2014年8月31日日曜日

2014年までのアメリカ(ノース・サウスカロライナ)・・・165

2014.8.31日 晴れ 午前6:40
   久しぶりに晴れた日となった。体も調子よく、1時間の朝の運動から帰った。晴れるとなんだか意欲が出る。太陽は有難いものです。新ためて感じています。
   さて、ワシントンを出て、ノースカロライナを経てサウスカロライナに辿り着きました。サウスカロライナを通過する時に気がついたことがあります。それはオーガスタゴルフが開催されている事でした。サウスカロライナから南西に120kmほど行けば、開催地のジョージアに行けることが分かりました。一寸迷いましたが、最終目的地を外さないで走ろうと思い、更に、南に向かいました。そこは
フロリダの先、キューバの手前のキーウエストです。グーンとアクセルを踏み、炎熱近くの高速を
ぶっ飛ばしました。フロリダ近くになると、辺りがブッシュになり、湿地が多くなりました。なんだか、
ワニが出そうな雰囲気の光景です。長い湿地を抜けると、突然ビル群が現れました。避暑地の
フロリダの光景です。それはアメリカ人の憧れる町、癒しの町、太陽と白砂海岸の町等々、形容
しきれない町です。時間の都合でこの町には寄れません。町の風景を空想だけして、更に、アクセルを踏み込みました。入道雲が先へ先へ「おいで、おいで」と言ってるように思いました。
明日はフロリダからキーウエストまで走ります。
                                          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                                                                  キーウエストの海

2014年8月30日土曜日

2014年までのアメリカ(ワシントンから両カロライナへ)・・・164

2014.8.30土   雨  午前6:50
  秋雨の中を歩いてきた。途中で腹筋運動とヒンズースクワットをした。公園内の散歩者はいなかった。随所に秋を見られた朝である。
  さて、ワシントンの安宿から南に向かう。高速に乗る前にガソリンスタンドに寄った。セルフだが
器具の取り扱いが出来ないので、スタンド上のドライバー聞いた。なるほど、所変われば、やり方が変わる。親切に教えてくれたので、簡単に給油ができた。高速に乗って一時間も過ぎると、運転が飽きてくる。ラジオのスイッチを入れ、アメリカ音楽を聴きながら、スピードをあげた。約90マイル
のスピードで飛ばした。140km以上のスピードである。パトカーが怖いので、スピードを緩める。
この繰り返しで運転しているうちに、ノースカロライナまで来たので、トイレに寄った。トイレの後に
敷地の端に行ったところ、立ち看板が出ていた。「七種類の蛇に注意」と書かれていて、おまけに写真まで出ていた。見ると、一目でわかる見たくないような毒蛇の様相をしていた。足を止めて車に戻った。敷地内は旅行者で賑わっている。アメリカ何処に行っても、国内移動者を多く見る。
    明日はサウスカロライナを抜け、その先に行く。
                                            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                                                            ワシントンは桜の季節でした

2014年8月28日木曜日

2014年までのアメリカ(ニューヨーク~ワシントンへ)・・・163

2014.8.29金 曇天 午前7:00
  ニューヨーク華僑の豪邸を出たのは午前10時であった。家族に送られて手を振りながら出た。
私のレンタカーはキャデラックミニバン6人乗りである。ご主人がフロリダに向かう高速まで案内をすると言って先導してくれた。入口近くでご主人とも別れたので、一寸さみしい気持ちがあったが、
本当に一人になると、度胸と根性もすわり、どんなハプニングもどんとこいの気持ちになった。
レンタカーは高級で馬力もあるので、次々に他の車を追い越せた。次の目標地のワシントンまで
ニューヨークから350kmあるが、約3時間で行ける。アメリカで一寸の距離感覚となる。日本ならば、遠い道程と言うであろうが、ここアメリカでは短距離である。そんなことを考えながら走っているうちに、間もなくワシントンに入るところまで来た。
  ワシントンに着いたら、先ずホワイトハウスに行った。さすが大統領官邸は日本の首相官邸の比でない厳かに見えた。警護官の凛々しさも素晴らしかった。2m近くのお漢が毅然とした姿勢で立っていたり、動き回っていたりした。ホワイトハウスの庭をもう一度見まわした。目に焼き付けようと
必死に見まわした。でも、大統領は庭にいなかった。ホワイトハウスでアフリカ系アメリカ人の大統領を見るチャンスは来なかった。次のチャンスを待とうと考えなおして、そこを後にした。グッドバイ
ミスターオバマと心で声を力なくかけ、ワシントンの安モーテルに向かった。ホワイトハウスと安モーテルの思い出のワシントンでした。
                                     アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年8月26日火曜日

