2014年1月31日金曜日

1997年から2014年のアメリカ(サンフランシスコの夜)・・・55

2014.1.31金 快晴 午前7:10
 サンフランシスコには5度の滞在歴があります。ゴールデンゲートにも5度ほど上がりました。SFO空港はアジア人の玄関口のようなもので、この町には中国系が多く住んでいるようです。私を
空港まで迎えに来た友人は、上海出身で40年前に香港経由でアメリカに渡った華僑です。なんでも最初は調理師をやっていて、奥さんはホテルの清掃員で働き、やがて中華料理店を開業して財を築き、60歳を過ぎてから不動産屋投資を手掛けてまたまた財を生んだ人です。上海時代はやんちゃで、ハイスクールのリーダーであったが文革前後に上海を抜けだしたとのことです。その彼の案内するサンランシスコの夜は、濃密でスリルがあり、胸をドキドキしながら彼の背について回りました。
 先ず、案内をされたのは高級レストランでした。世界の珍味をいただきながらの会話は、夢のようで楽しかったです。次の案内は、世界の人種が集う夜のクラブです。私の会話力が上級ならば、100%楽しい夜になったであろうと思い出します。身長170以上の世界の美女が待ち受けていました。私の身長は160ですから、相手方は子供が来たのかなと勘違いをして、チップの期待をあきらめたのか、私に対する接待態度は最悪でした。何人とでも言っているのか、時々、私の方を指さして、私の友人と話をしています。私はジャパニーズスマイルで礼を尽くすほかありませんでした。このような高級クラブで、私は何を出来るだろうかなと考えながら、酒を舐めるほかなかったです。
 一先ずの時間が過ぎて、華僑のベンツでホテルに戻りましたが、頭の中は先ほどのクラブの光景が浮かび、今度来るときは会話力と財力を増そうと決心をしましたが、凡人の悲しさか、その気はやがて薄れてしまい、今日に至っています。
 明日はサンフランシスコの日本人町で食べた鮨を掲載します。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

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