先頭に立ち、一番先に降りた。その前には、カメラマンや
テレビカメラマンが私たちを写すために、並んで身構えていた。私の顔に表情は無い、こわばっていた顔にしか表情はできなかった。私は更に前に進み、一番偉い人の前に立ち、赤絨毯の前で
靴を履いたままで正座をした。もう私の腹はすわっていたので、目に不安の表情は無く、全ての
周囲を見渡す余裕ができていた。私たちを待っていたのは10人くらいであった。長春の飛行場は
寒々感と荒涼感が同居した飛行場のように見えた。遠くに見える山脈の向こう側は北朝鮮の領地
のようだ。最大の困難が待ち受けているのに相応しい地に見えた。なにがあっても相手は人間だ。
山より大きい化け物は無いと心に言い聞かせ、私は春の寒い風を身に纏い、目を皿のようにし
前に進んだ。
                                                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年12月12日金曜日

2014年までの中国(吉林省の遺棄爆弾)・・・193

2014.12.12金 曇天 午前5:15
  その飛行機は二十人乗りくらいの超小型飛行機であった。上海から長春まで二三時間くらいかかるようであるが、この小型飛行機で行くのかなと思ったら、不安感がドーッと襲ってきた。しかし、行かなくてはならないので搭乗した。一気に上空に達し、周囲が青空だけの世界になった。全然揺れないないのだ。超小型飛行機は我々に快適な空の旅を提供してくれた。ジェット小型機は成層圏を
飛んでいるので揺れないのだ。私は行く先の不安感を一時忘れて、空の旅を楽しむほかないと考え、下界を見下ろしてみた。期待は太平洋の海岸線を飛んでいるようだ。揚子江沿いから東に機首を向けて飛んでいた。一時間も飛ぶと青島上空あたりに来た。蒼い海、蒼い木々の間に茶肌の
荒荒らしい地べたが見えた。世界地図で見たような地形が見える。多分に昔は斉の国と言われた
ところだ。やがて下界は青島から煙台のあたりになった。あと一時間半で吉林省の長春に着く地点と思われる。長春の飛行場では、どのような仕草で詫びるか考えると、一瞬で頭が熱くなった。嫌なことを思い出してしまった。途端に下の下界がボヤーとしか見えなくなってしまった。明日はいよいよ長春の飛行場での出来事を記します。
                                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年12月9日火曜日

2014年までの中国(吉林省の遺棄爆弾)・・・192

2014.12.9 火  晴  午前6:45  霜が真っ白に立っている
  上海のホテルで目を覚ました。直ぐに頭に浮かんだのは、吉林省に向かうことであったが、吉林省長春では恐ろしい目に会うことになるのか、希望で顔が明るくなるのか、冷や汗をかいて、その場を逃げ去ることになるのか、様々な光景が頭に浮かんだ。ここ数十年で一番不快な朝であった。
  他の関係者は上海で待っているという。私は1人で長春に向かい、その役所の関係者に、詫びる
義務を進んで負ったのである。ヘヤの荷物をまとめ、チヘックアウトのためにフロントロビーに降りた。その時であった。後ろから「俺たちも行く」とグループ6人のうち3人がついてきた。私は「いいよ」さりげなく答えた。私にとっては拍子抜けである。私は長春では覚悟をしていたのである。どんな目に会ってもいいと思っていた。この覚悟をしたときは、私の心は鉄の決意であった。朝から拍子抜けである。彼らは恥ずかしげについてきた。私は拍子抜けで憮然としながらも、彼らと上海浦東空港に向かった。タクシー内では誰も口をきかない。そのままの雰囲気で搭乗手続きを過ぎて経て、搭乗口に向かった。飛行機を見た瞬間に誰もゾーッとした不吉感を感じて唖然とした。
                                                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
  
 
  

2014年12月1日月曜日

2014年までの中国(吉林省の遺棄爆弾)・・・191

2014.12.1月 雨 午前6:40
  私は次のように宣言した。「俺が吉林省に1人で行く、この間違いを土下座して詫びる、後はどうにかなる」そうしたら、全員が喜んでしまった。みんなは危ない橋を渡らないですむので、思わず喜んでしまったのだろう。中国北方人がいくら気性が激しくとも、いきなり、メンツを傷つけたからといって、片手を取られたり、リンチを受けたりしないであろう。それに、私は中国に昔からあることわざで、「胸元に入った鳥は殺さない」を思い出していた。少なくとも抹殺やリンチ等は受けないと読んだ。男なら行って自分たちの非礼を正面から詫びるべきだと考えたのである。生まれて初めての
恥ずかしさを持ちながらのお詫びをしようとの結論に至った。親にも正式なお詫びをしなかったのだから、このような100%敗北のお詫びは清々とする。価値あるお詫びと考えてしまった。
   明日は1人で長春に行くことになった。お詫びの言葉と方法を考えると、その夜は寝つきが悪く、眠りについたのは未明であった。
                                          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