2014年7月29日火曜日

2014年までの中国(厦門)・・・140

2014.7.29火  晴れ 午前6:30
  福建省アモイ(シャーメン)には何度も行った。観光ではなく石材輸入商談で行ったのである。アモイの海の向かい側10kmの先に金門島があり、その島は台湾の施政区である。約60年前は戦争状態であったと言う。両岸の軍隊が大砲を相手に向けて撃ち合ったのである。その海岸に行って
見た。大きな岩を細工しトーチカが作られていた。金門島を見張る穴や銃眼である。そのトーチカにもぐってみた。良く相手を観察したり攻撃できるようになっていた。毛沢東と蒋介石が体制をかけた戦いが最近まで行われていた地域である。しかし、不思議なことも現地の古老から聞いた。古老
曰く「夜になると船で相手の陣地に行って交遊していた」と聞いた。どうやら、本当の戦争でなく、
示威攻撃のようのものであったのかなと思われた。
  明日は母親が日本人の現地の英雄の鄭成功の根拠地のコロンス島に行ったことを記します。
                                           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年7月28日月曜日

2014年までのアメリカ(サンフランシスコに戻る)・・・139

2014.7.28月 曇り 午前6:30
  若者の群れの中を脱出した私は一路サンフランシスコに向けて走った。途中にぺブルビーチ海岸やカメルーンという有名な町等を知る由も無く走った。明け方にサンフランシスコ湾に着いた。潮風
はあまり感じないが、やはり、この町は良い。アジア人が多く住んでいるので、何となく東洋文明が
感じられる。待ちゆく人に黒髪を多く見受けられる。凸凹の多い町、金門橋、フィシャーマン、中華料理店等々が有名ところであるが、私はあまり行きたくない。あまり有名な場所は俗化していて
面白くないのである。私が行きたい場所は、俗化していない未開の場所である。その未開の場所が、アメリカには無限にあります。そこに行けば、何を食べても、食べなくても文句はありません。
  結論、アメリカの安宿、未開の地、人が踏み行けない場所に行きたいと思っています。次回は
中国大陸のアモイを記します。
                                                     アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                                       アメリカの避暑地セドナ・・・小休止の時

2014年7月26日土曜日

2014年までのアメリカ(高速の上で野宿と車内泊)・・・138

2014.7.26土 快晴  午前6:45
  R1号線上で深夜を迎えてしまった私は覚悟をし、野宿をしようと場所を物色し始まった。高速を降りた周辺の暗闇や大木の下、高い草むらの中、倉庫らしき建物の横、牧場の厩等を探しました。見えない、音が無い、いつまでも暗闇の場所、好条件の場所がなかなか無かった。先ず、高速を降りた暗闇は朝が早く明るくなる。大木の下は夜中の雷が危ない、高い草むらは虫がいる、倉庫らしき建物の横は、所有者に不審がられる、まして牧場の厩は動物臭くて叶わない。つまり、野宿は危険と隣り合わせで好条件が無い。このような場所は諦めて、高速上の駐車場の陰地に車を止めた。
広ーい駐車場に車が二三台停まっている。明らかに野宿組、いや車内泊組の車であった。私も
車を静かに滑らせて、彼らの仲間入りをした。このような場合のアメリカでの仁義は分からない。
朝だけの挨拶で済むだろうと考え、エンジンを切り、窓にシャッツを合計5枚挟み、車内を暗くして
横になった。なかなか寝付けないので、静かにドアを開けて外に出た。カルフォルニアの深夜の空は、満点の星、遠くに北極星がキラキラと輝き、ここは異国の空だと感じ入った。同時に一人ぼっちの寂しさが湧き上がってきてしまいました。こうなるとだめだ、もう寝るほかなく、車内に身を滑らせた。先ほどの星空を思い出しているうちに寝てしまいました。
   明日はサンフランシスコに戻るを記します。
                                        アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年7月25日金曜日