2014年までのアメリカ(大西洋沿いの町)・・・162

2014.8.26 水  曇天雨 午前6:30
    ニューヨークから大西洋沿いを南下し、フロリダを通過しキーウエストの最南端まで行った一週間の行程を記します。
   春先三月、ニューヨークの華僑の友人の家に泊まった。その家はニューヨーク湾が一望に見える
島のてっぺんの家であった。センチュリー21というアメリカの不動産王の家を買ったそうだ。その家の広さは日本の裕福な家の広さの比でない。何室あるか分からない家であった。その部屋は総大理石で蔽われ、金色の蛇口、廊下は赤絨毯、キッチンは百人以上を賄える広さ、それが大中小の
キッチンが有り、2百人は入れるニューヨーク湾が一望に見えるパーテイ用のーデッキ、ダイニングからはマンハッタン島とニューヨーク湾が一望に見えた。その華僑のビジネスは、中国大陸とアメリカを結ぶ貿易商である。取り扱い品は原油と絹である。20世紀から21世紀にかけてのシルクロード貿易商人と言えるだろう。ある時、貿易のもつれか、信号で泊まっていたら、窓をトントンと叩く
何者かがいるので、運転席の窓を開けると、ナイフで左頬を切られたと言い、見事なスカーフェイス
面であった。この華僑夫婦ととマンハッタン島で夕食を共にした。奥さんは郁達夫という中国の偉大な作家の子孫である。ハーバード出身の奥さんのインテリジェンス的性格は見事でした。私みたいな日本百姓を相手にして、逸らさない的を得た会話には、思わず感動を禁じえませんでした。
マンハッタン島の案内を得て、彼の自宅に戻り就寝をしましたが、夜半に起きて、そーっとカーテンを開けて、ニューヨーク湾を眺めました。ニューヨーク湾は、深夜になっても煌々と灯りがついていました。正に、ニューヨークは眠らない町でした。明日はニューヨークを出るを記します。
                                                   アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年8月25日月曜日

2014年までの中国(上海に戻る)・・・161

2014.8.26 火  曇り  午前6:50
  杭州湾を一跨ぎの感じで上海に浦東方面から上海に入った。だんだん上海の明かりが見えてくる
と同時に車が超混んでくる。トレラー、商用車、自家用車等の車を見ると、ドイツ、アメリカ、日本が主流でスエーデン、イギリス、フランス、イタリーの車は少なく見えた。高速道から環状線に一気に入り、銀河飯店(ギャラクシーホテル)に向かう。弊社は一泊16,000を10,000円で泊まれる契約をしている。お馴染みのカウンターからホテルボーイを伴い、部屋にたどり着く。カーテンんを開け、部屋がどの位置になるかを確かめる。環状線が見えれば良い部屋で、ホテルの裏口のような
所が見える部屋だと、忙しくて良い部屋が取れなかった日になる。荷物を置いて、一息が付くと、外に出る。フロントロビーは広すぎるほど広く、高い天井、隅のカフェーが狭く見える。広いフロントには、何故か椅子が少ない。出来るだけ、カフェーを利用して貰いたいホテルの願望がそうしているのだろう。と思う。ここのホテルの朝食は超美味い。新鮮な野菜やフルーツが盛りだくさんにある。
日曜のゆったりした朝食、きょろきょろする朝食、忙しく流し込むような朝食、かみながら外に出る
朝食等のあらゆる環境の朝食を食べた思い出が有ります。
    このホテルから歩いて10分の所に中型スーパーが有り、ホテルの食事が飽きたら、買い出しに
でます。手軽に食べられる弁当を買ってきて、ホテルの窓から外を見て、夏の暑い日に裸に近いスタイルで弁当をパクついたもです。ホテルの見晴らしの良い部屋から外を眺めて、コーヒー等を
すすっていると、良いアイデアが出る時が有りますので、私はこの時間帯を大事にしています。
   夜になると、上海市内の企業家や役人さんの会合や男女の待ち合わせ場所、それから親類家族の面会等多くの人々が集まってきます。同時に赤いランタンが咲き乱れ、華やかな東洋の夜を
醸し出します。着飾った娘さんがしゃなりしゃなりとフロントに花が咲いたように出没します。
   私は上海に入ると、20年来の友人のパブに顔を出します。その店は「イエスタディー」と言いますが、別な機会に記します。中国は7回掲載しましたので、次回はアメリカの思い出を記します。
                                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年までの中国(杭州湾を跨いで上海へ)・・・161

