2013年12月31日火曜日

1997年から2013年のアアメリカ(田舎道)・・・33

2013.12.31火 快晴 午前6:50
 ネバダ州の物凄い田舎町に侵入してしまった。隣のカルフォルニア州の境まで8時間は要する。オレゴン州までなら5時間を見なくてはならない。太陽を西において進んだはずだが、何時しか後方に太陽がきている。このままだと北東方面に進んでいるようだと判断した。相変わらず田舎の一本道で出会う車はない。四ッ足を天井にしたバッファローの死骸が時々見受けられた。車のスピードは田舎道といっても80マイル以上でているので、停まってバッファローの安否を確かめる余裕がない。砂漠を脱出という目的だけで、そのままのスピードで疾走を重ねる。しばらく走ると、険しい山道に入り、草木が無くなり、赤い岩肌だけの景色になってっきた。山の上は風が強く、5月であったがとにかく寒かった。山の尾根に雪避けの柵が方々に見受けられた。ニューヨーク等の大都会の景色と対照的な人間を寄せ付けない、その景色をアメリカのローッキー山脈で見ることになりました。ローッキーの麓ヘ行こうとしたドライブは、ロッキーのどこかの山の頂上に辿りついてしまいました。戻るか、進むか、思案ろっぽうの心理が続いています。戻るのはしゃくだが、危険を感じたら戻るのが定則、危険を感じなければ進む、悩みました。野営もいた仕方がないが、野営をするならば
適した場所を探すほかない。
 前回のアメリカ西側縦断中に野営をしたので、その経験から考えると、暗い場所か明るい場所かにするかは、寝易い暗い場所が適しています。しかし、暗い場所は不気味です。不安や怖いことを予測したら寝られません。こんなことを考えているうちに、約100マイル7(160km)を進んでしまいました。ローッキーの山道は暗くなるのが早く、太陽が山の頂に隠れそうになってきました。太陽は相変わらず、私たちの後方に頼りない光を発して沈みそうです。小用をたしたく、車を止めて砂漠の地に足を下ろしました。茂みに入り用を足していると、遠くに犬かコヨーテか、不安になる、あの鳴き声を耳にしました。「ウオーン、ウオーン」と悲しそうな又はお腹がすいたような友を集める、鳴き声でした。私は男らしくも無く、恐怖感に囚われ、即座に車に戻り、夜通しでも走って、現在の場所から脱出する決意をしました。しかし、油の残量がその目的に敵いません。その時の油の残量から100マイル程度しか走れなくなっていました。車は相変わらずローッキーの頂き周辺を走っています。            アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2013年12月30日月曜日

1997年から2013年のアメリカ(田舎道)・・・32

2013.12.30月 快晴 午前7:15
 アメリカの横断中にリオという町から北に反れて砂漠に入った時の話です。遠くのロッキーが美しく、その山裾に行ってみたくなりました。ナビをつけた車でしたが、肝心のナビの操作が完全でなく、私の方向勘だけを頼りにして、強引にその方向に進路をとりました。
 
インターステイト80のリオの出口を出て、リオの町を後方向にして、北に進路をとり、太陽を左手に
見ながら進むと、必ずロッキーの麓に到達するはずであると判断をして、意気揚々と出発をしました。リオの町のスーパーで小ギャンブルを楽しんだ後の出発です。スーパーで日本の海苔巻すしを食べて元気が出てからの出発でした。
 日本でいえば一車線の市道のような道路ですが、ブッシュと赤い色の砂漠の中の道で、荒涼とした、果てし無く延々と長く続く、ナイル川の流れのように大きく蛇行したりしているような道に入りました。そして、常に太陽を左に見て進みましたが、午前中は一台の車にも出遭いませんでした。道路に慣れてくると、太陽を見ることになおざりになりました。いつしか、車はとんでもない進路に入り、行けども、行けども、ブッシュと赤い砂漠から脱出できないようなゾーンに入ってしまったのです。太陽は左から右に大きくそれてしまいました。ガソリンは少なくなり、腹は減り、人家無く、空に
鳥も無く、砂漠の迷路に入った気分になり、私の頭は混乱し口が渇いてきました。私は焦りました、
今日は砂漠で野宿か、エンストした車を置いて徒歩で助けを求めるか、悪い予感ばかりが頭を過ってくるようになりました。
              アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2013年12月29日日曜日