2014年までのアメリカ(若者の群れの中に)・・・137

2014.7.25金 快晴  午前6:20
  若者の群れの中にとにかくゆっくりと車を入れて進んだ。避けたり、逃げたりの様子を見せないで
輪の中を進んだ。幸い深夜なので車の中は見えにくい。窓越しに若者の形相が見える。厳しい顔をした者もいるが、にやけている若者もいるので、非常に危険な状態に至ってないことは判断できる。車をゆっくり進め、輪の中を出た。人混みが薄れたので、一気に加速をして遠ざかった。脱出できた安堵感で疲れが出たが、頑張って深夜のR1号線をサンフランシスコに向かって走った。途中で方向を見失ったが、北極星をめがけて走り、方向を修正した。今どこを走っているのかは分からないが、とにかく車はサンフランシスコに向かっているのは確かだと北極星のおかげで感じられた。明日は野宿をしたを記します。
                            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年7月23日水曜日

2014年までのアメリカ(深夜の高速と田舎道)・・・136

2014.7.23水 快晴 午前6:15
 テファナを後にして、サンデイゴからロス、そしてサンタモニカ海岸を夕方走っている時に暗闇が
追ってきました。本来ならば美しい海岸沿いのドライブであったが、暗くなってくると気が逸り、前へ
前と走るだけのドライブになってしまいました。海で遊んでいた若者達も急ぎ足で車に戻る風景や
飛んでいる鳥も巣に戻る風景を見ると、こちらもアクセルをグーンと踏み込んでしまいます。
  運転中悩んでいました。来た道を帰るか、違う道を帰るか、せっかく旅に来て同じ道を帰るのは
面白くないなと考えました。思い切って来た道の高速101からR1号線を使いサンフランシスコに戻ることにしました。このR1号線は太平洋の海岸線をどこまでも走る道です。狭い道路ですが、日本の狭い道路よりは、格段に広い道路ですから、走っても楽です。ロスを抜けサンタモニカからR1に
入り、左に海を見ながら走るのですが、夜になってしまったので、白い波だけが見える道路になっています。深夜の12時頃、R1を走るのが飽きたので一寸走っている道路を反れて、明かりの見えた横道に入りました。そこで見たものは、若者たちの危険な大騒ぎパーテイでした。右と左に分かれた若者達がいがみ合っていました。私に車はそのいがみ合っている真ん中を進む羽目になってしまったのです。明日はこの危険グループの中をとっさに閃いた方法で進んだことを記します。
                                           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年7月22日火曜日

2014年までのアメリカ(メキシコ国境の町テファナ)・・・135

2014.7.22火 曇り 午前6:20
  昨夜慌てて泊まったモーテルは酷かった。床は裸足で歩けない、スリッパは無い、トイレはカギがかからない、おまけに入口のドアの鍵も形ばかりであった。そこで私は300ドルだけを出して取られてもところに置き、その他のドルは分かりにくいところに隠し、非常事態に備えた。アメリカの安宿
は、必ずと言ってよいほどエアコンの音が煩い。このモーテルも例外でなく、疲れていないと寝られないが、ドライブ旅行は疲れるので寝ることは大丈夫でした。
  幸いに何もなく寝られたので、朝はスッキリ起きられた。庭にでて見ると、酷く疲れたモーテルであるが、朝の気分の良いのはどこでも同じです。庭にはハイビスカス等の南の花が咲き乱れ、地球の南にいるのだと感じました。ここはメキシコ国境の町でメキシコ人が多く、越境者も多いと言われる町です。犯罪も多く、薬、発砲、暴力が日常茶飯事のようですが、私は幸いに目にしなくてすみました。国境のバリケードを見たくて、車でバリケードに突き当る道路を真っ直ぐ進み、太い針金の
バリケードに突き当たったので、そこで車を止め、しばらくバリケードの先のテファナを眺めてから、そこを後にしました。明日はサンフランシスコに戻る深夜から暁のスリリングなドライブを記します。
                                        アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年7月20日日曜日