2014.8.25月 曇り 午前6:40
   杭州湾に橋が架かった。とてつもなく長い橋である。渡るのに小一時間架かりそうな橋である。私は十回以上、商用、観光、案内でこの橋を渡たりました。行くときの話より、起点の上海に戻る時を記します。杭州湾の出口は100km以上ありますが、橋から河口は見えません。上海に戻るときは、太陽が湾の上流にみえます。大きく真っ赤な太陽が、湾の水面をギラギラと照らし、濁流が遠くから押し寄せるように流れてきます。時折、水面から飛び跳ねる大魚を見ます。潮が引くと、水底のドロ肌が現れ、東シナ海の夢が消されてしまいます。満潮時の湾の水量は表現できません。海より多い水量に見えるとしか言いようがありません。年一回の大潮時には、ブラジルのポロロッカのような、湾の逆流現象を見られるそうです。橋の途中に見学所があり、観光客で賑わっていますが、平日はさほどでは有りませんでした。その見学所は有料ですから、一度行けば二度と行きたくなるほどの誘惑力は有りませんでした。
    見学を出たら一心に上海に戻りたくなります。理由は日本と味付けが似ている上海料理が恋しくなるからです。橋を渡ると、何となく上海の街明かりが、遠くに見えるような気分におそわれます。
その上海に向かって後1時間はゆうにかかりますので、明日に記します。
                                           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年8月24日日曜日

2014年までの中国(杭州湾沿い)・・・160

2014.8.24 日 快晴  午前6:30
  蒋介石の生家を見てから孫義之書聖の故郷に寄ろうと思ったが、上海までの距離は300kmを残しているので、寄らずに上海に向けて車を走らせた。杭州湾を跨ぐ橋が出来たばかりでもあったので、その橋を跨いで上海に戻る計画に変更した。赤茶けた左右の山をぬうように、高速道路はあります。しばし、神経を休ませてぼやーと景色を眺めた。山肌に松の木がへばり付き、所々に岩石を
取った後、何やら山肌に墓地がある。その墓地には、花輪や供物が沢山あがっている。先祖を敬う心は日本より格上だ。日本の墓地と違うのは、西向きの山間に作られていること、墓地の花輪が
けばけばしい事ぐらいかなと、ぼんやり眺める。
   次に、高速道路の出入口近くには、出口から繋がるその町や村の観光所や生産工場の看板が目立ちます。外国等の資本を導入しようと一生懸命看板を立てているようです。何しろ、外国の大口資本を導入すれば、その町は大いに潤うのですから、その町の指導者は頑張るほか無いのである。指導者はより中央に近い位置を取ろうと考えるのでしょう。杭州湾を跨ぐ入口までは、以上の
ような風景が数多くあります。
   杭州湾は観光名所が多いところです。杭州湾の上流に作家の郁達夫さんの出生地と生家があります。彼に敬意を表し5度ほど線香をあげに行きました。日本の東大で学び、中国に戻り、反日
活動中に、マレーシア?で日本の憲兵隊に射殺された方です。偶然、私の会社にその子孫が
働いていますので、5回ほど敬意を表しに行きました。その子孫は、今やハーバード大学の先生
や役人等で活躍しています。
    明日は杭州湾を跨ぎ上海に向かいます。
                                        アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年8月23日土曜日

2014年までの中国(台州から蒋介石の生家へ)・・・159

2014.8.23 土  曇り 午前8:00
   台州から上海に戻る行程上に蒋介石の生家と孫義之の故郷があることが分かったので、尋ねてみようと考えた。蒋介石の生家に何とかたどり着いたので、早速、徒歩で向かった。台湾からの観光客が多く、大変賑わっていた。おまけに、蒋介石のそっくりさんまでいた。中国の古い衣服を着て
ゆったり歩いている。声をかけて写真を撮ると、お金を請求されるので、写真は撮らなかった。
   日本でいう蒋介石の家は、大庄屋作りであった。これまた中に入るとお金を取られるようになっていたので、中には入らずに入口で写真を取った。その蒋介石の村の殆どが蒋の名字であった。
整った水田が有り、綺麗な小川が流れていて、緑木の多い村で、米と川魚が豊かそうな風景でした。蒋介石は日本に留学していたことが有り、親しみやすい人物ですが、共産党との戦に敗れて
台湾に立てこもり、最後まで大陸反攻を夢見ていたが、その思いは達せずに亡くなりました。
思うに、男は夢を見ながら最後に至るのかなと、感傷的な気分で次の孫義之の故郷には行きたくなくなってしまいました。明日は杭州湾沿いの町に行くを記します。
                                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年8月22日金曜日