1997年から2013年のアメリカ(街道筋の食事)・・・31

2013年12月29日(日)快晴 午前7:00
 アメリカでハイウエー上での食事は数十回ほどあります。ハンバーグからナイフとフォークを用いた食事を経験しました。但し、日本と違ったのは、ハンデイーキャッパーが多く働いていました。
聞くところによると、アメリカでは法律により一定のルールでハンデイキャッパーを採用することになっているそうです。
 さて、ハイウエー上の食事で一番おいしくなかったのは、タコスで次はメキシコ料理、そして次は
マックでした。美味しかったのは、フロリダからキーウエストに向かう途中のポテトを中心とした料理でした。その支払いは重さで計算をされました。アメリカの南国の悠長な生活ぶりを感じさせられました。次に、美味しかったのは、ワシントンからテネシーを経て、ダラスに入る一歩手前の町で食べた農場料理店でした。とにかく新鮮な野菜が沢山あり、野菜だけでなく全て並んでいる食物が
新鮮でした。牛乳、肉、野菜、アイスクリーム、豆、トウモロコシ等等、思い出すだけで唾液が出てきます。醤油味が恋しくなったら、中華料理の食べ放題店でもよく食べました。米や魚や餃子を食べて、東洋の味で里心を癒りもしました。
              アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝

2013年12月27日金曜日

1997年から2013年のアメリカでの発見・・・30

2013.12.27金 雨 午前7:30
 昨年から今年にかけてアメリカを縦断と横断、そしてV字横断の旅を4回ほど馬鹿みたいに重ねました。1回目はニューヨークに入り、フロリダ、キーウエストを周り、ダラスを経て、飛行機に乗りサンフランシスコから帰国、2回目はビューヨークから入り、シカゴに行き、シカゴから飛行機の乗り、
サンフランシスコから帰国、3回目はサンフランシスコから入り、カルフォルニア州内をアメリカゴルフ発見と輸出入商品の開発の旅、4回目はニューヨークから入り、ワシントン、テネシー、ダラス、
アルバカーキー、ロス、サンタモニカ、サンフランシスコから帰国しました。これらの旅の殆どを
レンタカーで廻りましたので色々な発見をしました。その発見を思い出しながら記して、明日からの正月休みを過ごすつもりでいます。皆さんが旅に出たり、仕事で出張したりする場合に、何かの役に立てば良いと思います。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
ハイウエー上でスピード出しすぎで、悪魔を見てハッと思った瞬間

2013年12月22日日曜日

1997年から2013年のアメリカ(ハイウエイー状況)・・・29

2013.12.22(日)快晴 午前8:00
  相変わらず4kmの早朝散歩を8年間続けています。そのおかげでアメリカの大陸横断と縦断を身体の故障なくやれています。頑健な体をいただいた父母や先祖に大感謝をしています。
 さて、アメリカのハイウエイーはドライバーにとって、極めて爽快です。理由は、どのような運転手の車でも、運転マナーが抜群に良いのです。例えば、コンボーイトレラーの後ろに車がついたとします。直ぐにコンボーイは、右車線にトレラーを避けてくれます。そして、大きなクラクションを鳴り響かせ、「避けるのが遅くて悪いな、又は、気をつけて行けよ」のような感じのシグナルを送ってくれます。私もついついクラクションを「パパーン」と鳴らします。追い抜きざまにトレラーの運転席を見上げると、親指を立ててのシグナルをくれます。ハイウエイーの車線の数は、ニューヨーク等の町近くに入ると片道4車線、郊外に出ると3車線が普通のハイウエイーの状況でした。ハイウエーからの
降り口は、普通は右側にあるので、そろそろ降り口が近づいたら右側車線に近ずく必要があります。全くの田舎のハイウエイーでも3車線が普通でした。スピードは80マイル程度で走っていれば、パトカーのご厄介にならなくてすみます。ハイウエーパトカーにお世話になる外国人は、結構
多いようです。理由は、アメリカのハイウエーは広く、スピードが出せて、楽しくなってしまうからだと思います。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

                 

  テキサスのインデアン居住区を抜けるハイウエイー・左ラインが追い越し車線・右が避難帯




 

2013年12月21日土曜日

1997年から2013年のアメリカ(横断までの準備)・・・28

2013.12.21土 曇天 午前7:30
 アメリカに行く場合に飛行機会社の選定を誰も悩むでしょう。値段で決定するか、乗客に日本人が多いほうが良いか、安全第一か、航空会社の国籍か等を悩みます。私の場合は日系の会社で安い運賃の会社を選びます。理由は、アメリカは長旅になりますから、隣の席ができるだけ日本人が座る率の高い日系会社になります。そして、半年前に申し込むとかなり安いチケットが入手できます。今までにアメリカ行きで乗った会社はANAが大半でした。別にこの会社と全く縁はありませんが、かなり安いチケットでアメリカ行きをしています。
                 アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝



