2014年4月30日水曜日

1997年から2014年の華中(東シナ海と南シナ海)・・・80

2014.4.30水 雨 午前7:40
 中国の海に結構行きました。大連、煙台、青島、上海、舟山列島、寧波、台州、福州、アモイ、海南島等に行きました。黄色い海は上海、舟山列島、寧波ですが、青い海は福州、アモイ、海南島でした。特に海南島の海はハワイのようでまた行きたいと思います。海南島の島を縦断した記憶がありますので、次から書いてみます。
                   アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年4月29日火曜日

1997年から2014年の華中(観光地の様相)・・・79

2014.4.29火 快晴 午前7:00
    中国の観光地には結構行きました。海や山に時間を見つけては通いました。思いでの深い観光地は山東省の煙台です。なぜか日本の浦島太郎の伝説と同じ伝説が残っています。秦の時代の
徐福が浦島太郎の話を日本にもたらしたのかもしれないと思いました。それに無錫に行った時は、
公園で花咲爺の音楽が流れていました。思わず足を止め、聞き入りましたが、日本の音楽か
中国の音楽かを確かめることはできませんでした。
  煙台の絶壁から東を望み、古代の人々も同じように東を望んで、何を思ったのかなと考えてみました。東のゴールド色に輝く朝日は、古代人の冒険心を注いだに違いありません。
                                          
                                                        アメリカ・アジア大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年4月28日月曜日

1997年から2014年の華中(中国赴任中の日本人)・・・78

2014.4.28月 快晴 午前7:00
 いつだったか、杭州から電車で上海に帰る途中の出来事であった。軟座席(グリーン車)に乗って
移動中の午後11時ごろの列車の中でした。じーっと私を見る男と目があった。その男の服装は、
形だけのネクタイをして、ヨレヨレに見えたスーツを着ていたので、中国人の営業マンかなと咄嗟に判断した。グリーン車に乗る中国人は少ない時代でしたから、こちらも何だろうと相手を見返した。
私は駅のホームで買った弁当とビールをパクついていた時です。相手は「日本人ですか」と聞いてきたので、私は「そうですが」と怪訝そうに返した。「その弁当は食べられますか」と相手、私は
「腹が減ったので、どうしようもないので、何でも食べている」と答えると、相手「その弁当は、中国に10年いるが、どうしても食べられない」と言う。どうしてと聞くと。相手は「臭い匂いのする弁当」と答えた。私「そう言えばそうだ」と答え、私「だから、弁当にビールをかけて食べてみた」と言った。私も臭くは思っていた。美味しくないのでビールをかけて食べてみていたのである。
弁当にビールをかけて美味しいわけが無い、腹が減ってどうしようもなく食べているのである。中国に10年赴任をしていて、食べられない弁当が美味しいわけがない。その男に聞くと大手商社の社員だと言う。彼は「中国は面白い、人は結構親切だ」と言う。私はそうかと思い、中国にもっと深く進入してみようと思った。何かを得られるなと考えた。それは中国赴任中の日本人と現地で深夜に始めて遇った瞬間でした。
                アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝

2014年4月27日日曜日

1997年から2014年の華中(上海周辺の田舎)・・・77

2014.4.27日 快晴 午前8:00
上海で夜昼の観光が終わると、田舎はどうなっているか見たくなるものである。そこで、友人を誘い
杭州、蘇州、無錫、南京、煙台、青島、福州、合肥、アモイと出かけたこと数度。やがて、その経験が商売に繋がっていったのである。アモイからは建築石材を買い、広州には干し鮑を売り、上海からは緊急医療品を買い、無錫からは太陽光発電所の架台を買い、合肥には油圧ホースを売る何でも屋輸出入業になってしまいました。その途中では従業員570人のぬいぐるみ工場を買収したり、トラックボディ会社の経営に参加もしました。
 そのように何でもやってやろう、見てやろうの精神力だけは発達をしましたので、中国人の友人
を誘って田舎地方によく行きました。東アジアの田舎の風景は日本と似ています。春先は菜の花畑が広がり、水田に農民が万能を担いで作業をする風景であり、秋は収穫の匂いが漂っています。漂う匂いは何か、それは藁を切った匂いであり、刈った藁を燃やす匂いであります。夏の匂いは、太陽の光で地面からの蒸発する水蒸気のムッとする匂いです。冬の匂いは、表現できない
水田や畑が休んでいる匂いかもしれません。
 上海から蘇州に行く途中の水田や畑の景色は、日本の50年前の風景です。私の若いころの
想い出が強烈に湧きあがってきます。
                アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝

                        杭州の田舎の家々

2014年4月24日木曜日

1997年から2014年の華中(上海のナイトクラブと日本円)・・・76

2014.4.24木 快晴肌寒い 午前6:30
 上海のナイトクラブには数え切れないほど行った。無論、商用で行きました?商用と言っても招用のほうである。上海に渡った日本人は、必ず有名なナイトクラブに行きたがります。友人の案内や
取引の接待で何度も行きました。豪華煌びやかに飾られた部屋には、接待ガール(資本主義の
接待ガールと違う)がウジャウジャ(客二人に女性5人程度)います。その他に飲み物を作る女性や果物を運ぶ女性、煙草を売りに来る女性、何かと用事を言いつけられるのを待つ女性等、男にとっては安らぎと言うより目を瞠り、思わず唾を飲み込んでしまような雰囲気があります。先ず、お金は
間に合うか、現地通貨が不足すると時は日本円で大丈夫かなと心配をします。いざとなれば日本年で払えばよいか等と思ったりしてしまいますが、中国側から見るとこの外貨払いは、最高の客筋になってしまいます。
 日本人大衆が最初に外国旅行をしたのは、主に香港、台湾、韓国、フィリッピン、タイ等でした。これらの国の売店で売り子がいう言葉で「日本円、大丈夫、大丈夫」という言葉を日本贔屓のように思い、日本人は気前良く日本円を放出してきましたが、実は裏がありました。これと同じで、中国の夜に放出される日本円には、現地人にとってはたまらない魅力があります。それは飲食料金をいただき、法外な両替料もいただけるからです。つまり、1人の飲食料を現地通貨で1,000元となった場合は、約日本円で15,000円となり、現地通貨で支払えば15,000円で済みますが、店に日本円もOKですかと聞くと、日本年ならば18,000円ですと言われます。18,000円ならばまだ友好的ですが、キリ良く20,000円と言われるのが普通です。大概の日本人は店を出てから高いことに気がつくのが普通です。従い、現地通貨を必ず銀行やホテルで十分に両替しておくのが、この種の店の勘定を安く上げるコツの基本ですから、紳士の皆さんの外国でのナイトクラブの見学の心得と思いましょう。
             
アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
山中問答

2014年4月20日日曜日

1997年から2014年のアメリカ(マンハッタンとニュージャー州)・・・75

2014.4.20日 曇り 午前7:40
 今朝は曇りで気持ちが高揚していませんが、アメリカ編を記します。
 マンハッタンをうろうろしていた私にアメリカ国内から電話があった。25年ぶりの仙台出身のS君からの電話でした。「夜にマンハッタン対岸のニュージャージ州での夕食に招待したい、この景色はニューヨークに住んでいないと分からない」と言ってきた。喜んで待ち合わせ場所を確認して電話を切った。薄暗くなったマンハッタンの5番街のある地点で合流し、直ちに対岸に向かった。何処をどう走っているのか分からないで、程なく何とかレストランに着き、予約をしていたのか席に案内をされた。私はやや緊張をした。案内をしてくれたアメリカのレストランのボーイはやけに恰好良く見えた。黒いタキシード、背恰好良く、おまけにハンサムボーイである。友人が「何を食べる、好きなものを食べろ」と言うが、写真の無い横文字の料理名は読めるが、頭にその料理が出てこない。思わず、私はアメリカ的に両手を広げ「何でもいい」と言うのが背一杯であった。分からない料理名で、分からない料理を食べるのは、味は味わえず、相手の料理の説明を聞くだけで、ふんふんと頷くだけの食事となってしまいましたが、時折手を休めてニュージャージ州のハドソン河を挟み、
対岸のマンハッタンンの夜景が特に綺麗に見えたニュージャージ州の夜でした。
 思うに、ニューヨークの旅は近代的なビルディングと自然あふれるロングアイランド、一寸足を延ばして、ニューヨーク近郊の田舎を流離っては如何でしょうか。
 都合7回の掲載が終わったので明日からは中国の華中(7回)を掲載予定です。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
太陽が隠れ、名も無い町の、名も無いモーテルに独りで泊す