2014年までの中国(台州)・・158

2014.8.22 金 快晴  午前6:30
   福建省の台州は日本のスクラップ鉄が運び込まれる土地と言うので商売上で行った。上海から6時間くらいで着いた。着いた時間が夜だったので、近くの小観光地の山に泊まった。夜の食事はべら棒に高かった。聞いてみると山奥なので、肉が市場からなかなか来ないので、高いのだという。安い野菜だけの食事にしたが、なかなか美味しかったし、私の健康には極めてよかったので、満足した夕食となった。
    あくる朝、少々の時間を利用して山に上った。途中にお寺があって、スピーカーでお経を流し続け、お賽銭を上げさせていた。更に上に行くと、滝が山の天辺から落ちていたが、長い滝なので、
下に来るまでに、霧になってしまう滝であった。季節はおりしも初夏であったので、子供たちはその下で水遊びをしていた。日本の観光地から見ると、何事もスケールが大きい中国である。山も石も
滝も、木々も日本の数倍あるスケールの台州でした。山を下り、スクラップ鉄が運び込まれる港は
明日に記します。
                                                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年8月21日木曜日

2014年までの中国(福州の町)・・・157

2014.8.21木 午前6:40
   福州は一度限り訪れた町であった。想い出は少ないが、発展した町の想い出がある。大きく豪華なホテルや整備された繁華街を憶えている。空海の上陸地は訪れはしなかった。理由は、仕事で石材を探しに行ったからである。石材も厦門と違い、柔らかい石が多かったので、輸入までには至らないでしまった。うろ覚えだが、埋もれた古刹は、7百年の時を経て、発見された古刹と言われたので、中に入ってみた。全部が土中に埋もれていたが、階段で中に入れるようになっていた。暗闇の中に、大きな生きているカエルが神の使いとして、飼われていた。奇妙なカエルであったので、薄気味悪くなり、見学も早々に外に出た。思い出すと、外に出たのは、土中が暑くてたまらなかった
からであった。想い出の少ない福州であるから終わりにします。明日は台州を記します。
                                                   アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年8月16日土曜日

2014年までの中国(福州の空海の上陸地)・・・156

2014.8.19 火  曇り 午前6:00
  お盆が終わった。家の周囲の畑(2千坪)を耕し、庭木を剪定、屋敷周りの草を除草したお盆の休みであった。お盆中は何処にも行かずに過ごした。但し、労働で過ごした休みとなった。体力はついたようである。笑笑。
  さて、福州に石材を仕入れに行った時の話ですが、偶然に福州の町の端で、空海の上陸地点という記念柱を見た。石材を探しに行くのが先だったので、先を忙いでいたから立ち寄らないでしまった。私の先祖が真言宗で祀られているので、日本に帰ってから書物を読んでみた。やはり、福州の
赤岸鎮というところに、空海は流れ着いたのであった。そして、空海が上陸してから西安までの道程に興味を持ってしまった。1300年くらい前の話である。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年までのアメリカ(ハイウエーでモーテルの見つけ方)・・・155

2014.8.16土  雨 午前5:40
    ハイウエーを走っていると、夕方時には泊まるところを見つけるのが心配になる。まして、アメリカの初めての旅なら、特に心配になるでしょう。そんな場合の見つけ方を記してみます。
   アメリカのハイウエーは縦横の道路がしっかりと区別されて敷設されています。横の番号は偶数
で縦の番号は奇数となっています。その他に様々なフリーウエーや国道、市道が縦横にクロスされる所があります。そのクロスされる周辺に高中低価格のモーテルが建っていますので、あらかじめ
休憩所で確認をしておくと、その夜のモーテルは簡単に見つかります。びっくりするくらい簡単です。しかし、モーテルはどこを選ぶかが、その夜を快適に過ごせるか否かになります。高級モーテルは、ヒルトンやマリオット等ですが、中級以下はモーテル6やモーテル8、クオリティイン等です。
レッドルーフというモーテルは、安くても部屋が広く、清潔でした。最低は観光地の中級モーテルです。値段は高いが、宿泊地とは言えないキャンプのバンガロー程度と言わざるほかないでしょう。
    不思議に、アメリカでも夕方時は部屋を見つけようと右往左往しているドライバーが多く見受けられました。人間の癖は古今東西、どこでも同じようと思いました。
   モーテルはネットで予約をしておくと便利ですが、そのモーテルにたどり着くのが大変です。理由は英語能力ですが、ナビを使えばそんなに困難では無いと思いますが、アメリカでのナビ探索も
少々の英語能力を要しますので、英語辞書持参で行けばモーテルを見つけやすいです。
    明日からは中国大陸になります。
                                                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年8月15日金曜日

