2014年1月5日日曜日

1997年から2013年のアメリカ(砂漠から抜け出たら次は・・・)・・・36

2014.1.5日 快晴 午前7:30
 砂漠の中に入った私は、ガソリンの残量から水の残量までのチェックをしました。水や食糧は
一日二日分は十分ありますが、一番大事なガソリンが50km程度を走れる残量しかなくなってしまったのである。日は暮れた、ロッキーが見えなくなってしまった。車内で野営か、進むか、バックは
もはや困難である。
 私の頭を過ったのは、そうだ、このことを貴重な体験にしようとの考えであった。ロッキーの山の中で、ガソリンを失い、一晩を車内で過ごせたら、素晴らしい朝日を拝む体験ができる。と考えてから、次の困難は何がおきるか、胸がワクワクしてきたのである。私の目と頭は闘争的ながらも、余裕のある目と頭に変わった。それによって、遠くの暗闇の先が見えるようになってきた。今はロッキーのどこかの頂きにいるはずだ。近くに牧場らしきものがあるようだ。道路の標識等も町の近くのように整備されている。路肩に空き缶やチョコ等の袋も落ちている。町は近いと判断をした。30kmを進もう。人家が無ければ野営でやむを得ないと判断をした。
 
 周囲の観察をしながら30kmを進むと、やがて暗闇の中に牛の牧場らしきものが見えてきた。窓を開けると家畜の匂いが漂ってくる。更に目を凝らすと、大木の下に数百頭の牛が寝ている。牧場があれば集落もあるはずだと思い、曲がりくねった道に車をどんどん前に進めた。月が出てきて、辺りを明るくしてくれた。やがて、一軒の商店の明かりが目に入り、小規模のモーテルの看板も見えた。淋しげなモーテルであったが、入口の前に車を止め、カウンターの前に立ち、西部の大男に
「部屋はあるかい」と日本語で言い、調子と迫力を出してから英語で「Can I get a room」と迫力が感じられない英語で問いました。この瞬間で、野営はしなくてよくなり、砂漠も出たが、人並みに屋根の下で寝る夜になってしまいました。明日以後は中国に戻ります。

                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

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