2014年1月18日土曜日

1991年から2013年の華中(蘇州の宴会の終わり)・・・45

2014.1.18土 曇天 午前7:30
 蘇州の宴会の終わり間際に、最後の乾杯をやりました。8人のパーティで日本人は私だけで、後は全部中国人でした。白酒45度を7人とイッキ飲みをしました。小さなお猪口くらいのグラスに満たされた白酒が毒酒に見えました。強い匂いと強い度の酒をイッキに飲むわけですから、日本人の
口と喉、食堂、胃に合うわけがありません。目を閉じ、腹に力を入れて、大きく口を開けて、ガブリと
流し込みます。最初の一人や二人との乾杯までは、何とかいけますが、三人四人となってくると、
ギブアップをしたくなってきます。7人ですから14個の目がこちらに注がれていますので、インチキはできませんし、日本人として頑張りたくもなるものです。遂に頑張って7人との乾杯が終わるころは、目はフラフラ、体もフラフラで立っているのがやっとな状態です。同席者の全員の拍手も聞こえないくらいです。それでも、宴会の目的や相手方への印象を気にしながら退席をします。エレベーターの前で全員と分かれ部屋に戻るのですが、部屋番号等はとっくに忘れています。慌ててカバンを中を探すのですが見つけられません。やむを得なくフロントに戻り、部屋の電話番号を聞きますが、そっけなく言われるだけですから、聞き取れません。紙を出して書いてもらい、エレベータに戻り、部屋に向かいます。フラフラの目や体は、鍵穴への焦点が定まらず、ガチャガチャの音を発してしまいます。やっと部屋が空き、中に入り、ベッドへまっしぐらとなり、ベッドにもぐりこめずに、
ベッドカバーも取らずに眠りこんでしまうことになります。これが中国の1991年代の宴会でした。
 言うまでも無く、翌日のひどさは表現できない程に大変なことになってしまいます。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
 

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