2014年までのアメリカ(メキシコ国境の町)・・・134

2014.7.20日 曇り梅雨去らず 午前7:00
  テファナの町の安宿に着いた私はレストランかマックを探しに出かけた。夜なので危険は分かっていたが、腹が減っては戦ができないとばかりに、夜の町に夕食を求めて出かけた。夜道をしばらく歩くと寂しいスーパーや名ばかりのレストランが見えてきた。すると後ろからつけてくる二人組に
気づいた。直ちに危機感を感じたので警戒態勢に入り、ベルトに挟んである護身用のナイフを
再確認し、五感を高め、態勢を整えたのである。次に最適な防御場所を探し、左側に塀があった
地点で、その塀を背中にして、後ろの二人組をやり過ごそうと立ち止まった。私はいかにも警戒態勢を整えたかのような仕草で、彼らに右手で先に行けというようなしぐさを行ったのである。彼らは
気づかれたと思ったのか、目線の挨拶だけで私を追い抜いて行ったのである。このような危機は
私の思い過ごしか、それともピタリと当てたか分からないが、とにかく無事にスーパーまで行って、
夕食を買い求め、モーテルに戻り夕食を得られたのでした。面白かったことは、緊張感の後に、スーパー冷え冷えの缶ビールをやっと見つけたところ、レジで午後9時以降なので売れないよと言われ、とても残念感を味わったことでした。その日は深夜まで、私の頭と喉が冷たいビールを求め続けていたが、そのうちにぐっすり寝られ、翌朝を迎えることになりました。明日は国境の町テファナ周辺を掲載する予定です。
                                                     アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                                          このような目つきでアメリカを探検しています

2014年7月19日土曜日

2014年までのアメリカ(ロスからサンデイゴに向かう」・・・133

2014.7.19土 雨 午前6:30
   サンタバーバラからルート101を更に南下するとサンタモニカを過ぎてロスに入れます。モニカやロスでは名所がたくさんあるが、さほどハリウッドに興味の無い私はぐんぐん南下します。昼食ためにデズニーのある町で牛丼を食べ、一寸の休み時間でサンデイゴに向かいました。
  サンデイゴは南のリゾート地でもあり、アメリカ海軍の基地でもあります。サンデイゴに着いた私は
モーテルを探し求めて彷徨ってしまいました。メキシコ国境のテファナ周辺をぐるぐる歩いた後、
やっと一軒の安宿を見つけ、転がり込めました。夜の9時頃になってしまいましたので、夕食を求めて夜の危ない道に出かける羽目に陥ったのです。そこで遭遇した事件は明日掲載します。
                                         アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年7月18日金曜日

2014年までのアメリカ(サンフランシスコ~サンタバーバラへ〉・・・132

2014.7.18 金  雨  午前4:40
  サンフランシスコ空港を出た私はレンタカーを借りて一路サンタバーバラに向かった。R101を
一気に南下するのです。太平洋を右に見ながら、ドライブをします。椰子の木と真っ赤な太陽、
青空と砂浜、海辺で泳ぐ少年少女達の景色もカルフォルニア景色です。夕方になると、一番近い
モーテルに宿をとります。1泊は約100ドル前後で普通のモーテルに泊まれますが、観光地周辺
は、やや高くなります。
  私の気分は一気に開放的になり、グーンとアクセルを踏み込み、車のラジオを流し、窓を開け、
肩肘を出して、太陽と潮風を車内に取り入れて気分爽快で走ります。サンフランシスコからサンタ
バーバラまで450km、走行時間は5時間です。海岸沿いの道路では、海に浮かぶ高級クルーザーやヨット等が目に入ります。昼食はマックで夕食は日本の居酒屋で取れます。サンタバーバラの居酒屋では旅の安全を祈願し、乾杯の儀式をしましたが、一人旅ですから、つぶやくだけの乾杯でした。明日はサンタバーバラからロスを抜けて、サンデイゴまで走ります。
                                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                                                           サンタモニカ海岸の背景