2014年4月11日金曜日

1997年から2014年のアメリカ(マンハッタンとロングビーチ)・・・74

2014.4.11金 快晴 午前6:40
 マンハッタンに入って遊ぶ場所はたくさんあります。セントラルパーク、ブロードウエイ、エンパイヤステートビル等の観光地は有名ですが、私はロングアイランドをドライブするのが好きです。潮風を肌で感じ、大型クルーザーを横目に見て、砂浜を裸足で歩くのは、何か大きな気持ちになったようで、ハッピー感に浸れます。ロングアイランドをどんどん東に進むと島の最北端に着きます。ニューヨークの有名人が別荘を建てている地区です。彼らの楽しみ方は、日本人には無理と思いました。トンボ旅行と言われる日本人の楽しみ方より、時間をたっぷり味わい、海のレジャーを豪快に楽しみ、太陽や潮風と戯れているようでした。ギラギラ輝く夏の海、夕日が輝く秋の海、人々を寄せつけない冬の海、ゆったりと輝く春の海、どの季節の海でもアメリカ人は楽しく遊んでいるようでした。ロングアイランド島の道路は綺麗、道路傍の草木は保護されていて、何処までもルールで
管理されているような島ですから、是非一度は訪れてください。帰り際の居酒屋の地魚は美味しかったです。特に鯖焼を楽しみました。
                 アジア・アメリカ大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2014年4月8日火曜日

1997年から2014年のアメリカ(日本人は小さくとも大きくなれ)・・・73

2014.4.8火 快晴 午前7:10
 外国で日本人はもっと堂々とすべきだ。日本人がアジアを旅すると堂々としているが、アメリカやヨーロッパを旅すると委縮する。何故だろうか。思うに、日本人はアジアでは優越感を持つ、日本は戦後の経済の発展と国の改革に成功したからである。古い中国の歴史本を読むと、外国の使節団が見た光景で、日本人は道路の端に座り目を合わせないと書かれている書物があった。島国日本人はナイーブ(未熟の意味)であった。その外国の物に対してのナイーブさは、高齢な人ほど持っているようだ。しかし、敗戦を機にアメリカ人の指導や助けによって、アジアでは最高の発展を遂げたので、アジアでは胸を張っているのかもしれない。ただ、戦勝国代表のアメリカ人には、劣等感を
持っているのだろうと思う。これが日本人が胸を張れない一因になっている。
 私はアメリカを旅していて、威張っているアメリカ人にあったことが無い。何かの理由でアメリカ人と対峙する時は、胸を張って、目を合わせ、重みを持って静かに話をすると、相手もそのリズムになり、優しい会話になります。はにかむ日本人、主張出来ない日本人、委縮する日本人は、これからのTPPを迎える時代には活躍は難しくなり、日本のために働き難くなるので、大きくなろうよ日本人を提唱します。
               アジア・アメリカ大陸馬賊隊・・・照沼重輝
クリントン大統領閣下とお話をした

2014年4月3日木曜日

1997年から2014年のアメリカ(空港からマンハッタンへ)・・・72

2014.4.3木 雨 午前7:10
 雨の木曜日が、窓から阿漕ヶ浦公園の桜が鮮やかに見えます。その雨で周りの畑に生が蘇りました。今日は地球という生命体の存在を認識できる景色の日です。
 さて、空港からマンハッタンまでは約60kmですが、マンハッタに入るルートは北ルート、東ルート
南ルートの三ルートがありますから、割に簡単にマンハッタンに入れます。私の場合は、どのルートでも良いので、思うままにマンハッタンを目指してしまいます。気がつくと南ルートだったり、北ルートだったりします。同乗者がいる場合は、同乗者は不安がりますが、やがてはマンハッタに着くので、同乗者に不思議と言われます。この繁華街に入るまでが、ニューヨークをワッチングするのに
最適と思います。トラックが生活物資等を運び、乗用車が人を運び、救急車が負傷者を運ぶ、船は
人と車を運んでいます。正にニューヨークの道路は運ぶ人と運ばれる物で窮屈感を感じます。
人家やマンションを眺めると、一体これらの人々の祖先は世界中から来たのかなと思うと、日本が
小さい地球の島国であることを再認識します。明日は日本人が大きくなるにはを掲載してみます。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