2014年のアメリカ(ハイウエーの一日)・・・154

2014.7.15 金  曇天  午前6:00
   ハイウエーの朝は忙しく車が動く。乗り降りの車もスピードを出して走ります。それぞれが目的地に向かって、まっしぐらの様相です。トレラー、乗用車、実用車、パトカー等が目まぐるしく走り、休憩所では、手に朝食のマックとLサイズのコーヒーを持った男たちが入ったり出たりしています。
  昼前後になると、一般車が多くなり、女性の運転者も多く見受けられます。割合い、のんびりと走っています。面白いのは、アメリカ女性に車がマッチしていることです。夕方は朝と同じで、忙しく、家路に向かう車が多くなります。夕暮れ時のアメリカのハイウエーは、春秋冬夏にそれぞれの情緒を漂わせてくれます。特に、春の夕暮れ時は、家路を忘れてしまいます。
  明日はハイウエー上でランチやモーテルを見つけるテクニックを記します。
                                       アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年8月14日木曜日

2014年までのアメリカ(モーテル利用)・・・153

2014.8.14木  曇り  午前7:00
   アメリカ旅行はモーテルが一番です。安くて、綺麗で、プライバシー保護が十分、全然かまって
貰えない、だからです。フロント前に車を止めて、パスポートとカードを出し、ワンベッド、ワンナイト、OKと言えば、相手は「ソーリー、ツーベッド、OK」と言うでしょう。OKと言えば泊まれるし、泊まりたくなければ、隣のモーテルに行けば良い。そこでも、同じように、呪文的英語を奏でれば良い。この方法で全米2万4千kmの行程で、泊まれなかったことはありませんでした。笑笑笑。
    そして、部屋では密かに、持ち込んだ「寄せ鍋」セットで、「アメリカ晩酌」をやる。具は近くのスーパーで日本の具に似たものを調達、酒は日本酒か焼酎、ビールだけはアメリカが可哀そうだから、アメリカ製を飲んであげる。つまり、2対1のテーブルで、アメリカのテレビを見て、音楽を聴き、酔ったら、外に出てアメリカの月と夜空を仰ぐ。これが私のアメリカのストレス解消、一人旅の夜である。酔ったら、そのままベッドに倒れこむように寝る。気分の良い一人だけのベッドとなる。
    朝が来たら、昨夜のパーテイ跡をかたずけて、朝食の食堂に行く。コーヒーとパン、牛乳くらいは
無料で頂ける。食堂内はアメリカの庶民で一杯だから、アメリカ的家族旅行を観察できる良いチャンスです。そこでは、「グッド、モーニング」の連発をすれば、挨拶ができ、気分の良い旅立ちになります。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重衛
  

2014年8月12日火曜日

2014年までのアメリカ(ワシントンに向かう・食料)・・・152

2014.8.12 火  快晴秋空  午前6:00
   やっとマンハッタンを出られた私たちは、午後5時ごろにワシントンに向かった。約300㎞の道程を夕方に南西に突っ走った。アメリカン高速は1時間で120㎞を走れる。ワシントンには8時頃に着ける予定であるから、いきなりワシントンに入らないで、10km手前の町に泊まることにした。ワシントン入りは、翌日の早朝にした。その理由は、ワシントンのモーテルは料金が高いと予想、街から
離れれば離れるほどモーテルの料金が安いからである。例えば、街内の料金が15,000円だったら20㎞離れたモーテルは、その半分程度の差がある。宿泊費が安ければ、その分を食費に回せることになる。そういうことから、私たちは手前の「クオリティ・イン」に泊まった。チックインを済ませると直ちに食料調達に出た。ワシントンの手前の街は人口が少なく、飲食店街等は少なく、
食料調達は結構困難となる。経験上から分かっていましたが、その日は着いた時間が遅いので
なかなか見つけることができませんでした。腹が減ってくると、誰でもイラついてくる。なかなか見つからないと参加者が、言葉がトゲトゲしくなったり、ぐちぽっくなったり、黙りこくなってきます。そんな
雰囲気を感じたら、リーダーは直ちにコンビニ等の入り、取りあえずの食料を買って、参加者のご機嫌をとるようにします。取りあえずの食料を携えてから、持ち帰りの弁当店を探すようにします。
そうすると、万一、弁当店が無くても、コンビニ食料で我慢ができます。但し、ウイスキー、ビール、
焼酎、日本酒等は常時携帯していますので、参加者の欲求不満が高まらなくてすみます。
   明日は早朝のホワイトハウスを記します。
                                                      アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝

