2014年6月30日月曜日

2014年のアメリカ(またアメリカ大陸に向かう〉・・・121

2014.6.30月 一部快晴、一部大雲 午前6:30
 なぜだろう、アメリカから戻ったばかりで、またアメリカに行きたくなっている。なぜだろう、と考え続けている。アメリカはやはり素晴らしいのだと思う。何が素晴らしいのだ、と考える。アメリカの
土地は一つ一つが広く、相当な量のエネルギーが大陸から発射し続けているのだ。それだけで無い、あらゆる世界の人種が一同に会し、社会を形成している。食べ物や、飲み物、遊びが等が素晴らしいのではない、素晴らしいことの極まりは、私は法律で社会を安定化し、人々が安心して暮らせていることと結論をつけました。島国日本人は大陸人の優れている点を学ぼうではありませんか。だから、学びにアメリカに行きたくなっています。
 
                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
クリントン大統領の生家の玄関先に座る

2014年6月29日日曜日

2014年のアメリカ(ダラス・ヒューストン・ガルベストン島・ベリーズを目指して)・・・120

2014.6.29日 雨 午前11:00
  雨中の草刈りをした。雨音が草刈機のエンジン音に消された作業を2時間ほどした。大汗が流れた。夢中で作業をした結果、家の周りの伸び放題の草が無くなった。清々しい感じで昼飯を食べ
られた。その後、PCに向かう。
  ダラスに行くには、自宅から成田まで2時間、搭乗手続きに2時間、離陸後から着陸まで12時間、ダラスの街の中に入るまで1時間ですから合計17時間の旅でした。ダラスからヒューストンまで6百㎞ですから車で6時間、ガルベストンまで150kmだから1時間30分、そこから飛行機で
2000km離れたベリーズまで3時間を要します。今回の旅はベリーズまで行きませんから、合計
24時間をかけてメキシコ湾のガルベストンまで行ってきました。ガルベストンは島ですから、海産物業者の宝の島になるか否か、楽しみになっています。
                                                             ガルベストン島の堤防
                                                            浅瀬の黄色、遠くの紺碧

2014年6月28日土曜日

2014のアメリカ(赤い魚と出会う)・・・119

2014.6.28 土 曇天 午前6:30
  やはり、赤い魚はメキシコ湾にいた。アメリカ友人からのメキシコ湾の情報は本当でした。正式名はレッドスナイパーといいます。既に、現地民は食べていました。炒めたり揚げたりする食べ方でした。現地民は干しては食べていなかった。ビジネスチャンスを見つけた。その瞬間、その魚と出会った私の心はカリブ海の青空のように清々しました。思うに、私はいつも旅に出ると、面白いものが無いかの心で彷徨ってしまいます。今日はその魚の写真を掲載します。
                                      アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                                                     この魚を日本人の口に入れたい

2014年6月27日金曜日

2014年のアメリカ(高級赤魚をメキシコ湾に追う)・・・118

2014.6.27金 雨 午前5:00
  雨の中を歩いてきた。6月は熱く、湿度多く、嫌な汗が出て、好きでな季節です。湿度が少ない
テキサスを歩いてきたので余計に湿度を感じています。
 さて、メキシコ湾沿岸の島のガルベストンに言った時の話です。島の突先のモーテルで早く目を覚ました私は海をある目的をもって眺めていました。海の早朝は漁船が港に帰ってきます。その帰ってくる漁船の向かう先を特定するために海を眺めていたのです。それは漁船から水揚があるだろうと想像している赤魚を追っているのです。是非とも、魚市場か漁船かの何処かで赤魚と遭遇したく
昨夜から考えていたのです。数隻の漁船が入り江の中を遡上していきます。並行に走る道路を
漁船と肩を並べて、遅れまいと島内を東から南東に車を走らせました。漁港に着き、車を止めて
桟橋に歩を速め向かいました。桟橋に横付けした漁船の船倉から揚がる魚を、早く早くと、もどかし気に見つめました。次回へ
                                             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                                                                         一人用漁船
                                                                    直販用鮮魚袋
                                                     

2014年6月26日木曜日

2014年のアメリカ(次の大陸目標地)・・・117

2014.6.26木 曇り 午前7:20
 
 昨日の午前中に、尊敬する友人の事務所でアメリカのお話をした。彼は以前からハーバート大学に行ってみたいと言っていたので、、ふと私はその希望を実現させたいなと思った。彼には数十年にわたり、物心共に温情を受けてきた彼と奥さんをアメリカにご招待をし、思うままにハーバード周辺を散策してもらいたい。密かにその旅の研究を始めよう。楽しみが出来た今朝でした。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・・照沼重輝

2014年6月24日火曜日

2014のアメリカ(テキサス帰国後4日)・・・116

2014.6.24火 雨 午前6:30
  朝の運動は雨により中止としました。帰国後4日となり、次の目標はどこにするかなと考えています。やはり、アメリカか中国大陸の奥地にしようかなと思います。アメリカ大陸で英気を養い、中国大陸奥地で人生観を極める。これらの旅で得られるものは、人生の充実感だと思う。
  皆さん、今からでも遅くないぜ、一緒に出ようよ。永久青年を希望する同志諸君。
                                                      アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝

                                                                      果てしない人生の道
                                                            繋がれてはいけない人生
                                                          第3別荘で休養を取れたら最高

2014年6月22日日曜日

2014年のアメリカ(テキサスから戻った最初の朝に)・・・115

2014.6.22(日) 梅雨の雨 午前5:00
 ダラスの空港まで1時間、空港で3時間、飛行時間12時間、成田から自宅まで2時間、途中で経過報告を1時間、合計19時間かかって帰宅しました。夕食を済ませ、直ちに何も考えないで就寝、4時半起床、睡眠時間は8.5時間とれたとおもいます。今旅の有益を噛みしめにやにやしています。今回も無傷で帰れた。天空の神に感謝をしなくてはなりません。取り敢えず、今から1時間の
早朝の4km旅に出てきます。それからアメリカの楽しかったことを記します。
  帰りました。楽しかったことは、ダラスとガルベストンのロータリークラブでの例会出席、クリントンの生家の玄関をノックしたこと、オクラホマの富豪の家を見たこと、メキシコ湾岸の町で魚市場に行ったこと、中南米のベリーズ人から魚の輸出入の情報が取れた、2600kmを走り、事故がなかったこと等でした。
  苦しかったことは、時差ボケがず~と続き、夜半に起きて日本の仕事を処理していたことですが、帰国後は忘れてしまいましたので、苦しかったことはありませんでした。
  希望や夢を抱けたことは、アメリカビジネスの現状を見て、小職にもチャンスがあるかもしれないなと考えました。友人が経営する寿司店を通じ、日本の海産物を輸出し、牛肉関係を輸入する貿易の道が開けるかもしれません。今日は貿易業協同組合の総会があるので発表してみよう
と思います。今後徐々にそれらの道を開発していきますので、ビジネスをしたい方は問合せしてください。
  結論として、アメリカで頑張っている人々は、あらゆる国の人々です。日本人だけがアメリカから特別待遇を受けてはいません。この点を日本人が勘違いをしているのでないかと思います。過去に日本とアメリカ大戦争をしました。今は友好国の関係になっています。しかし、アメリカは民主主義の国家とは、どことでも友好国となっています。今問題のTPPの諸解決を先延ばしすると、とんでもないデメリットが我国にあるかもしれません。我々も国家主義又はアジア主義などと言っていると大きく国益が損なわれる恐れがあります。
 だから、私は日本の優秀な人々は、「出よう海外に」と思っています。今からでも遅くない、再度「
出ようあらゆる海外に」と主張します。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

 
 

2014年6月20日金曜日

2014年のアメリカ(彷徨なお続く)・・・114

2014.6.20  金  天気不明 午前5:00
    帰国日は双方の気持ちが交錯します。早く帰りたいと、ここにいて何かをやってみたい気持ちが交錯します。日本は雨続きのようですが、居る間に、ここテキサスでは雨は降りませんでした。カリブ海から上がってくる湿った雲は何度も見ましたが、実際にハリケーンに遭遇しなかったことは、運が良かったと思います。
    今回の旅の感想をまとめてみます。ダラスに着いた日にダラスRCにメーキャップをしました。
ダラスの著名人と名刺の交換ができ、私の人間力を鍛えるのに最高の場所でしたが、翌日から眠れない日々が続き難儀しました。クリントンの生家に行った時などは、時差ボケのふらふら状態でした。翌々日も時差ボケが続いていました。オクラホマR66の標識の下での写真をゲットできたのは良かったです。インターステート35、40、45と大陸横断道路を、半分朦朧とした状態でスピード140kmでぶっ飛ばし、走る鬼をやってしまいました。猛省しています。命が有ったことを感謝します。
    テキサス州を南下し、メキシコ湾まで行きました。アメリカ人の暮らし向きを、つぶさに見ました。
アメリカ人の生活を楽しむ実態ですが、土曜日曜を家族で移動し、体を動かし、機械類を操り
楽しんでいます。だから、陽気なアメリカ人と言うのかなと思いました。高速道の周辺の畑の土は、
良く耕され、作物が実っています。アメリカ農業のパワーが感じられました。
   アメリカ人の漁業も見ることができました。一人乗りのボートでの近海漁業です。エビや小魚の
腸を取って、魚市場で売っていました。漁業関係者の顔は、日本の漁業関係者と同じ顔をしていました。メキシコ湾の周辺の暮らし向きは悪くないようです。夕方の食事時に食べ放題のレストラン
に入ったのですが、家族中心で食事に来ている客が多く、家族団欒の笑顔はどこでも同じでした。
   高速道の近くのモーテルに泊まり、トレラーの深夜便が多かったことにびっくりしました。あらゆる物資の流通が多いということです。これだけの車が走っているのに、油の臭いは全くしません。
この点はアメリカの環境規制を日本およびアジアは見習うべきと思います。
   早朝に出て、テキサス平野を疾走、空港に向かう途中、空の彼方から鳥の澄んだ声が聞こえた。旅に出る人間に対する神のはなむけの声のようであった。良い旅ができるように、思わず私も念じてしまった。天空に感謝します。拝
                                                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
  