2014年7月17日木曜日

2014年までのアメリカ(サンフランシスコ~テファナの間)太平洋沿い・・・131

2014年7月17日木 曇天 午前5:〇〇
  昨日はゴルフをした。とにかく暑くてスコアは暴れた。55:45の100叩きの刑を受けた。猛省をしている朝です。
  今日はアメリカに戻り、何度か訪れたサンフランシスコとその周辺を記します。初めてサンフランシスコの町に行ったのは、十数年前であったと思う。成田から飛び立ち10時間くらいで着いたので
びっくりしたことを思い出した。ニューヨークだと14時間くらいかかるのを10時間で着いたものだから、思わずびっくりしたことを思い出しています。憶えていることは、入国管理官の質問が色々煩かったことでした。どこからどこへ行くか、仕事か観光か、なぜ1万ドルを持っているか等々を聞かれたことでした。思うに、日本人は外国人と言うだけで善良な人と考えてしまい、どうぞ、どうぞと
言わんばかりで、通してしまうのかもしれないが、人種多様の国のアメリカは、そうはいかないのである。それでも、悪いものを持ったり、悪いことをしに行くわけでないので、堂々と答え、入管を通り、荷物を受け取り、税関を通り、空港の外に出られました。外に出て、シャトルでハーツレンタカー
会社に向かいます。ハーツでは日本から予約を入れているので、比較的簡単に車をゲットできますが、むやみやたらに保険の加入を勧められますので、レンタカー保険の勉強を日本でしておけば用意万端です。ただし、私はあまり勉強をしません。理由は英語が不十分だからです。そんなこんなで、レントした車をハーツの駐車場で拾います。運転席に乗り込み、方向器やサイドブレーキ、
タイヤのスペヤ、オイル、ワッシャー、ウインドブレかー等を十分点検し、車を目的地方向に発車させます。私がいつも向かうのは・・・・・です。明日を読んでください。
                                              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・・照沼重輝

2014年7月14日月曜日

2014年までの中国(広州市)・・・130

2014.7.14月 快晴 午前6:30
  そこは天空のレストランであった。広州市の有名な中華料理店である南海漁村が運営している
空中第一号という店です。私はその店の経営者と友人でもあり取引先でもある。1㎏が数十万と
いう超高級食材を買ってくれているお店です。先ず入口から度肝を抜かれます。入口の大理石は
希少価値のブルーの大理石を使用し、中国の国宝に匹敵する絵画が飾られています。一点が
数千万円と言っても過言でない代物です。数々の個室が揃っていますが、その個室にたどり着く
廊下は金銀色に輝いています。その部屋の一つに入ると、そこはまるで天空の金色の食堂と
いうほか無いような天堂の部屋です。目のやり場がなくなり、遠くを眺めると、広州市の富と権力を
集中したと思われる建物等は眼下に小さく目に入ります。
  その店でオーナーからの接待を受けて、食事を共にしました。色々な話をしながらの食事は
大変楽しくて有意義でした。世界経済や世界平和の話を、私は顔を赤らめて真剣に話をした
記憶が蘇ってきました。中国編は海南島から広州市まで記しましたが、明日からの1週間はアメリカに移ります。
                                      アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年7月13日日曜日

2014年までの中国(広東省広州市)・・・129

2014.7.13日 曇天 午前6:30
  2012年4月に広州市に行った。干しアワビの営業で訪れたが、4月は見本市が開かれていたので、どこのホテルも超満員でした。この町に行くと分かるのは、中国は世界にあらゆる商品を輸出
しているのだなということでした。世界のバイヤーがこの町に来て商談をしている光景を見ました。
 この町に有名な空中一号というレストランがあります。それは日本にはあり得ないレストランです。
大胆、奇想天外、豪華、天空と一体になっているレストランでした。このレストランを明日から記します。
                                          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年7月10日木曜日