サンタモニカの秋の海岸 R66の終点 

2013年12月18日水曜日

1997年から2013年のアメリカ(始めての横断6000km)・・・27

2013.12.18水 曇天 午前7:00
 やや長く中国を掲載していたのでアメリカ編にします。ニューヨーク行きを2度ほど重ねたので、
今度はニューヨークからサンフランシスコの横断をしてやろうと2008年の頃に考えました。片道の距離は約6,000km、使用車両はRV者、予定日数は12日、一日の走行予定は500km、泊まるところはモーテル、野宿も視野、食事は粗食、概算費用は50万円、高い費用は一切NO・GOODの方針、基本は一人旅、残していく家庭の心配はあえてしない、アメリカの家庭や田舎暮らしの環境、流行っているビジネス、庶民の暮らし等をつぶさに見ようの好奇心、季節は秋等の方針を密かに決めました。毎日5時に起きて体力作りを始め、運動後の朝の時間をアメリカの事前調査に充てました。好奇心が先頭に立ち、心配ごとは全く考えない計画でした。
 第一番目の計画になるのは飛行機会社を選ぶことです。どこの飛行機会社が有利か安いかを
色々調べました。明日からは飛行機会社の選定を掲載します。
                  

アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

2013年12月17日火曜日

1991年から2013年の華中(杭州の幽谷深山)・・・26

2013.12.17火 快晴 午前7:00
 杭州の幽谷深山のなかで考えたことは、中国大陸は広い、日本の25倍の面積を持っているのだ。だから、歴史上の有名人が輩出するのだろうと思いました。山にある木々や石を日本と比べても、雲泥の差があります。谷川を覗くと大石の大きさが日本の比でなく、相当に大きいのだ。木々を見ても太くはないが、背が高いのである。やはり、広い土地には大きなものが相応しく、出来てくるのだと考えました。
 単純な発想であるが、大陸を歩くときは日本の25倍の物差しを用意して歩くべきです。距離感や
発想が全て大きい中国大陸です。もちろん大きな人物も沢山いるので、私はその勉強ができるから、絶えず中国やアメリカ大陸に旅行してしまうのです。
                アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
杭州山荘の大きな河原石と轟音を轟かせる渓流

2013年12月16日月曜日

1991年から2013年の華中(風雅な山中の遊び)・・・25

2013.12.16月 快晴 午前7:20
 上海から杭州に至り、そして高い山奥に入り、更に深山幽谷での風雅な遊びと奇妙な経験をした時を記しています。
 初夏、蝉がまだ出ない山中の山荘に泊まりました。山荘の前に日本では見られないような谷川が流れていました。一寸雨が降るとドロローン、ドロローンと奇妙な音を立てて、大水が眼下にある里に流れて行きます。山水は天から流れてくるように見える谷川です。その谷を跨ぐようにせり出ている食堂で夕食を取らされました。谷の下からはドローローンと流音が聞こえてきます。フッと悪い予測をしたら、その田舎中華料理は進まなくなってしまいます。窓から山中の天を仰いで食べるようにしました。正に「頭を上げて食し、頭を垂れて地獄を思う」の感でした。この食堂の写真を掲載します。明日は食事中の俗界を離れた思考を深く記してみます。
                    アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝
                  
 
杭州深山の谷川を跨いだ恐怖食堂

2013年12月14日土曜日

1991年から2013年の華中(周辺の小旅行)・・・24

2013.12.14土 快晴 午前5:20
 昨日からの続きですが、突然に温かい雨が降り、山荘前の谷川の水嵩が増え、奇妙な音を立て大量の雨水が流れてきました。私は山荘の庭先を、その奇妙な音を立てる原因を見極めたく、獣道みたいな桟道を恐る恐る登って行きました。あたりは真っ暗闇のうえ、崖ぷっちの桟道ですから、強い目的意識を持って登らないと、辿りつけません。五体どころか脳味噌にまで力を入れて、勇気までおまけをつけて登って行きました。奇妙な原因の音は、日本では考えられないような谷川の大きな石の塊りと、極端に曲がる川の流れ、滝壺の多さやその深さの複合的原因のようでした。山荘の庭先まではLED電燈に照らされた街灯でしたから、周りは見えたのですが、桟道から先は遠くなる山荘の明かりが頼り、辺りがだんだん暗くなり不安感が先に立った桟道の冒険となりました。悪いことを考えると悪いことが起きるので、その桟道を登っている時の私は、今までに見たことのない桃源郷が現れるのでないかと、期待に胸を膨らませて登りました。何時も中国を旅しているときは、悪い予感をしません。とんでもない良い期待を持って旅をしています。おかげで、とんでもない悪いことは、今までに起きていません。私はとんでもない目にあったことが無いのです。天の神様に感謝しーます。
 明日は崖ぷっちの食堂を掲載します。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・照沼重輝

