2014年5月17日土曜日

1997年から2014年の華中(太平洋岸の訪問都市)・・・90

2014.5.17 土 快晴 午後12:40
 中国の太平洋岸の訪問都市を東から以下に列挙してみます。
  1.長春
 2.大連
 3.煙台
 4.青島
 5.済南
 6.上海
 7.寧波
 8.福州
 9.アモイ
10.広州
11.香港
12.海南島
13.その他・・・思い出し中
                                                       アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年5月15日木曜日

1997年から2014年のアメリカ(R66の始点と終点)・・・89

2014.5.15木 雨模様 午前6:30
 R66はシカゴを東の始点とし、サンタモニカを西の始点とする。イリノイ・・・ミズリー・・・カンザス・・・オクラホマ・・・テキサス・・・ニューメキシコ・・・アリゾナ・・・カルフォルニアの8州を通過する。
 今回の計画では、テキサス・・・ニューメキシコ・・・アリゾナの3州でR66を訪ねようと思っています。多分5泊6日を要しますが、距離は2500kmくらいでしょうか。行く先々の風物や産業品を見て、貿易ビジネスになるか否かを観察しようと思います。テキサスには日本の海藻やドライアバロンを紹介し、相手からは牛肉製品の紹介を受けようと思います。それに、西部劇時代の景色を
見てやろうと思います。綺麗なアメリカでなく、荒々しいアメリカを堪能しようと思います。
 今回はショートのアメリカステイですが、満喫度は高いと思います。楽しみ楽しみ・・・・。
7回の掲載が終わったので。明日からは中国に戻ります。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年5月13日火曜日

1997年から2014年のアメリカ(R66上のライダー)・・・88

2014.5.13火 雨 午前6:00
 R66のライダーを観察した。諸外国からきている。ヨーロッパ各国やオーストラリア、カナダアメリカ等である。ライダーの特徴は高齢者が多い。バイクはハーレーで車は60年代の車を磨きあげて自慢げにやってくる。ハレーは独特の乗り方であり、足を広げてそっつりかえる乗り方でした。青空の彼方の道の水平線の彼方からやってくるのである。最初は豆のように見えたライダーは、近くに来ると鋼鉄の塊りのようにのように見えるのである。無論、私は乗ったことが一度も無いので、あこ憧れの目で彼らを見る。すると、手を挙げて応じてくれる。何だか、シェーンの名場面を見ているような錯覚に陥いるのである。今まで、このような背景で日本人と会ったことは無かった。
 次に、クラッシックカーの一団と会うことがある。彼らは60年代の車を再度塗装をして磨き上げ、
助手席に綺麗な女性を載せてアメリカ大陸の青空の下のR66を彼方から走ってくるのである。
近くで見ると車も運転手も助手席の女性までもが60年代の紳士淑女でした。太い腕にはゴールドのロレックスをはめて、胸元はピカピカのネックレスを着け、意気揚々と車から降りてくるのである。
アメリカ気質か、開拓精神か、大陸気質か、不明であるが、日本人には真似できない大陸気質を
私は立って見ているだけです。アジア人とヨーロッパ人、アメリカ人の各種各様の違いは面白いと
思いました。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年5月12日月曜日

1997年から2014年のアメリカ(R66の街道筋)・・・87

2014.5.12月 快晴 午前7:20
 R66の街道筋には多くの土産物店やレストラン、記念館などが町ごとに競っています。私はその中でも、クラシックカー店に興味を持ちました。1960年代の高級車と作業車が売りに出ていましたが、買って帰ろうとは思いませんでした。輸送費や諸経費を入れる何倍になってしまうか分かりませんので諦めたわけです。しかし、思いは残っていますので、チャンスがあれば買って帰りたいと
考えています。
 次に、興味を持った店は、アメリカ骨董品店でした。西部劇時代の物が多くありましたが、先を急いでいたので立ち寄りはしませんでしたので、再度行った時に寄ろうと思っています。
 R66の道中は、アメリカの古き良き時代を想い出しながら、彷徨うのに最適でした。年齢は66歳になった私ですが、彷徨っている時は20代の精神年齢になっていました。勧めます、彷徨うことの素晴らしさを。
          アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年5月8日木曜日

1997年から2014年のアメリカ(朝靄から昼のR66)・・・86

2014.5.9金 快晴 午前6:00
 R66に朝方に乗った。意外とこの道は真っすぐばかりでなく、曲がっている場所もあることが分かった。町の中を走る道路は曲がり、郊外に出ると真っすぐな道路が多くなる。そんなR66の朝を走ったのであるが、郊外に出ると、畑の中や林の中から大気が蒸発をして靄になり、朝靄の危険でもあり、靄を楽しみたくなる気分にもなる道路になるのである。この道をたった130kmを走ったのである。R66を満喫したかと言えば、全く満喫できなかったのである。8月に熱いので泳ごうとして川に入ったところ、足も濡らさないで陸に戻ったようなものである。
 それでも朝靄のR66を走り、時々気に入った場所で写真を撮り、昼食は中高年のライダーが集まっているレストランで食事をとった。中高年のライダーには女も男もいた。彼らと彼女らは、昔を懐かしむ話と、自慢のマシーンの話をしているようだった。それを見ていた私の体内に、活力が戻り、更に先に進む勇気と体力が漲ったのである。午後1時半のレストランであった。
             アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