2014年のアメリカ(海藻・魚・寿司店を巡る)・・・113

2014.6.19 木 星が出ていない 午後11:00
  海藻と干し魚はダラス到着日に食べました。調理方法は私なので味はイマイチでしたが、翌日に
オニオンをスライスする器具を買ってきて、日本のゴルフ場で食べる薄切りにして、混ぜ合わせて
ヒジキとワカメを食べました。参加者の意見は、アジア人に味は分かるけど、アメリカ人には分からないとの評でした。私がアジア人を通じて白人社会に宣伝するようにして、販売をできないかを打診しました。郁とケンが7月から始まる寿司店に並べることができるように、本社に運動することをお願いしましたところ、その目論見はチャンスがかなりあると言っていました。
  スーパーの魚観察をしました。郁がコストコから、わざわざマグロを買ってきて寿司を作り、食べさせてくれました。マグロはフィリッピンから来ていましたので、その値札を持って帰ります。味は百円寿司の上をいくマグロかなと思っています。味付き魚はスーパーにありませんでした。チャンスは
大喜やさんに、あるかもしれません。試行錯誤をやりながら売り込んでみましょう。郁とケン(郁の友人)が居る限り、アメリカスーパーに売り込むチャンスはあります。
  レッドスナイパーの生息区域は南大西洋とのことです。RCクラブのメンバーから、その仲介をして
くれる約束をもらいましたので、道筋は立てられると思います。フローズン空輸ができるか否かを
調査させます。ベリーズという国には、中国船団と台湾船団がしのぎを削っているそうですから、
中国人系を通じて努力をさせてみます。
  テキサスは日本より広いみたいです。牛肉が売りのようですが、海洋産物にはまだ手が出ていませんので、TPPを迎える時代に、テキサスを通じるか、経由するかの魚類ビジネスを目指せば、チャンスが見えてきます。と馬鹿道の小職は考えています。夜半に馬鹿道を真面目に考えています。
                                   アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝
この逆を飛びます

2014年のアメリカ(ダラスの夜空)・・・112

2014.6.19木 快晴 午後9:00
    間もなく星空が出てくる時間だが、まだ空は薄明るい。アメリカでの最後の夜空を見ようと、一人で窓を開けて月と星を待っています。無風、一寸熱い、空気は澱んでいる、日本ならば、早くもお化けの出る時間帯だが、ここダラスまでは日本のお化けは来ないだろう等と考えています。私は明日は日本に戻るので、心が逸ってもいるし、哀愁も帯びています。さようならー、アメリカのR66、クリントンの生家、オクラホマのホットスプリング、メキシコ湾のガルベストン、IN45E廻り、ダラスから30km離れたフリスコの田舎道等の思い出を胸に帰国します。みなさん、ご協力をありがとうございました。必ず、この経験を職場環境とビジネスに役に立てますので、ご安心ください。拝
  思い出の写真を掲載しますので、アメリカの経済状況を見てください。
 
                                            ショッピングモール高級回転すし店

2014年のアメリカ(帰国前夜)・・・111

2014.6.19木 快晴 午後3:00
 レンタカーを返しに行った。借りている途中でオイルを交換せよの表示が出たので、車を途中で交換したところ、小さな2000CCクラスのコンパクトカーになったこと説明したが、料金は下がらなかった。英語が堪能ならば主張がもっとできたが、主張せずに辞めて、すんなり返した。この賃貸条件に貸出し店の秘密利益が隠されているのかも知れないなと考えた。
 次に土産を買いにい行った。大きな「ストンベア」というショッピングセンターでした。日曜でもないのに、買い物客が大勢いました。ダラスで初めて回転すし店を見ました。機械は日本製でなかっ
たが、僅か10坪の店にスタッフが10名ほど働いていました。高い高い、1貫5ドルの巻き寿司もありましたが、日本鮨とはかけ離れた巻き寿司でした。食べずに見るだけにしましたが、金持ちに見える人が食べていました。その脇の店でアメリカ的な土産を買いました。帰ったら、みんなにお分けします。
 更に、次には今夜の食事を買いに、スーパーに行きました。ビール、チーズ、生野菜のパック、
アメリカ的寿司等を買い、宿舎に戻りました。今は冷えたビールとポテトチップで晩酌を始め、
PCにブログを記しています。明日は、ダラス空港を11時に離陸し、日本には翌日の午後4時
頃、成田に着陸します。赤魚に似たレッドスナイパーが中南米諸国で捕れる情報を入手したのが
大きな成果です。その魚をメキシコ湾で、この目でしっかり捕えました。帰国後に関係者と話を
するようになります。楽しみです。
                    アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝

                                                 上は魚市場のトラック、下はその魚と平目

2014年6月19日木曜日

2014年のアメリカ(R66とレッドスナイパー)・・・110

2014.6.19木 曇天 午前8:00
 今月の11日に日本を出て、テキサス・アーカンソー・オクラホマ・テキサスと回遊しています。この旅も終わりに近くなり、日本への郷愁がでています。やっと、時差ぼけから抜け出たと思うと帰国間近になってしまい、帰りたいと居たい心が同居する朝を迎えています。思えば、旅は良いものです。一切のしがらみから抜け出て、あとはどうにでもなれの心境になれます。年2回ほどの大型旅を毎年実行させていただいています、関係者の皆さんありがとうございます。
 早速ですが、まとめに関してのブログにさせて頂きますので、テキサスから記していきます。テキサスはアメリカで一番広い州です。私はテキサスの田舎人ということを聞いた時は、テキサスで豊かな生活をしている自慢とのことです。私のテキサス感は、良きアメリカを代表している地方と言えます。
 アーカンソーはクリントン大統領の生家があるところです。その生家に偶然にたどり着き、そして、さらに偶然に、その生家の玄関先に立てました。最高の思い出の日になりました。
 オクラホマでは、棄てられた高速道路のルート66を走ることが出来ました。昔のテレビ映画で見た光景と同じです。一寸曲がった高い電柱が青空を目がけて立ち、しばらくは車が来ません。遥か彼方に消えていくルート66は、哀愁を帯びた一直線となり、その先の光景の想像を拒絶しているようでした。さよならー、ルート66よ、旅から私を守ってくれーと心で叫び、そこを後にしました。
 テキサスの南のメキシコ湾は、ダラスから650kmで、途中で宇宙の町のヒューストンを通過します。想像していたメキシコ湾の大海原の色は、浅瀬が真茶色で、遠くに青海がありました、1歩も
海に入りませんでした。その夜、豚小屋とは言わないが、牛小屋のようなモーテルに高い値段(90ドル)で泊まり、観光地のカモにネギを背負ってなりました。笑、翌日早朝、漁港でレッドスナイパーと遭遇しました。幸運、実はメキシコ湾で探していた魚でした。茨城県平磯町の傑作干物や「大喜や」の親方に加工用の魚を探してみると約束をしていたのです。そして、地元ロータリークラブに出席時、中南米出身のメンバーから、大西洋のある小国にこの魚が無尽にいると聞きました。ダラスから2千kmのカリブ海に浮かぶ島です。ビジネスチャンス有り、来てよかった。例会はガルベストンの港の一大開発がテーマの勉強会でした。帰りにテキサスの州都のオースチンを通ってきました。当たり前ですが、大きな立派なビルのある町でした。帰りの走行距離は700km、睡眠時間5時間ですっ飛ばして帰りました。
 ダラスの夜、知り合いの夫婦が大喧嘩を始め、パトカーが来てしまいました。原因は子供の学業成績だそうです。アメリカでは女性が守られているので、女性が警察を呼べは、パトカーがすぐ来て、男を連れ去り、警察に一晩泊めるそうです。アメリカに生まれないで、あー良かったと思いました。その彼が、明日は私を空港に送ってくれます。なんと慰めるか、言葉を選出中です。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                                                         帰り際に映した会場玄関

ダラスロータリークラブ出席





ガルベストンロータリークラブ出席写真




テキサス州ガルベストンロータリークラブ例会出席

 

2014年メキシコ湾周辺活動写真





この魚を入れる保存用買い物袋5$地元漁協用で販売

2014年のアメリカ(ガルベストンから戻る)・・・108

2014.6.19金 快晴 午後4:00
 睡眠時間5時間で35号線350kmをダラスまでぶっ飛ばしてきた。とにかく前に走らないと進まない。無事にダラスまで戻ったが、何処にも行かないでモーテルに入り、4時間ほど眠り込んだ。目を覚まし、PCに向かっている。
 メキシコ湾の突先にあるガルベストン島の事を記します。この島は人口6万人で白人が50%以上
で、その他はカリブ海の民族やアフリカ系アメリカ人がいるそうです。おもな産業は観光、石油産業、輸出入の港産業です。年間所得は、白人系が500万前後、白人女性が300万前後、貧窮層は
全体人口の15%前後といわれています。しかし、島内を観察してみると、一般の家にも、クルザー
や海洋レジャーの器具が備わっていましたので、当然に日本なんかよりも豊かな生活のようでした。メキシコ湾を眺めると、遠くを大型船が往来していたりしますが、漁船は少ないように見えました。海は海岸から約200m位までは黄色で、その先が紺碧の海となっていましたので、海水浴には完璧な海岸と言えないようです。ガルベストンではロータリークラブの例会に参加してきましたの
そのことは後に記します。
                   アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