杭州・深山幽谷の天から降りてくる桟道沿いの谷川 2010年初夏

2013年12月13日金曜日

1991年から2013年の華中(周辺の小旅行)・・・23

2013.12.13金 快晴 午前7:00
 数年前の初夏に華中の周辺へ不思議な旅行をしました。場所は杭州の山奥の清流が流れる山荘に泊まり、深山の中での不思議な経験と、一か所だけにあるカラオケハウスで戯れた時の話です。杭州の山奥の細道をどんどん上がり、天まで届く一歩手前の山を背にした山荘に着き、旅装を解いたころに夕闇が寄ってきます。同時にLEDの眩い光が、複数の木々の天から降ってきました。山荘の女性が滝の上にある東屋に夕食をと案内をしてくれました。案内をされるままに東屋に入ると、何と東屋の下は崖で、崖下を見ながらの食事は、不思議な気分、口に運んだ料理は絶品の中華料理の筈ですが、何を食べたかは覚えてないほどの崖ぷっちの場所でした。中国の建築法を信じていないわけではないですが、とてもゆっくりした場所での食事とは言えませんでした。次に、夏の夜の山中はよく雨が降るようです。ザーと大雨が降り、同時に谷川を滑る雨水の音が無気味に聞こえると、同時にドロローン、ドロローンと青白き光の向こうから白装束の何かが出てくるような雰囲気に見舞われてしまいました。この続きはあす以降にします。
               アメリカ・中国大陸馬賊隊・・・・・照沼重輝



 
人恋しい深山の山荘と崖の上での夕食場所

2013年12月11日水曜日

1991年から2013年までの中国(上海周辺)・・・22

2013.12.11水 快晴 午前7:20
 揚子江沿いの町で南通と無錫、それに蘇州周辺を周ってきました。凄かったのはスモッグで何処にも現れていました。100mから先が見えにくく、自動車の運転は大変でしたが、郁君の運転で無事に商談をこなしてきました。端的にこのスモッグを表現すると、目から涙、喉はひりひりでした。
思うに、中国は何故毎年ながら改善をしないのだろうか。このスモッグを無くす産業が、中国の来年のキーワードかなと思いました。揚子江に架かっている全ての橋の上から見る揚子江の川面
は全く見えません。深い谷底の眺めのようでした。その国の発展と環境汚染は、地球の深刻な問題です。
上海に戻り、美味しい和食を食べたが、昼間に体験したスモッグを思い出したら、「炭小屋の中で味わったような和食の味」でした。興ざめした和食で夕食を済ませ、外に出るといくらかの風で
スモッグは東の日本方面に飛んで行ったようです。中国の友人が「照沼は日本までスモッグを追いかけて行くようだ」と冷やかされました。ブラックジョークは、心に傷を負ってしまいます。次回は
明るい話にしましょうか。
               アメリカ・アジア大陸馬賊隊・・・照沼重輝
 
                スモッグに泣く太陽と青空と木々・・・南通市

2013年12月6日金曜日

1991年から2013年までの南通市と無錫市の様相・・・21

2013.12.6金 曇り 午前7:30
 11月30日~12月3日間で上海市、南通市、無錫市、蘇州市を商用で廻ってきました。商用の内容はソーラー装置の取引商談です。1991年に行った南通市は一転し工場群になっていました。
無錫市も同じで大きな工業団地があっちこっちにあり、蘇州市も同じしたが、上海市等の工場群は減少傾向のようでした。華中のPM2.5の被害は深刻です。この目で見てきましたが、視界不良、
太陽光は射さず、微粒子が空を泳いでいるのが街灯の光で判別できる状況でした。そのような空の下での人間に元気力はあるわけありません。早くその環境を中国政府は取り除いて欲しいと思います。アジアの空に青空を取り戻しましょう。
             アメリカ・中国馬賊隊・・・照沼重輝