 

2014年5月7日水曜日

1997年から2014年のアメリカ(R66を目指して)・・・85

2014.5.7水 快晴 午前7:00
 R66に乗りアメリカハイウエイーをぶっ飛ばしたい。風を切り、雲が飛び、砂漠や緑の平原を
アメリカ音楽を聴きながら疾走する。途中で日本の海藻のビジネスもする。これが大陸縦断横断の醍醐味である。時には、その地のロータリークラブに行ってメーキャップもする。何と自由だろう。風の吹くまま気のままな旅ができる。世間から遊離できる瞬間の旅である。今回はこの旅を目指して
計画をしています。 
 目標はR66ですが、テキサスのダラスを中心に動く計画である。テキサスのアマリロからアリゾナ間を走ろうか、それとも思い切って、シカゴからテキサスを越えてサンタモニカの終点まで行ってみようか等と考えていますが、ニューメキシコとサンタモニカ間は既に走っているので重複は意味が無いと思っています。最終的にはどこの間を走ろうか未決定ですが、行くまでには決定します。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年5月5日月曜日

1997年から2014年のアメリカ(R66を探す)・・・84

2014.5.4月 曇り 午前8:00
 そもそもR66にお目にかかったシカゴの場所は、町の中心のところであったが、その始点ではなかった。
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年5月4日日曜日

1997年から2014年のアメリカ(R66に挑戦)・・・83

2014.5.3日 快晴 田植期 午前7:00
 今日から1週間はアメリカの想いでに戻ります。
偶然であったがR66との遭遇は3回である。1回目はアメリカ横断をしている時にシカゴを外れた
町で出遭った。使われなくなった古い道路上にR66の文字が書いてあった。2回目はシカゴのロータリー倶楽部の例会に出席した時にシカゴの町で出遭った。道路の角を曲がったら、そこにヒストリックR66と記された案内看板が立っていた。そこで記念写真を撮った。3回目はアメリカをゴルフをしながらのV字横断をしている時、思わずヒストリック66を100マイルほど走った。記念写真を多く
撮ったが、カメラが壊れ写真は日の目を見なかった。悲しかった。その時にいつしかこのR66道路を計画的に走ってみようと思った。今日はそのことを意志決断した記念すべきブログとなる。
 R66はシカゴ~サンタモニカまで全長3755kmあります。イリノイ発~ミズーリ~カンザス~テキサス~ニューメキシコ~アリゾナ~カルフォルニア着となります。
 私の今年の年齢は4月6日で66歳となりました。今まで中国大陸を中心にアメリカ大陸を漫遊してきましたが、思わぬ興味あるR66と遭遇したことは、新たな旅に天の誘いと考え、アメリカのマルコポーロ的な発想でチャレンジしようと決断をしました。
 さー行こう、何があるか分からない、魅惑のアメリカ大陸のR66に挑戦しまーす。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年5月3日土曜日

1997年から2014年の華中(海南島縦断)・・・82

2014.5.3土 快晴 午前5:30
 海南島は本当にリゾートの島でした。島の途中のホテルに温泉が引いてありました。但し、プール温泉です。私も水着で中に入り、へんな温泉気分を味わいました。夕方でしたが、ふと空を見ると、青い椰子の葉の間から、青空と入道雲が目に入り、南方にいる気分を再確認しました。その温泉の地名は福島県の温泉の地名と一緒で東山温泉でした。もしかしたら、昔は日本軍がいたので
その日本軍は福島県の人かなとプールのなかで思考を巡らしました。一緒に行った千葉県のS
社長が、どうしても酒を飲みたいというので買いに出かけましたが、一向に酒屋が無く、彼方此方
車を走らせたところ、日本の昔の万屋を見つけて入りましたが、酒は無いということでがっかりしたりしました。しょうがなく、調味料の酒を買ってみんなで我慢してその酒を飲みました。その時の
発言は、私「これも酒だ、我慢しよう」S社長「調味料がこんな愛美味いとは思わなかった」ガイドは「一番安い酒だ」等、様々のご意見でした。その万屋のラジオからは、インドネシアの民族音楽が
流れていましたので、私はここは中国でなく、インドネシア圏内なんだと不思議な気分になりました。
              アメリカ・アジア大陸馬賊隊・・・照沼重輝
 

2014年5月1日木曜日

1997年から2014年の華中(海南島縦断)・・・81

2014.5.1木 雨 午前7:00
 海南島の北から南まで高校の恩師夫婦と縦断しました。先ず上海から海口まで飛び、海口の飛行場に降り立ち、車をレントして最南端の三亜まで一気に1泊2日で縦断をした旅です。偶然に
海口で1月1日の元旦を迎えたので、その朝は恩師と「新年おめでとうございます」と挨拶ができましたので、ハッピー感で一杯の元旦の縦断開始となりました。レンター会社との待ち合わせ場所は
ホテルの駐車場でしたが、運転士付きのレンタカーなので安心できます。海口の景色は、大きな蘇鉄や椰子の木を多く見かけました。正月なのに半袖に近い陽気でした。ホテルから遠くに見える
海の景色は、正月でも群青色で見事に夏の景色を連想してしまいました。
 午前9:30出発、程なくすると白砂椰子の木の見事な海岸線が見えてきました。水平線には入道雲があるようです。一気に私の頭はバケーション気分になりました。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