小型漁船と真茶色の海水浴浜

2014年6月18日水曜日

2014年のアメリカ(メキシコ湾の魚)・・・107

2014.6.17火 快晴 午後10:30
 今朝早く起きて漁港に行った。日本のアカジに似ている魚が市場に揚がっているという。昨夜のモーテルは足の踏み場もない床と、シャワー室は1㎡程度で、その床は豚小屋とは言わないが、
牛小屋の床程度であった。付近のモーテルは150ドルが相場だが、泊まったモーテルは90ドルでした。このことから、どのような泊まり方かが分かると思いますから、ブログに記載しました。
 ガルベストン島の東側から太陽を右に見て、市場を目がけて海岸を走った。海上に浮かんだ漁船が、どの港を目指して戻るかを確認してから、港を目指して車を走らせた。方向は東から西に向かう道筋に漁港があったので、すぐに漁船と合流できた。魚市場で船から魚が下ろされるのを待った。待つのは長い、網から降ろされている魚の色が赤く見えた。魚市場まで魚が来た。真っ赤ではなく、ピンクで赤に近い魚であった。やった、赤色で寸法が最適の形だ。干し魚に合うかどうかの検分ができる。思わず、小躍りをした。早起きは「三文の得」を得た。ツキが出てきたと、内心で微笑んだ。早足で魚に接近した。
           アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝


                 大喜やの旦那、レッドスナイパーと言うそうです
                 ベリー諸島に多く生息している情報を得ました
                 

2014年6月16日月曜日

2014年のアメリカ(メキシコ湾へ移動」・・・106

2014.6.16月 快晴 午前6:40
 オフィススタッフのお蔭で、日本の様々な要件を処理でき、アメリカ滞在も安心で順調です。感謝申し上げます。
 
  今日はダラスからメキシコ湾の突先のガルベストンまで約650kmを南下します。IN45号線をまっしぐらに移動します。途中は時間を惜しむために、運転しながらマックをかじり、トイレだけの休息だけしかとりません。おそらく海洋性の気候でしょうから、湿度高く、蒸し暑くなると思います。調べてみると、ガルベストンの昔は、海賊の島で、今は魚と観光の島だそうです。途中に宇宙開発の有名なヒューストンがあります。但し、通過するだけとなります。千里行って、千里帰るというような、やや、中高年には無謀な旅を続けていますが、今日の楽しみはカリブ海に行き、日本の魚と同じようなものに出会えるかということです。
 有望な魚と出会えたら、大喜やさんの主人並びにご家族の皆さんに、いの一番にご報告します
ので、このブログをご笑読下さい。拝
                     アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
アメリカの富豪の湖畔の別荘・アメリカ人のスケールの大きい楽しみ方

2014年のアメリカ(メキシコ湾ガルべス島の赤魚)・・・105

2014.6.15日 快晴 午後10:30
 今朝は調子良く起きられた。昨夜買ったパンに何もつけずに、コーヒーだけで胃に流し込んだ朝食にした。レンタカーにオイル交換の表示灯が灯った。「間もなく交換しろ」との表示であった。日本ならば、1000kmオーバーしても大差ないが、アメリカのハイウエー上で故障したら、一日がかりとなってしまうので、早めに交換にハーツへ出向いた。今度は一回り小さい車になってしまった。いつもハーツのレンタカーは、何かあると交換車は小さくなるようである。もしかしたら、会社の方針かも。
   ところで、ガルべス島には加工用の魚を探しに行くのである。日本の赤魚に似たような魚が
取れるらしい。この目で見て、茨城平磯の干しもの名人の大喜やの旦那に知らせようと思っています。そのほかに魚の開きに適した魚を見つけようと思っています。明日又は明後日は大量の魚の写真をブログに掲載しますので、大喜やの旦那さん見てください。
    ところで、日本から持参したワカメは、過日に醤油をつけたり、ラーメンに入れて食べました。アジア人には好評でした。徐々にテキサス文化に浸透していけば良いと思っています。次に、ヒジキ
は、私の発案でオニオン刻み(できるだけ細く繊細に)と、鰹節、それにヒジキを混ぜて、ポン酢で
食べました。オニオンの辛さを、ヒジキが和らぎ、鰹節が味付けをしたようです。私は「血液サラサラ」にはこれが一番と言って大いに吹聴しました。これらの食べ方をアジア人から白人に浸透していき、アメリカの医療社会の一助になれば、面白いと思っています。だんだん眠くなってきた
ので、お休みなさい。
                                     アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝


                                              これがテキサスの寿司と刺身盛り合わせ文化
                                               オニオンを下地にワカメをわさび醤油で食す。

2014年6月15日日曜日

2014年のアメリカ(真夜中の静寂音)・・・104

2014.6.15日 天気不明 午前4:40 鳥啼暁
    アメリカダラスの田舎の深夜の音は耳に届かずでした。車馬音、馬牛の嘶き、線路上の列車音、救急者の音、草木の音、何者かが蠢く音、星降る音、雨の音、海の音、葉の動く音、若者の音等まるでありませんでした。兎に角、アメリカの田舎の音はない。明日はアメリカの音探しに行こうかな。音に懐かしさを感じている早朝です。ダラスの深夜は暇だ・・・・・。昨日のR66を訪ねた。
                                               アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝
                                                            誰も行かないR66を訪ねて
                                                        クリントン市から右に反れたR66

