2014年10月23日木曜日

2014年までの中国(上海から他省へ飛ぶ)・・・194

2014.10.29水 晴  午前6:30
   中国渡航暦は200回以上、延べ1200日以上滞在し、往復4000kmで往復の飛んだ距離は80万kmになるはずである。滞在した町は上海、長春、大連、煙台、威海、済南、青島、北京、大原、西安、合肥、南通、南京、常州、無錫、蘇州、杭州、寧波、舟山、台州、福州、泉州、厦門、広州、深セン、海口、三亜等多数である。
   それぞれの町の思い出を記していくつもりですが、たいした思い出のない町は過ぎていきます。
北の順から思い出して記します。先ず大連、旅順、長春の町について、順追って思い出します。
大連に行った理由は、民間交流と商用ですが、多いのは商用です。成田を出て3時間で大連に着きます。飛行機から海と陸地が交互に見えてくると、まもなく大連の飛行場です。左右に高級マンションが林立した港町が大連の町です。飛行機を降り、都市中心に入るのは、約30分で入れます。上海より豪華な感じのする町ですが、町の幅と量は上海より劣ります。しかし、なんとなく日本人が好きになるような町と言えます。それもそのはずで、昔は日本人が多数住んでいた町です。
   大連港と大連駅は広大な中国大陸の東の玄関です。この町にはロシア語が多く見受けますの
で異国情緒豊かな町です。大連駅の真前にラマダホテルがあり、日本人が支配人をしていますので、泊まるのに安心感があります。このホテルの南側に広場があり、深夜まで地元民や旅人で賑わっています。ホテルの後ろ側には飲食店が犇めいていて、夜中に出かけるのに好都合です。
大連駅前の広場を夜半に観察をすると、旅人や夜更かし組で賑わい、夢や野望を持った若者が
何かのチャンスを捉えようとして、目を輝かして待っています。その広場の真横に海産物を売る
小店があり、値切りを交渉しながら買うのは面白かったです。その小店の後ろ側に、スイス系の
立派なホテルと豪華な飲食店等が犇めいています。その飲食店に清朝時代の模倣店があり、
飲食をしたことがありますが、昔の風情を楽しめました。何やら見たことのない家の内装は、
果てしない異国の情緒が漂っていました。大陸の旅をしていると、思わぬ場面に遭遇をして
ぼんやりとした異国の梦を経験できます。これが大陸を旅する特別な味であり、止むに止まない
大陸放浪です。日本の青年よ、大陸を歩こう、それが日本のためになると信じる。
                                                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
中国の避暑地、足下は地獄行きの激流、上は山海の飽食珍味
 

2014年10月21日火曜日

2014年までのアメリカ(ダラスとケネデイ終焉)・・・193

2014.10.21(火)雨 午前7:00
  ダラスのケネデイ暗殺の場所は、映画で見るような暗殺に便利な地であった。メーンストリートの
パレードを終えたケネデイの車は、ヘヤピーンカーブを曲がり、ハイウエイーに出るまでのゆっくり
走る道路上にあった。オズワルドはスコープ付きの銃で簡単に的を得られる距離で引き金を引いた。三発の銃声が響いた。仰け反る大統領、パニックに襲われる夫人、オープンカーの背にもたれる大統領、後部座敷の上でオロオロする夫人、急停車するオープンカー、当時の現状が生々しく
よみがえってきた。高校生の時に見た白黒のテレビの画面が頭の中に再現された。
  第三次世界大戦が始まってしまうのか、世界動乱が始まるのか、当時の私の頭では予測できない不安に襲われた記憶が蘇ってきた。それから50年が経った。そして、その50年前の現場に
立つことができた。嬉しく思うがその経た時間が忌々しかった。
    思うに、どんなパニックが起きても、人々はそれを乗り越える力を得る他ないのである。そのようなことを思い出して、ケネデイ終焉の地を後にした。何時しか再度この地に来てみたいと思い、
頭の中に景色を刻んだ。
                                           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年10月15日水曜日

2014年までのアメリカ(ダラスケネデイ終焉の地)・・・192

2014.10.15水 快晴 午前7:00
  ダラスに入った私は直ちにケネデイ終焉の地に行った。場所はすぐ分かった。観光客がぞろぞろそちらに向かっていた。テキサス教科書倉庫、ユーターンカーブ、観光客が指をさして騒めいていた。道路には三発の銃弾のマークが赤色で記され、観光客の目線がそちらに向かっていた。ダラスのメーンストリートからヘヤピーンカーブに入り、なだらかな坂道を下り始めた時、右側80メートルのレンガ建ての6階から三発の銃弾を浴びせたのは、アメリカ人オズワルドであった。ケネイデイの車は減速進行中であり、スコープ付きのライフルを持つ彼にとっては、ケネデイの的は比較的楽な的であった。50年前の宇宙放送テレビで見たあの瞬間の場所が目の前にあった。私は教科書会館から被弾した場所、ユータンした三角地点を行ったり来たりして、当時の白黒のテレビの場面を思い出していた。
                                                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年10月13日月曜日