2014年8月11日月曜日

2014年までのアメリカ(マンハッタン内をドライブ)・・・151

2014.8.11月  台風一過曇天  午前6:15
  マンハッタンにやっと入り、マンハッタン内をドライブをしたが、どこをどう通っているかはあまり分からない。どこがどこかも分からないが、現在地の位置は分かるので、迷子にはならいない。しかし、参加者全員が行きたいところに、スムーズに行けないのである。理由は、英語力である。
日本ならば、どこまで行っても大丈夫だが、アメリカニューヨークでは、簡単に移動ができない。
無理な英語でやっと聞いたところで「ここの人ではないから分からない」と言われることが多かった。しかし諦めて、車のナビと地図を頼りに動いているうちに、その街が分かってくる。そのような
無駄な時間と無駄なガソリンを使っているうちに、街のアウトラインが頭に叩き込まれ、結構スムーズに動けるようになった。そうなるまでの時間は5時間や10時間はかかってしまうので、時間を
節約する旅は、友人かガイドを頼む必要があると思う。私たちは何とかマンハッタン内を自由に
歩けるようになり、行きたいところには行けたので、午後に次のワシントンに向かうことになった。
    明日は街から出れないを記します。
                                           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年8月10日日曜日

2014年までのアメリカ(ニューヨークから出られない)・・・150

2014年8月9日 日 大雨台風  午前7:15
  台風が四国に上陸した朝に記しています。昨年の9月にニューヨーク発~ワシントン~テネシー~ダラス~アビリーン~アルバカーキ~セドナ~ウインストンR66 ~ロス~サンタモニカ~サンタバーバラ~モントレー半島ぺブルビーチ~サンフランシスコゴールデンゲート着のコースを友人4人と廻った。しかもその途中でゴルフを5回プレイーした。ゴルフは全て自分たちで申し込んゴルフで観光会社の敵のような旅行であった。
   その中で最初の町であるニューヨークからニュージャージ州に移動できないハプニングに見舞われたことを記します。少なくとも私は、この時はニューヨークは7度目であったので、まさか迷うとは
思わなかったのだ。親しい友人達とのドライブであったので、心がウキウキして、道路をよく認識しないで動いてしまった。JFK ケネデイ空港を降りると、西の遠くにビル群がみられるので、勘だけを
頼りに、そこに向かってしまった。スピード感あるハイウエイーで進入口を間違うと、全く別の方面に流されてしまうのである。その日は感が冴えなくて、マンハッタンの東側でウロウロしました。しばらく走り、気が付くとJFK空港の東部周辺に入ってしまった。滑走路の端のようで、盛んに飛行機
の着陸光景が見える場所である。友人たちが騒ぎ始めているが、まだパニックには至っていないので、私はすずしい顔をして、「間違った」と言い、近くの空き地を探し、方向転換をした。なんせ、
アメリカは近くに見えても遠い。日本の距離感と違う。明日はマンハッタンに入れたが、町を抜けられないを記します。
                                            アメリカ.中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年8月8日金曜日

2014年までのアメリカ(サンフランシスコ~)・・・149

2014.8.8金  曇り 午前6:30
  サンフランシスコには都合6回行った。中国華僑が空港までベンツで迎えに来た。初めてなので戸惑った滞在であったが、サンデイゴまで行けた。2回目はアメリカ横断の最終地点として3日間滞在した。初めてゴールデンゲートの上で景観を楽しんだ。3回目はアメリカ縦断の最終地点として立ち寄った。有名大学に行って学生の町を見てみた。またしてもゴールデンゲートに行った。
4回目はシカゴのロータリークラブの帰りに立ち寄り、町を一寸観光した。5回目はサクラメントからの帰りに立ち寄り、最低のモーテルに泊まった。風で高熱を出し寝込んだモーテルであった。6回目はアメリカV字横断の最終地点であった。都合6回のサンフランシスコでこの町の通になった。
   最後の6回目は、ニューヨーク~ワシントン~アーカンソー~ダラス~アルバカキー~セドナ~
ロス~サンタモニカ~モントレー半島のべブルビーチ~サンフランシスコを回った時でしたが、一番
思い出が深く残っています。明日はこの移動中の思い出を記します。
                                                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
ぺブルビーチ海岸・高級別荘