2014年のアメリカ(R66からメキシコ湾を目指す)・・・103

2014.6.15日 快晴 午前3:00
   時差ボケが二日三日では治らない年になった。夜半に起きてPCと遊ぶこと4日目となりました。
さて、明日はメキシコ湾に加工用の小魚が居ないかどうかの市場調査に出る予定でいます。方向、距離、高速道の入り口や出口を確認しています。およそ700kmを行って、700kmを戻る旅となるようです。ダラスを起点に動くので、南に向かい、オースチンを経てヒューストンに辿り着き、名も知れない漁港に行くことになります。途中の昼食は腹に入れば良いと思う他なく、美味しいもの等
食べようとは思いません。たぶん途中に美味しいものはあるでしょう。しかし、それにありつこうとは
思いません。それにありつくには大量に英語を使うので、諦めが肝心というあたりでしょうか。
  さて、今日は普通の人は誰も行かないR66に行きました。昨夜のモーテルはカジノ周辺なので部屋が無く、喫煙室をあてがわれました。タバコを辞めて10年が経っているので、大変きつかったです。朝方は喉が痛く、へいこらしました。喉が痛いままに、オクラホマを過ぎて、IN40に乗り、知らない村の入り口までまっしぐらに飛ばしました。人が行かないRR66は、看板さえ出ていません。寂しく可哀想なR66です。約50kmを走っても一台の車も出会えませんでした。畑と林の中のR66は、忘れ去られた者の寂しさを、いっぱい持ち続ける田舎道になっていました。ゴミさえ落ちていない、寂しいR66に別れを告げ、IN40に戻り、IN35のダラス方面に舵を切り、アクセルを踏み込みました。瞬間スピードは140kmに針を指していました。私の顔は走る鬼の形相だったでしょう。反省必要。
                                               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年6月14日土曜日

2014年のアメリカ(アーカーンソー州を通過)・・・102

2014.6.13金 快晴 午前2:00
   眠れない夜が続く、夜半に起きてPCと遊んでもらう。一昨日はクリントン大統領の生家を訪れた。庶民の出身でなので、アメリカは誰でも大統領になれるよ、とホープ市が記念に残しているのだそうだ。近くに鉄道が通っていて、警笛の音が煩かった。土地の面積は60坪に満たない敷地に30坪程度の2階建てが立っていた。クリントンの父は交通事故で亡くなり、母子家庭で育ったが、成績優秀であったクリントンは、やがて町の政治家から州知事へと進み、大統領まで上り詰めた人物である。生家を見たときに、私と同じ年齢のクリントンの偉大さと、その計り知れないパワーに畏敬を
感じました。いまだに、活躍している彼の原動力の極みを見たい好奇心に駆られました。約10年前に茨城県水戸市に私たちが招聘した経験を振り返りながら、いつまでもその玄関の前に佇んでしまいました。
  眠れない夜に深夜の音を耳で収集しながらキーをたたいています。明日はオクラホマに辿り着く
予定です。オクラホマの産物を発見に行きます。
                                             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                            親切アメリカ人のお蔭で玄関前まで進入でき、最高の名誉を得た
大統領の生家の隅々を見る

2014年6月13日金曜日

2014年のアメリカ移動(ダラスか〜R66に向かう)・・・101

2014.6.12木 曇り 午後11:00
 ダラスのフリスコからリトルロックに向かう、そしてR30に乗った。約5時間北西にアメリカ大陸を
上った。着いたところは、ホットスプリング直前30kmの名も知らない町であった。夕食は一人1,000円の中国ブッフェであった。値段からすると、材料はクズ一歩手前のような材料で作った
中華料理でした。このように言うのは失礼と思うが、見事な中華料理だった。眠くなったので小休止
とする。
                                              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
R30の人家の無い、緑の荒野の高速道

2014年6月12日木曜日

2014年初夏 ダラスの雨・・・100回記念

2014.6.12木  梅雨のよう 午前8:00 朝刊
 朝の太陽の兆しが見えないのでカーテンを開けて外を見た。日本のような雨で気分が一度に壊れた朝を迎えています。四五時間は寝ただろうか、目が渋いので、コーヒを沸かし、飲みながらブログを記しています。外は出勤時間というのに喧騒が聞こえないほどの田舎に泊まっています。今日の予定はまだ決めていませんが、数時間も過ぎると、山へか海へかで思うままに決まるでしょう。先ほどまでベッドの中で、昨日を思い出し、怠け者になった楽しさを味わっていました。日本にいる時は、朝を迎えると自然にその日の予定が浮かんできますが、ここテキサスの田舎では、それが必要でありません。この心身を思い切り怠けさせてみる。そこに何かが浮かんでくる。
                                                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
ダラスロータリークラブの女性メンバーと例会場で談笑
 