2014年までのアメリカ(ダラス市の前でタイフーンと遭遇)・・・191

2014.10.14月火 台風  午前7:00
  週末ごとに台風が起こり、日本を襲撃しているが、被害は我が地区に及んでいない。だが他所の地区はどうであろうか。心配ではある。アメリカ行きは全部で9回であるが、まともにタイフーンに出会ったことはない。非常にラッキーであったが、物足りない等の欲心はある。タイフーンが去った後のアメリカ大地を疾走したことはあり、その時には、さもタイフーンに出会ったような気持ちになったことはある。時刻は夕刻、大空に雷鳴が轟き、高速の左右の大木は風で大揺れ、雨粒大きく視界はゼロに等しく、ハイウエーの傍らには避難しているトラックや乗用車、私も車を止めて道路傍で非難をしていた。雨水が大河のように道路側溝を流れてきた。全員が不安になり、私の顔を覗き込んでいる。私はわざと平然とした顔で「アメリカの雨もオツだね」と囁いた。その一言で全員は落ち着いたようであった。この出会った雨を形容してみると、次のようである。
   天から水をぶちまけて川のようになった雨、地球の緯度経度が変わってしまう雨、裸で歩いたほうがマシな雨等、外に出たら直ちにずぶ濡れになってしまう雨だった。視界ゼロになるアメリカの雨は凄まじかった。そのような雨の中を無事で600km走った。このように大陸を走るときは、あらゆる
危機管理感が極めて必要です。明日はダラスのケネデイ暗殺地を記してみます。
                             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・・照沼重輝

2014年10月11日土曜日

2014年までのアメリカ(自己最高五日酔い)・・・190

2014.10.12日  台風沖縄直近   午前5:00
   二日酔いは苦しく酒は二度と飲みたくない、三日酔いは更に苦しく酒は止めようと思い、四日酔いは体のどこかが悪いのかなと思い断酒を決心する、五日酔いは我ながら年を感じる酒となる。
   だが、三日目に缶ビールを一缶、四日目に同じく缶ビールを一缶、五日目にも缶ビールを一缶
飲んだ。私は意思が弱いのだろうか、三日目に缶ビールを飲みたくなるなんて。そんなことを思い出しながら、アメリカ紀行を書いていますが、ダラスの思い出を記します。
   ダラスに最初に行ったのが、2011年の三月であった。フロリダ、ニューオリンズを廻ってるうちに
ケネデイの暗殺地に立ってみようと思ったからであった。ダラスは大きい町で、躍動的な街であった。どこからそれを感じるのかなというと、街の周囲の幹線道路が躍動的なのである。宇宙工学の
ような曲線で幹線道路が作られているからである。ニューオリンズ方面からダラスに入っていった。
突然、湿地から乾いた平原に入り、真っ直ぐな道路を走るようになった。やがて、ダラスのビル群が
見えてきた。街の中に入ったので、モーテルを見つけるためのウロウロ街中を走る。
                                           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年10月9日木曜日

2014年までのアメリカ(ダラスへは近いが二日酔い)・・・189

2014.10.9木  晴  快晴
  三日前、大失態をした。それは鯨飲よりすごい海飲と言うべきである大量飲をしてしまった。前後左右上下不覚、身辺心身不覚、5段階段登れず、背中にひっかき傷、血だらけのワイシャツ、鍵裂きワイシャッツ、朝に気がつけば布団の中、恐る恐る車を見れば無傷、 鏡を見ると顔は大丈夫、背中が痛いので、鏡に立つと鍵裂き傷、足と太ももが痛い、昨夜の出来事を思い出すが、ある時間から覚えていない。運転代行が着いたので、立ち上がったまでを覚えている。その時間帯は午後の10時ごろと思う。友人の家で飲んだのであるが、気を許した竹馬の友の家であった。
    高級ウイスキーと旬の松茸、それに松坂牛があった。これで飲まないわけにはいかない。全てを
忘れて飲んだ。欲張り爺が黄金の山を前にしたように、欣喜雀々、その瞬間から全ての節制を忘れたように飲んだ。体中の縄が解けたように、喜び、騒ぎ、感動を感じて全身をもって飲んだ。
    三日目、まだ酔っている。本調子でない朝を迎えていますので、ダラスは記せない。

                                       アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年10月1日水曜日

2014年までのアメリカ(ニューオリンズの危険な夜)・・・188

2014.10.1水 曇天 午前6:30
   この地の夜は危険である。街の蝉噪を逃れた私は、郊外の安めのモーテルに泊まっていた。
夜半過ぎ、各部屋のドアを次次にドンドン叩く音で眼を覚ました。自宅で寝ている錯覚で飛び起き、ドアに向かいノブを回してしまった。黒人の三人組が誰かを探して、傍若無人の振る舞いで、
ドアを叩いていたのだ。黒人が探しているのは、私でなかったので、「ノー」と言って、次の部屋を
叩くために去っていった。その途中で2階の廊下から1階に向かい、小便をし始まった。正に
コノヤローの世界であった。私も多少の正義感があるので、飛び出して相手を突き落としてやろ
うと感情が高まったが、黒人3人組には勝てないので、カーテンの隙間から相手の動向を監視
するだけにした。やがてパトカーが来た。午前3時ごろから明るくなるまでアメリカ警察の捕り物
劇をカーテンの隙間から見れるチャンスになった。
    手を頭に乗せ、パトカーを正面に立たされる黒人、ピストルを右手に左手で手錠を掛ける
警察官、周囲に証拠物を捨てていないかを探す警官、全部のパトカーは8台、被害者から調書を
採る警察官、3人の黒人はパトカーの牢のついた後部座席へ押し込められている。約2時間ほど
たってから、モーテルの事務所から被害は無かったかの問い合わせがあった。通常ならば、事務所員が客を守るべきだが、アメリカでは、そのようなことが無理であったのである。自分を守り、
客を守るなんて、一人ではできない芸当なのだろう。つくづく、アメリカ南部の夜は、危険である
ことを痛感した夜であった。
   明日はダラスへを記します。
                                           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・・照沼重輝