2014年8月7日木曜日

2014年までの中国(厦門のホテルからの眺望)・・・148

2014.8.7 木  快晴  午前6:30
  泊まったホテルは港の真ん前で中級のホテルであったが、対岸にコロンス島が見え、場所は最高でした。遠くに大型船がタグボートに引かれて悠々と移動をしている。空には大きなカモメが
餌を探して、海面すれすれに飛んでいる。時折、狙われていることを知らない小魚が跳ねている。
対岸の椰子の木はゆらゆらと風にそよぎ、コロンス島内で働いている人々はのんびりと働くように
見える。フェリーだけが忙しく往復を繰り返し、スクリューの波を絶え間なく作り出している。
  私ものんびりとホテルの窓を開けテラスに出る。潮風の匂いと南国特有の香りが一気に鼻に入る。思わず、空を見上げ明日は上海に帰ることを思い出す。南国の空気と香りは今日まで、あと一日いようかな等と無理なことを考える。目の前の空を真っ白なカモメが飛んで行った。ハッと我に帰り、日本の事が頭の中を過った。日本に帰ることも悪くないなと心の中が騒いだ。再見、再見と
海に向かって、サヨナラの挨拶をした。明日は機上の人になる。
    明日からはアメリカの滞在記を記します。
                                          アメリカ.中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年8月6日水曜日

2014年までの中国(厦門の町の光景)・・・147

2014.8.6 水  快晴 午前6:40
  厦門の町並みは異国情緒豊かである。ヨーロッパ風の瓦屋根と壁の白さが忘れない町である。沿道には椰子の木が植えられていて、手い入れも十分である。時折、ソテツの木も目に入る。空は
あくまで真っ青、海岸の白砂は眩しく、紺碧の海水は透き通っていて、海鳥の鳴き声も南の陽気さを含んでいた。空港内やビルの床は御影石張りで豪華であり、通り一辺を見渡しただけで豊かな
町と分かる。アメリカ並みの高速道路やその降り口のループの見事さ等が更に豊かさに輪をかけ
ています。
   夜の飲食店の賑わいは完全な繁栄の証です。豪華なお店の中は、豪華な器や着飾った姉さん方が、最高級の料理を並べて、目食を楽しんでいます。テーブルに並ぶ酒は、どこかのワインや
高級中国酒でしょう。ほとんどのボトルは飲みつくされていません。封を切っただけのようです。
料理も沢山残されています。このような方々のテーブルは役人か富裕層の方々です。その方々は店を出た途端、最も近い場所に運転士付きのベンツかそれ以上の高級車が待っていてくれます。
私もその方々に等しい富裕層の友人がいますので、マイバッファで飲食店を後にしたことがありました。それは広東の話ですが、それ以来1年間ほどベンツ等の高級車には乗っていません。庶民代表の私です。
                                          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年8月5日火曜日

2014年までの中国(厦門の採石現場の思い出)・・・146

2016.8.5火 快晴 午前6:20
  厦門の採石現場山に行った。厦門の採石方法は平地から下に掘っていく方法で、山を切り崩しながら採石する方法ではありません。淵の天辺から下を見下ろしたところ、地上から50m程度の下まで掘られた大きな穴に作業が数十人働いていました。危険性極まりない現場に見えました。
  真っ白な御影石の層が何層にもなり、折り重なっていましたが、採石の方法が一定の方法でなく、ここにもある、ここにもあるのような不安定な採石の仕方に見えました。山の案内人は、「この山の下にまだ7人が埋まっているんだ」と言った。私は思わず息を呑んだが、言葉が出なかった。中国経済発展の裏に一体何人の人命が失われているのか。数え切れないだろう、私たちはそのような人の犠牲の上で生活ができるのだと、感謝の気持ちが沸き上がった瞬間の厦門の思い出である。
                                           アメリカ.中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年8月4日月曜日