2014年のアメリカと海産物試食・・・99

2014.6.11 水 快晴 真夜中の11:30
  今日は午前10時にダラス空港に到着、ダラスRC例会場に行って例会参加をした。貿易業と言うと、メンバーの一人が近寄ってきて、紹介したい友人がいると言うので、メールにてご連絡をもらうようにした。商談の楽しみができたので、早くも夢を小ゲットした。
  さて、夜は本題に入った。それは、日本の海産物をアメリカ中西部に売り込むビジネスを目論んで
来ているので、旧知のニューヨーク出身の中国系アメリカ人宅に行って試食会をした。先ず今日の試食会は、カジキマグロみりん、サバにみりん干し、ワカメと玉ねぎ、ワカメと生野菜と豆腐のミックスサラダにしぼり、試食をした。調理師は中国人の寿司店経営の郁氏とケン氏である。アジア人の舌は日本人と似ているので、難なくおいしいとの好評を得た。特に、カジキマグロみりんが好評でした。その全体の評は、ワカメはアメリカでも売っているが、アメリカ白人は黒い海藻は気味悪がって食べないようで、オニオンと一緒に独特のカット等の工夫が必要との意見であった。アジア人は難なく食べるので、アジア人からアメリカ人に進めていく時間のかかる販売方法に頼るか、それとも
地方自治体係での一大キャンペーンをして、需要運動を進めるようになるのかなと思いました。
カジキマグロみりんは好評です。アメリカの海でみりん干しの対象魚を見つけ、日本からみりん干しの原液を持参し、アメリカの当地で製造をするか、スーパーと手を組み、その製造工場を作ってしまうのも、一つの方法と思われる。それを参加者に提案したところ、アメリカのみりん干しに合う
魚を見つけようではないか、ということで深夜になったので、話を終わりにしました。
  最後に、海藻類は料理法の開発が必要で、みりん干しは当地で作った方がコスト的に有利と
なりました。みりん干しのタレは、茨城県平磯町の「大喜や主人仕込み」に勝るものがないでしょうから、そのタレを、テキサスのダラス在住のアジア人に推奨しました。
  明日は浜市場か漁港を探しに出かけます。ただし、ここから最低でも片道800km前後はあるでしょうから、泊りがけの調査です。
                      アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・ダラスにて馬鹿道を修業中の照沼重輝

2014年のアメリカダラスに到着・・・98

2014.6.11水 快晴 午後3:00
 熱いダラスに10時に着いた。真っ直ぐにダラスロータリークラブの例会場に向かった。会場は
立派な建物の1階が会場でした。既にメーキャップの届け出をしていたので、受付のメンバーが待っていてくれました。続き有り、・・・・・・・。また来ようダラスへ。

                                                    ダラスのメンバー諸氏とうまが合った写真
                                                    会場の入り口で待っていてくれたメンバー

2014年6月9日月曜日

2014年のアメリカ(中西部を目指して)・・・97

2014.6.9月 梅雨 午前6:30
 梅雨の中を4knの散歩してきた。5時出発、いつものようにラジオのイヤホーンを耳にさし、携帯を左のポケットに入れ、緊急用具を右のポケットに入れる。そして、出発をした朝であった。
 先ず1km位の道中では、明後日に到着するダラスの行動を考えた。ダラスでは到着後にスーツに着替え、ダラスロータリークラブでのメーキャップに出席をするので、多少の英語での挨拶を練習しながら歩いた。次の2kmはNHKの朝の音楽を聞きながら歩いた。3kmでカラスに遭遇をする。今は卵をかえしているので気が立っているようだ。私の頭の近くをブンブン飛んで威圧をかけてきた。4kmの点でカラスと別れ、真砂山三宮に立ち寄り、アメリカ中西部行きの安全祈願をした。小さな社の屋根に両手をつき、健康祈願を1分間ほど拝んだ。これで神様に対しては、無礼でないだろうと考えた。間もなく家に着く途中のベンチで、腹筋運動を25回、ヒンズースクワットを23回程行う。体力、気力は充実した。しかし、知力トレーニングの英会話がダメだ。知力だけ不十分のアメリカ行きとなるが、いつもそうなので慣れたアメリカ行きとなる。笑笑笑。
                     アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝
ダラス入国初日の町景色を想像した

2014年6月8日日曜日

2014年のアメリカ(馬鹿道と早朝の電話)・・・96

2014.6.8日 雨 午前7:00
 早朝5時に電話有り、海産物の味付けの話であった。飛び起き電話を受けると、やはり大喜やの旦那の大内氏からであった。話の内容は、現在二人で取り組んでいる海産物の輸出の話であった。一気に目が覚めて、彼との会話に乗れた。その内容は、今のところ企業秘密なので公表はできないが、茨城沿岸の干物や海藻類を海の無いアメリカの州に売り込む話であり、売り込むための製造技術の話でも合った。目から鱗の瞬間をしばらくぶりで感じた。友人の有難い電話を受けた
気の高揚する日となりました。茨城沿岸の海人は、魚や海藻を獲ることは自信があるようですが、
世界に売れるよう、加工して販売することは苦手のようである。海から離れたところで見ている半農半漁区域の人は得意かもしれません。私の先祖の一人も村松海岸で漁をしていましたので、多分に私の血がこのような話に騒ぐのかもしれません。
 その販売網を築くために、あと三日でアメリカに渡ります。無鉄砲ですが、アメリカの海の無い州に行き、その販売宣伝をしてきます。馬鹿みたいに日本食魚文化を売り込んできます。売れなかったら、砂漠の真ん中のサボテンに海藻や干物を乾してきます。無茶苦茶な馬鹿道をやってきますので、皆さんブログを見ていてください。
                       アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝
                  