2014年までの中国(海南島三亜を去る)・・・128

2014.7.10木 台風  午前7:15
   台風が九州に上陸とテレビで放映された時間に記しています。大被害が起きているようです。
さて、三亜でリラックスができたので、名所旧跡の断崖浜にも行きました。断崖の天辺に上り、
遠くの水平線を私は眺めました。青い海原の上空に入道雲が登っています。一方の浜には
観光客が集積しています。観光客の顔を観察すると、ニコニコ平和を楽しんでいます。主に
青年男女たちが多いようです。
  中国の島でこのような平和を楽しんでいる若者を見ました。平和の時代を楽しむ権利は、どの国の人々にもあるでしょう。アジアは平和でなくてはなりません。そのようなことを断崖の上から
海原と水平線を眺めていいる若者を見て、感慨にふけてしまいました。
  三亜からの帰りは、深圳~上海の行程で帰りました。明日は広東広州市を記します。
                                             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
三亜はフロリダキーウエストの海の色と同じでした


2014年7月8日火曜日

2014年までの中国(海南島の三亜)・・・127

2014.7.8火 晴 午前6:00
  三亜に着いた。ホテルはすぐ見つかった。地元資本か香港と思われるホテルであった。その当時
流行りのリゾートホテルでした。そのホテルは地下に飲食街、フロント以上の階は宴会場とか宿泊場があった。フロントから庭を通り海岸に行ける道があったので、海に出てみた。1月2日なのに
泳いでいる人がいたので、私は海に入り泳いだ。冷たくなく泳げたので海水温は、泳ぐのには
充分であった。海から上がり、ホテルに戻った後に夕食に出かけた。夜の街で食事をしたが、
塩辛く美味しいものは無かった。島にはインドネシア系の音楽が流れていて、南国気分は満喫
できた。日本軍が引いた鉄道があると聞いたが、それには出会えなかった。翌朝、再度海に出てみた。旧日本軍が上陸した場所が観光地になっていた。旧日本軍はアジアのどこの地でも進出
していたが、無謀な戦争と思えた。思うに、人間にとって戦争は残虐な殺し合いだ。今、どこかの
国が戦争を仕掛けたら、その国の指導者が先ず戦争に行ってもらいたい。鉄砲の弾が自分に
向かって飛んで来たら、どんな思いをするだろうか。政治家よ早く目を覚ませ。
                                          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                                                     東シナ海のある貿易港で政治家と視察

2014年7月7日月曜日

2014年までの中国(海南島の最南端)・・・126

2014.7.7月 雨 午前7:00
  早朝散歩からホテルに戻り、東山温泉を出発をした。やがて、海岸と椰子の木が左に見えてきた。太平洋の海の色はコバルトブルーであり、真っ白な海岸と水平線が特に綺麗であった。
  この海南島は漢族の他に何種類かの種族が住んでいて、農民と漁民を掛け持ちして生活を
営んでいるようです。名所旧跡はどこにでもあり、そこにいれば、そこが名所のようで、とても綺麗
な島でした。どこまでも続く青空と入道雲、目の前の椰子の木とは白砂、緑と汐の匂いがミックス
した南国の匂いが満ち溢れている島です。時折、インドネシア系の音楽がラジオから流れてきます。そのような感覚を全身で受けながら、最南端の三亜を目指して一日中を走りました。
  三亜に午後の明るいうちに尽きました。明日は三亜の事情を掲載します。
                                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
アメリカ大陸のカリブ海の高級リーゾートホテルにて

2014年7月5日土曜日

2014年までの中国(東山温泉)・・・125

2014.7.5 土  午前5:30
 海南島のほほ中央部に東山温泉というところがある。日本みたいに大浴場があったり、宴会が
ある温泉ではないが、それなりに温泉プールがありました。水着を着てプールに入るわけですが、
温泉というより、水泳などを楽しむプールでした。私も水着を着てプールに入り泳ぎましたが、
日本的にリラックスというわけにいきませんので、泳いで楽しみました。
 寝静まっている朝方に、そーっと村の部落に早朝の散歩にでました。高いヤシの木が部落を囲んで立っています。鶏の鳴き声と小鳥のさえずりを聞きながら細い道を歩みました。大豚に会いながら、更に奥へ歩きました。道は舗装されていませんが、ごみ等は散らかっていない道でした。
 これ以上奥に入ると何があるか分からないので引き返すことにしました。ホテルに戻り、朝食を食べて三亜に向かいました。
             アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝

2014年7月4日金曜日

2014年までの中国(海南島海口)・・・124

2014.7.4 金  雨 午前 5:45
   海南島の入口は海口という町である。飛行場があり、上海から飛び立ち、そこに降りた。12月一であったが一気に夏ムードである。入道雲と椰子の木は、南国ムードを盛り上げる。中国は東洋
のハワイと宣伝をしている島である。飛行場にハワイアンが流れていた。こうなると我々の気持ちは高ぶり、海に入りたくなる。泊まったホテルも一流、値段は二流であり、嬉しくなる条件が揃った。
   ホテルでレンタカーを手配し、島の縦断を計画した。海口から三亜までやく300kmの縦断で、
1泊二日でゆっくり縦断するのである。南国気分を全身に受けて、左に海を見てのドライブは悪く
無い旅行となった。翌朝の10時にレンタカーが来た。優しそうな運転士である。先ず先ず一安心して、荷物を車に積んだ。水戸の神成先生夫婦、習志野の庄子社長、現地案内人、それに私の5名の旅が出発した。海口の町を抜けると、直ぐに南国の木が満ち溢れ、まるでジャングルの中に入っていく道路を突っ走った。30分で左に海が見えてきた。次の宿泊地の東山温泉まで一直線に走った。
                   
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・照沼重輝
 
東シナ海に浮かぶ島の役所

2014年7月2日水曜日

2014年のアメリカ(一先ずアメリカは終わり)・・・123

2014.7.3 水  快晴  午前6:00
  アメリカは一先ず終わりにします。次のアメリカへの旅立ち計画が始まったら記します。さほど
遠くありません。
  さて、今日からは中国に戻りますが、どこの町から書けばよいか迷っています。南の町から記し
ていこうと思っています。行ったことのある町のどこにしようか、尖閣列島や南沙諸島近近くの海南島から思い出すままに記してみようと思います。
  海南島には一度限り訪れたことがあります。北の海口から三亜までミニバンをチャーターし、
商用と周遊を兼ねて訪れました。四方が海に囲まれた島ですが、白砂、紺碧、潮騒、海の匂い、
椰子の木、ギラギラの太陽、砂地の上に立つ民家、民家周辺の野放しの豚等々を思い出して
います。・・年1月1日の元旦を海口で迎え、同月2日は島の中央部の東山温泉に泊まり、3日は三亜に泊まった。高校恩師の神成先生夫婦と千葉県の建設会社社長の庄子氏とご一緒しました。
 次回は海口の町を出るまでを記します。
                                             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                      小職が中国に売っている中華料理食材の最高峰乾しアワビ

2014年7月1日火曜日

2014年のアメリカ(海を越えて大陸へ〉・・・122

2014.7.1火 朝は快晴 午前6:20
 海を越えて大陸に渡るのは心地良い。そこでは何かを見られるか、何かと会えるか、ワクワクする気持ちがやたらと彷彿してくる。大陸に上陸し、大地に足を出した瞬間に、私の精神力は強靭に
なる。大地を拝み、青空を見上げ、スーツケースを引っ張り、レンタカー会社に向かう。何の心配
も無く、さわやかの気持ちで、ゆったりと歩く。目標のレンタカーを手に入れる。キーを預かり、
車庫に向かい、2週間ほどの相棒と出会う。軽く会釈をして、ドアを開けて、キーを差し込む。
キーをひねる。ブルールーンと快音が響き、車体が軽く震える。レンタカーが「待っていたよ」と
言ってるみたいに、運転席の座り心地が良い。駐車場の屋根の下から、青空の下に出ると。
遠くにマンハッタンのビル群が見える。これがニューヨークJFKケネデイ空港を出る瞬間である。
いつもアメリカの旅は、サンフランシスコ、ダラス等の各地の空港から、このように出発してきた。このような旅の回数は8回になった。また行くぞ、気合が充実したら。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・照沼重輝
サンフランシスコの華僑の友人とスタンフォード大学での写真