2014年までの中国(厦門の顔秋梅女史)・・・143

2014.8.4月 快晴 午前6:30
  私は厦門の顔秋梅女史の叔父の経営する石材会社から、15年以上にわたり石材を輸入しています。彼女はその会社の輸出担当で、夫は証券会社で働いています。年のころは40歳前後ですが、正に日本の良妻賢母を地で行ったような女性です。昼間は諸外国相手に電話やメール等で営業をし、夕方になると夫と子の家庭の下にせせっと帰ります。私が厦門に行くと、この女性は私に石の説明や運転士又は食事のお世話をしてくれます。海の見える粗末な食堂で接待を受けるのですが、どこの店に行っても、彼女の顔が広いことが分かります。自分から店の厨房に入り、日本人の私の舌に合うように調理を指導してしまいます。彼女は一切の酒を口にいませんが、私が飲んでいる間は同席をしてくれます。しかし、私は夜の探訪は一人歩きが好きなので、早めに彼女に帰ってもらいたく、うずうずしていると気をきかして帰ります。翌朝、会社で顔を合わせると母親の
ような顔つきをして、昨夜の夜遊びをたしなめるような目つきをします。私はこの瞬間、目をそらし
直ちに仕事の話に入ります。彼女も仕事の話に没頭します。このような爽やかな人がいる厦門は、
私の冒険的人生で出会う清流水のようなものですが、既に彼女に出会ってから、16年程経ちました。
   明日は石材採掘現場を記します。
                                        アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年8月3日日曜日

2014年までの中国(コロンス島の奥深くへ)・・・142

2014.8.3日 快晴 午前6:00
    コロンス島の巨岩の上に立って超望を楽しんだ後は更に奥に上るだけです。曲がりくねった坂を
上っていく途中にいくつも豪邸がある。何でも大変立身出世したひとたちの家とのこと。確かに豪邸のようですから、幾つかの豪邸の中を覗き込んでみましたところ、ヨーロッパ式の立派なベランダや
庭が見えました。更に奥に進むと今度は下り坂になってきました。どうやらコロンスは、本当に小島
と思えました。それは西側の海が断崖の間から見え隠れしています。坂道を東方に歩いていくと
立派な鄭成功記念館にぶつかりました。思わず友人に会ったような気分になり、心も体も軽くなって、会館の入り口から中に入りました。そこで分かったのは、鄭成功の父は中国人で母は日本長崎の平戸藩の武家の娘であったことや、南京で高学歴の教育を受けた後は、明時代の末期に復明運動を有名な朱舜水等と連携して抗清活動をしたことや、台湾をオランダ軍から解放したこと等が、具体的に分かりました。日本、長崎、東シナ海、南シナ海、厦門島、コロンス島を結ぶ壮大な
海のロマンが、私の頭の中に連想しました。青空、碧海、輝く太陽、折り返す白波、白砂、椰子の木、断崖の岸等の大好きな光景を思い出しながらコロンス島を後にしたのは、夕日が西に沈み、
月が満天に輝きだした時分でした。明日は厦門の石材会社の顔氏と発掘の石山を見学したことを
記します。
                                                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年8月1日金曜日

2014年までの中国(鄭成功のコロンス島)・・・141

2014.8.1 金  午前 6:20
    昨夜は水戸市の大工町で遊んだ。真夏の暑い朝だが、早く帰ったので普通に起きられた。
さて、今日は中国福建省アモイのコロンス島の思い出を記します。 この島はアモイの海岸から
僅か数百メートルにある小さな島である。明末清初の時代に活躍した明政権の再興運動をした鄭成功(日本人の母)が一時的に本拠地とした場所である。やがて鄭成功は北伐のために、揚子江を上り、南京攻略をしかけたが、失敗して帰りがけに、台湾のオランダ人を駆逐したこと等の拠点となった島です。
    島にはフェリーでいきますが、島には車が一切ありませんから、すべて徒歩で歩きます。徒歩で島内を歩くことによって、島内の名所旧跡を見ることができます。上陸後は真っ直ぐに連なるお土産屋を抜けると、左側に白砂の海岸と高級ホテルが目に入ります。季節時には海水浴客で賑わい
ます。私も泳いだことがありますが、日本の海水独特のピりとくる感触はありませんでした。ドヨーントとした海水でした。左手に海を見てドンドン上っていくと、大きな岩石のあるところにたどり着きます。天から転がってきて、山のてっぺんに止まったような岩石ですが、上り口が付いていて岩石のてっぺんに上れます。どんどん上って石の上に出ると、そこは眺望抜群の場所となります。
南シナ海や中原の世界が前と背中に迫ってくる大陸の場所であり、日本ではお目にかかれない
壮大な景色と言えるでしょう。
    明日は更に島に深く潜入した思い出を記します。
                                             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