干物名人の大喜やの大内名人

2014年6月7日土曜日

2014年のアメリカ(馬鹿道で行動)・・・95

2014.6.7土 雨 午後8:00
 馬鹿道は馬鹿は馬鹿でも一寸違う馬鹿を極める道である。その第一の条件は土壇場の度胸があること。第二は弱い人に耳を傾け、強い人から守ること。第三は全体のために身を挺する覚悟が
あること。第五は世界に向上心を持ち続けること。
 さあ、あと4日でアメリカを旅し、大陸で馬鹿道を磨くぞ。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                 
アメリカの馬賊隊員・左から照沼・吉久保・大内の3名

2014年6月6日金曜日

2014年のアメリカ(馬鹿道を考える)・・・94

2014.6.5金 梅雨入り 午前7:30
 人生66年が過ぎて、数々の旅から、やっと自分の人間追求のテーマが見つかりました。それは「馬鹿道」です。馬鹿道とは、「馬鹿みたいに、馬鹿になれる、人間力を高める道」と定義します。アメリカに行くまでに、少しでも馬鹿道を極める研究をしてみます。利口ぶったり、権力ぶったりする人間を侮ってみたいです。
 人を助ける場面を想像しながら種々を記していきます。
                      アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年6月5日木曜日

2014年のアメリカ(テキサスの馬鹿日本人)・・・93

2014.6.5木 曇り 午前7:00
 あと6日でテキサスに向かう。目的は海藻、寿司、お茶、日本酒等を砂漠のテキサスに売る目的です。どうやら寿司文化は、中国人や韓国人が開拓をしてテキサスに売り込んでいたようだ。既に
ダラスでは、大型スーパー店等にコナーを設けて販売している韓国系アメリカ人もいるようだ。そこの近くのスパーに純日本の寿司店ができたらば、どのように客の流れが変わるだろうか。面白い実験をやろうと思っています。これがテキサスの馬鹿になる日本人の私です。人は利口者を尊敬したりしますが、馬鹿な者を軽蔑したりします。ただし、馬鹿には親愛感を持つ人もいるようです。
 私はテキサスで馬鹿道を極めようとしています。馬鹿道というものがあるか無いか分かりませが、一先ず馬鹿道を進みます。皆さん面白がってください。
                  アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
崖ぷっちで一献、眼下は水地獄

2014年6月4日水曜日

2014年までのアメリカ(日本海産物)・・・92

2014.6.4水 曇り 午前6:30
 考え続けているのだ。アメリカの海のない州と海産物の貿易をすることを。日本からは乾しアワビ
と海藻の加工物や干物類を輸出し、アメリカからは牛肉や農産物の加工品を輸入する。これが
海際に住む貿易業の人々に対する役割と言えると思っています。
 今回は色のきれいな海藻を選びだし、持って行ってアメリカ人の家で食べようと思っている。アメリカの強烈だが栄養風味のある玉葱と海藻、それにポテトと生野菜を混ぜて食べるつもりです。
なぜ色のきれいな海藻なのだと質問を受けるが、それは企業秘密の分析の結果ですから、理由は
言えません。売れれば、その理由を公表します。
 さて、あと7日で出発します。体調、精神力、心のバランスを整えていますので、天の神様、何事もなく出発させてください。よろしくお願いいたします。
                   
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

海から宝を作る大喜やの主人の大内さん
アメリカサンタモニカの海で汐の匂いを嗅ぎ微笑む

2014年6月3日火曜日

1997年から2014年の中国(初心に還る)・・・91

2014.6.3火 曇天 午前6:00
 しばらくぶりです。昨月は忙しく働き、数々を犠牲にした生活であった。数々というのは、家庭、親類、友人と遊べず、夜飲むだけの生活であったから、精神面と胃袋や肝臓を犠牲にしてしまった。
これで良いのか、分からない生活を送ったのが5月でした。6月は反省と初心に還る月と定めましたので、運動を良くし、精神力をリフレッシュさせようと思います。
 あと8日で新たな挑戦の旅に出かけますので、思いを巡らしています。アメリカ大陸と中国大陸を200回以上旅をしましたが、両者の違いは数千年の歴史と数百年の歴史の差と感じています。
どうして歴史の浅いアメリカが諸々豊かで、歴史の長い中国が諸々貧なのだろうか。分からないことを解明しようと旅に出たく、うずうずしています。
                    アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
クリントン大統領にお言葉を頂いた